らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

0703

箱山城(上田市)  

◆強い霊の気配を感じて撤収した城◆

凄惨な落城悲話の残る葛山城や大倉城では全く感じる事のない「何者」かの気配を、長和町の御岳山城や長野市の大峰城では体験した。

そして里山桜ロード整備で住民の皆さまに整備されつつある「箱山城」でも本能的に撤退を余儀なくされる。

近くに火葬場があるのも何かの因縁なのかもしれない・・・(大峰城も登り口に火葬場があったっけ)

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大手筋の尾根から見る依田窪方面。

依田窪斎場の北側の沢を挟んだ尾根を強引に直登すると丸子城や依田城が眼下に見えるロケーションとなる。

立科の虎御前に通じるこの道は当時重要な街道であり、依田一族の守る芦田城と丸子城の中間地点の抑えとして機能したのであろう。

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尾根筋にある最初の堀切跡。

小県郡史によれば。箱山判官国正という大井系の城主による築城と伝承にある。

3つの郭とその上に見張り用の高台を配置した小規模な砦で、加工度はそれほど高く無い。

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最初の郭の手前は堀切と天然岩石が防禦している。

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三の郭と二の郭の堀切。既に埋もれつつある。

鬱蒼とした雑木林の北側に何とも言えない気配を感じた。

「なんかヤバイなー・・・」

本郭跡から物見の高台に上がる予定をキャンセルして、とにかく急いで西の尾根に戻る

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本郭跡の崩れた石積み。

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天然の岩が城の周囲を囲む。

特にこの日は火葬場から天に召される方はいなかったのだが、周辺に浮遊霊でもいたのだろうか?

またポルターガイスト現象が発生するのも厄介なので、「撤収!!」(笑)

地元の皆さんが山の上まで整備したら、また来るとしますw

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斎場から見る箱山城全景。

≪箱山城≫ 

標高772m 比高150m
築城年代:不明
築城・居住者:箱山氏
場所:上田市上丸子(依田窪斎場北側)
攻城日:2010年5月29日 
お勧め度:★★★☆☆
所要時間:30分
見どころ:郭、土塁、堀切など
その他:地元の方が毎年桜の木を尾根伝いに植樹しオーナーを募集しているようです。


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Posted on 2011/07/03 Sun. 16:43 [edit]

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コメント

NoTitle

らんまるどの、お疲れ様です。

箱山城、そうですか・・・、”例の気配”を感じましたか。
私はのんびりと良い天気の中で散策した記憶があります。何も感じず・・・。

ただ、車でかなり無理して山道を上がったので、帰りに脱輪しそうになって、まじめに焦ったことはありました。あれは諏訪でレッカーを呼んだ以来の危機的なの焦燥でした。まあ、霊とは関係ないと思いたいですが。

それはともかく箱山城ですが、城の遺構は申し分ないのですが、城の背後には普通に登りやすい高い尾根があって、どうも武士の城砦としては不備なように感じたことを思い出します。

なんだか本郭がまわりの尾根尾根から丸見えだったような・・・。

この城も近くの農民や地主の逃げ場に過ぎなかったのかも知れないと貴記事を拝見して改めて思い出しました。

山麓のおばちゃんがせせっと切った堀なのかも知れないですね(^^;

まさはれ #- | URL | 2011/07/03 21:59 * edit *

Re: まさはれさんへ

なんせ、美濃の岩村城の悪霊に取り憑かれて会社の部屋が水没した経験があるので、ヤバイと思った時は逃げるようにしておりまする(笑)

御推察の通り、地元の住民の逃げ込み要害だったというのが正解のような気がします。

信玄公は砂原峠を軍用路として使用していたらしいので、この街道は廃れたのかもしれません。
おばちゃん達には想定内のリスクだったという認識があったのでしょう。

のどかに田畑を耕し当たり前に暮せる世の中の幸せを求める気持ちを、某国総理大臣にも気が付いて欲しいものですネ(笑)

らんまる #- | URL | 2011/07/03 22:18 * edit *

NoTitle

例によって誤字は容赦下さい。

改めて自ページを確認しましたが、「丸子城の物見砦と考えられ、箱山判官国正という人物が城主という説がある」などというのは信用するに足りませんね。

まあ、いいとこ、その箱山氏が地主で、まわりの百姓と一緒に掘削したというのが現実でしょうね。

信州の城も、想いのほか、住民の逃げ場が多いように思います。というか、武田氏の時代までは、そんな城砦がほとんどだったのではないでしょうか?

平成のわれわれが「話を大きくしている」だけなように感じてまいりました。

まさはれ #- | URL | 2011/07/03 22:48 * edit *

Re: まさはれさんへ

確かに大半がそれぞれの集落が自主防衛の為に築いた砦だったと思います。
当番制で詰めたのでしょうネ。

ところで箱山氏の子孫は前真田町の町長だったそうです。丸子氏が真田氏に降り海野氏を称したようですが、一族が再び箱山姓を名乗り真田氏発祥の里の長になるとは面白い歴史の巡り合わせのように感じます。

遠い昔に思いを馳せる・・・城跡に立つと当時の人々の息遣いが聞こえるようなきがします。

らんまる #- | URL | 2011/07/04 07:37 * edit *
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