らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

0805

花岡城(佐久穂町)  

◆烽火台の伝承を覆す地下避難壕を備えた謎多き城◆

南佐久郡の佐久穂町(旧佐久町と旧八千穂村が合併)には至近距離に数多くの城跡が存在する。

もともとは各集落の土豪が築いた城館だったと思われるが、武田氏の佐久侵攻と供に改修されて監視砦群や烽火台として利用されたのだろう。

花岡城も烽火台として伝承されてきたが、平成六年の発掘調査では頂上に城館の跡が確認され史実を見直せざるを得ない事になっているという。

hanaoka.jpg
花岡遺跡公園となっている城跡入口(佐久穂町海瀬花岡)

発掘調査によれば、120?ほどの山頂には烽火台としての施設はおろか、烽火を上げるために火を使った事を示す焼土の痕跡も検出されなかった。代わりに礎石と柱穴が見つかり、それらから南北10m×東西6mの建物があったことが想定されたという。
遺物としても当時の生活用品が数多く出土し、長野県で初となる秤の錘(おもり)も出土した。

hanaoka (2)
頂上には公園化に伴い望楼櫓が建てられた。

比高も70mとそれほど高く無く、尾根の先端に張り出した小山の頂上が本郭で数段の腰郭と数条の堀切を備えた砦のような単純構造の城跡です。

近隣の少人数の軍勢の攻城には耐えられる構造かもしれませんが、大軍の前にはひとたまりもないでしょう。

hanaoka (16)
南側の腰廓。それなりの広さがある。

hanaoka (7)
主郭跡の祠と礎石跡。

丸子城とクリソツな望楼台に立つと、この城の位置が物見台として極めて重要だった事がわかる。

hanaoka (8)
西側の諸城

hanaoka (9)
南側には木曽義仲にゆかりのある蟻城(戦国期も重要視された)

hanaoka (12)
北側は千曲川沿いに重要な拠点を臨む。

信玄は佐久地方を制圧すると、甲州から上州攻撃への最短コースとして花岡城を通過し余地峠を越えて進軍したと思われる。

進軍の際にある程度見張りの兵を駐屯させていたと想定しても間違いではないだろう。

hanaoka (20)
東側には二条の堀切がある。武田時代の改修であろう。

hanaoka (26)
防衛上の弱点である西側には縦掘を穿ってやはり二条の堀切にしている。

この城で特筆すべきは、城の麓にある西の台地に地下式坑が発見されたことだろう。

現在六基発見され、地上から竪坑の掘られた3m下に高さ2m広さ六畳ほどの地下壕が存在している。

麓にある城館の緊急避難場所=高台にある山城と考えるのが通常なのだが、逃込み用の地下壕があるというのは前代未聞だ。

城の脆弱さを知ればこそ、地下に隠れるという発想は画期的だ。

他国の軍勢の傍若無人の振る舞いから、足弱の女子供を匿う手段であったと思われます。

DSCN3098.jpg
竪坑の地下遺跡が発見された中山遺跡は花岡遺跡の道路を挟んだ南側にある。(現在は耕作地)

600年近く閉ざされた地下壕ですが、まだ未発見の縦坑があるらしい。

それらが当時の生活の遺物を埋蔵してくれていると嬉しいのですが・・・・。

hanaoka (4)

≪花岡城≫ (花岡烽火台、花岡遺跡)

標高880m 比高70m
築城年代:不明
築城・居住者:花岡氏?(大井氏とも)
場所:南佐久郡佐久穂町海瀬花岡
攻城日:20011年7月16日 
お勧め度:★★★☆☆
所要時間:20分、駐車場あり。
見どころ:郭跡、堀切、頂上からの展望。
その他:周辺の諸城は近くに隣接するので、是非訪れて頂きたいものです。

スポンサーサイト

Posted on 2011/08/05 Fri. 23:37 [edit]

CM: 3
TB: 0

« 空母 加賀②  |  空母 加賀 »

コメント

NoTitle

らんまるさま、お疲れ様です。

佐久は中世から変わらず、大変重要な街道でしょうから、数多くの城砦が築かれて自然ですね。

それぞれの城がどのような位置づけにあったのか、生涯の研究課題にしても十分価値のある地域だと思います。

ところで、城の密集する貴写真を見て思い出したのですが、信州大学の笹本正治教授が、何かの専門書の中で「実は中世の信濃・甲斐には、烽火台などというものは存在しなかった」という旨の説を唱えておりました。
それはどうかと私は思うのですが、佐久の城どうしの連絡体制がどうなっていのか、それも興味深い題材であります。

まさ #- | URL | 2011/08/06 20:56 * edit *

Re: まさはれさんへ

まさはれ殿、いつもご来城かたじけのうござりまするw

小生も「信玄の飛脚かがり」には非常に興味があり、甲府から海津城そして上州攻略時の伝達ルートなどは情報戦のさなかにあった武田軍の秘密を探りたいと思っております。

「四隣譚藪」(しりんたんそう」に「八つかたけ、花岡山、武田ノ虚空蔵山、諏訪山其余、河中島迄、高坂弾正、飛脚篝と、いふ処々にあり」とあります。
いわゆる高坂弾正の飛脚かがりを伝える唯一の史料ですが、詳細は軍事機密だった為か不明のようです。

信州のような山々に囲まれた地域の伝達手段における「ノロシ」は、信玄侵略前からも外敵から身を守る村落の自衛手段として浸透していたと思われます。
上杉軍との国境の鬩ぎ合いでは当然活用されたはずだと思うのですが、最高の軍事機密であった可能性が高く、口述でも古文書にも残されなかったと思っています。証拠隠滅の為に焼き灰すら処分された可能性も否定できませんネ。

信州という枠を越えて全国的に烽火の使用実態がどうだったかを検証するのも良いかもしれないし、甲府から「伝高坂弾正飛脚かがり」を再現して考察するのもアリだと思いますネ・・(笑)

らんまる #- | URL | 2011/08/07 00:07 * edit *

Re: やひとさんへ

コメントありがとうございました。

浅すぎる知識と教養の無さを、無意味な体力消耗を強いる攻城戦と無駄に多すぎる写真、ありきたりな独り言で綴っておりまするw。

時々真の研究家の皆さまからはお叱りの苦言も頂き、反省しきりでござます。
今後ともよしなにお引き立てくだされば、木に登れると信じて止みません・・・(笑)

あ、そうそう古代の道ですが、小生がファンである依田信蕃は大河原峠を利用して春日と諏訪を行き来していたようです。双子池ですか・・・、さすがに研究者は奥が深いですね。山奥はクマが出そうなのでご勘弁を!

らんまる #- | URL | 2011/08/10 20:58 * edit *
コメントの投稿
Secret

トラックバック
トラックバックURL
→http://ranmaru99.blog83.fc2.com/tb.php/177-faffb070
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

城主からのご挨拶

地域別攻城戦記

諸国在住の皆さまのありがたき進言

もののふ入城者数

在城中の「もののふ」

攻城戦記年表

▲Page top