らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

0810

大石川烽火台(佐久穂町)  

◆武田軍の進軍を眼下に見守り続けた監視塔◆

先月末から、どーでもいいようなイベントに駆り出されて攻城戦も中断を余儀なくされている。

まあ、こーも暑いとラクな場所ばかり探しているので、達成感の無い城跡巡りに自分でも閉口してます(笑)

「神は乗り越えられる試練しか与えない・・・」

その試練?というか困難な城跡に立ち向かう勇気は今秋以降ということにしますか・・・(爆)

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蟻城の山麓から見る大石川烽火台全景。

大石川と千曲川の合流する佐久穂町千ヶ日向地籍に大石川烽火台がある。

写真でも分かるように、千曲川の浸食によって削られた西側の急峻な尾根先が北側の大石川にも削られ、その舌状台地の先端に築かれている。

南牧村の海尻城から小海を経由する街道は急峻な山合いにあり、中間地点には根小屋烽火台(小海町中村)しか城跡は無い。

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烽火台登り口。

甲州から進発した武田軍は海尻城を経由し、現在小海高校のある高台(宮の上)を宿営地とした。北側の嶺続きには地元の有力土豪が築いたとされる本間城があり、改修して北からの攻撃に対する防禦を徹底している。

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単郭の背後を守る土塁の名残りが確認出来る。

宮の上から2km先に築かれた大石川烽火台は、武田軍が北佐久へ攻めるための監視砦のような役割を持っていたのだろう。

この場所から千曲川を東に渡河すると花岡城があり、余地峠を越えて上州への進軍をおこなっている。

更に北上すると高野地籍からは臼田の勝間反砦方面、佐口城や福田城を経由して小田切城(雁峰城)、桜井山(医王寺城)への進軍は容易だ。

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郭跡には東屋が建つ。

比高わずか20mで烽火台として機能したか??という疑問は、この場所に立つと解決する。

南佐久から千曲川沿いに進軍してきたこの場所は交通の要所なのだ。

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佐久臼田方面

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佐久小海町方面

多方面作戦を展開するには重要な拠点だ。

周囲3km四方に点在する居館跡や山城跡を有効に活用したと思われる。

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堀切は道路になってしまったが、そのまま2km登ると馬越城に至る。

単郭のなんの面白みも無い烽火台だが、「信玄かがり」と云われ、海津城から「謙信出撃ス」の情報がここを中継地点に甲府までリレーされたというのだから興味は尽きない・・・。

標高820m 比高20m
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:南佐久郡佐久穂町千代里
攻城日:20011年7月31日 
お勧め度:★★☆☆☆
所要時間:5分、道路脇へ路駐
見どころ:郭跡、堀切、頂上からの展望。
その他:佐久穂町の城跡への訪問は秋~冬が良いと思われます。







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Posted on 2011/08/10 Wed. 20:47 [edit]

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