らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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日岐城(生坂村)  

◆小笠原貞慶による報復から生き延びた日岐氏の本城◆

中信濃の攻城戦は泥沼化となり、戦線も膠着状態で一進一退の攻防が続く。

想像以上に恐ろしい数の山城が立ちはだかり、各個撃破が容易で無い事に今さら気が付き愕然とする。

「こりゃー来年の春まで釘付けじゃのうー」(笑)

筑北、生坂、大町、安曇野・・・200を越える城館群を前に弱音だらけだ・・・しかも山奥ばかり…(爆)

で、今回紹介するのはメジャーな日岐城。

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水鳥公園から犀川を挟み小屋城を臨む。


前回ご紹介した小屋城の犀川対岸に日岐城があります。

公園に車を捨てて、日岐屋敷跡を通り抜けるように登り口を進みます。

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正福寺跡を一段登ると平削地があり、東側を人工的に加工された長い堀のような遺構が認められる。

後世に造成されたものか判別は出来ないが、屋敷を囲む堀であったとしても不思議ではない。

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巾2m、深さ1mの謎の堀。

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馬場跡と推定される平地。

更に15分ほど登ると城域の尾根に着く。尾根の東側は浅間大明神が祀られる「見張り台跡」と呼ばれる郭だが、加工度は低く、恐らく天然の崖を利用しただけであろう。

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周囲の樹木が邪魔しているが、当時は監視に優れた場所だったと想像出来る位置にある。

尾根を西側に戻ると最初に現れるのが15×35の「かじ平」と呼ばれる三の郭。

刀鍛冶がいたというが、真意のほどは定かでは無い。

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見張り台よりは視界がいい南犀川方面(笑)

三の郭から二の郭はアップダウンがあるが、堀切と呼ぶような加工ではなく自然の地形であろう。

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意図的に捻じ曲げたつづら折りを登ると二の郭に到達する。

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攻城方には身の隠し場所が無い。

15×10の二の郭は極めて狭い。一段下の平地を含めて良いものかは難しい判断だ。

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高土塁で三の郭方面の敵に備える作りが見てとれる。

通常は本郭の背後の尾根筋を大堀切で断ち切るパターンが多い信濃の山城なのだが、この城は本郭と二の郭の間を上巾20mの大堀切で遮断している。

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二の郭の段郭から本郭へは異様な深さの大堀切で厳重に防衛している。

主郭は三角形の平削地で西側の隅を盛土としている。恐らく櫓台で望楼櫓があったものと思われる。

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今でこそ雑木林で見晴らしは良くないが、3mの櫓でも周囲は充分に見渡せたはず。

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主郭に建つ供養塔。武田との戦なのか小笠原との戦なのか、いずれにしても攻防戦があったのであろう。

主郭の背後はかなり険しい天然の崖であり、尾根にわざわざ堀切りを作らなくても良い事がわかる。

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堀切はあるが、「とりあえず」という小ぶり程度のものでしかない。

日岐氏は、小笠原長時の没落とともに本家筋の仁科氏とともに武田軍に降るが、武田氏滅亡後は深志に復帰した小笠原長時の三男である貞慶に抵抗し最初は上杉氏を頼る。

父親の長時を裏切り、武田晴信に与した会田氏、塔原氏(海野氏)、赤沢氏、古廐氏、日岐氏、青柳氏への報復を誓った貞慶は徹底殲滅戦を開始する。

いち早く従属してきた塔原氏、赤沢氏を利用して四賀の会田討伐に向かわせ滅亡させる。

次の復讐の矛先が自分達だと察した塔原氏、赤沢氏、古廐氏は密かに謀反を企て、小岩嶽城に籠城するつもりが事前に発覚し松本城で謀殺されてしまう。

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本郭の南尾根にも堀切と二つの郭跡がある。上記写真は本郭脇の南の郭。

日岐氏は小屋城にあった兄の丸山氏と共に小笠原貞慶に抗戦するも力及ばず降伏し、のちに許され本領を安堵された。

青柳城の青柳氏は、当初上杉に与したが麻績城・青柳城が上杉との争奪戦の舞台となり小笠原に降伏するが、やはり松本城で謀殺されたという。

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南尾根には堀切跡も残る。

復讐の鬼となった小笠原貞慶の魔の手を辛うじて逃れた日岐氏には、利用価値があったとみるべきか・・・。

武田が滅亡しても、安売りせずに小笠原軍を翻弄し存在価値を誇示した日岐氏の処世術は立派だったのである。

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山麓にある日岐氏代々の墓所。

後世の評価があまり芳しくない小笠原貞慶だが、織田信長に高家としての待遇を受け、武田討伐における外交官として才能を発揮した事実を知る人は少ない・・・・残念だ・・・・(笑)

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日岐屋敷跡から臨む日岐城全景。

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宮坂武男氏の縄張図。

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宮坂武男氏の鳥瞰図。小ぶりながら守りについて計算された山城です。

≪日岐城≫ (ひきじょう)

標高:625.0m 比高125.0m
築城年代:不明
築城・居住者:日岐氏
場所:東筑摩郡生坂村日岐陸郷
攻城日:2011年11月5日 
お勧め度:★★★★☆
城跡までの所要時間:水鳥公園より徒歩20分
見どころ:郭、大堀切、城跡からの景色

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Posted on 2011/11/10 Thu. 22:47 [edit]

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コメント

いい立地してますなあ

この城、行こうとして時間がなく断念した思い出あります。
しかし、犀川が周囲を流れ、良い立地ですなあ。
本郭付近の堀切がしびれます。
眺めも良いですね。遊歩道、よく整備されていますなあ、感心します。

あおれんじゃあ #- | URL | 2011/11/11 21:57 * edit *

Re: あおれんじゃあ様へ

あお師匠、ここの立地は牧之島城を彷彿とさせる、流石の猿飛びですね(笑)

容赦無き復讐劇で知られた小笠原貞慶もさぞかし難儀を強いられたと思われます。
大手からの攻城に備えた面白い城で、二の郭と三の郭は捨て郭として本土決戦を想定したのかもしれません。

船渡し場や屋敷への道路には番所があり、三角州を城塞に見たてた堅固な作りです。
地元の方に大切にされている城跡なんだなーと嬉しく思いました。

らんまる #- | URL | 2011/11/12 07:37 * edit *
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