らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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岡城(上田市)  

◆第四次川中島合戦の前線基地◆

ここ一週間、胃の鈍痛がひどくて眠れない日が続く。やむを得ず医者に行くと「胃酸過多」だという。

夜の主食はアルコールなので、胃が反乱を起こしているらしい・・・・(笑)

だんだん無理のきかなくなってきた体を労わってあげないと、信州統一戦も夢のまた夢で終わるやもしれぬ。

岡城 (3)

岡城は浦野川の河岸段丘上に築かれた武田流城郭の特徴を残す平城である。

三日月堀を伴った丸馬出しを3個所の虎口に配置している。また本郭周囲に弧状に外堀を巡らせ、比較的低い土塁で城域を構築している。(残念ながら丸馬出しは3つとも壊滅している)

昭和30年代以降の団地や住宅の建設、耕作地の改良等により保存状態は良くないが当時の面影は残っている。

岡城 (13)
巾の広い外堀跡。右の民家の右側が大手口であり、丸馬出しがあった。

岡城 (4)

岡城の築城時期は不明だという。

天文二十二年(1553)に村上義清を坂城・塩田から放逐し軍事拠点として利用していた塩田城は、永禄四年(1561)から文献に登場しなくなる。

個人的には北向きで日の当らないジメジメした塩田城を信玄が嫌ったのではないか?と想像する(笑)

立地としては、大門峠を越えて丸子から砂原峠経由で塩田を抑える場所(鎌倉街道)で、また室賀峠の入り口として北信濃への進軍も容易な位置である。青木沓掛へ向けては保福寺峠経由で深志との連携にも最適の要衝だった。

北信濃の覇権を巡り上杉との攻防が激化していく過程で築城され、塩田城から前線基地としての機能を移されたのであろう。

岡城
城跡の最高地点の高土塁にある岡城公園。恐らく物見櫓があったと思われる。

「千曲之真砂(ちくまのまさご)」の記述によれば、馬場美濃守信房が築いたとされるが、確証は無い。

okaimg002.jpg
尾見智志氏(上田市教育委員会)による縄張図。本郭への出入りは食い違い虎口である。

城内には井戸が7ヶ所あったとされるので、駐留軍の為の宿城としても機能していたと思われる。

本郭跡は現在市営住宅団地になっていて、内堀も壊滅している。

外堀内側の周囲は犬走りが周回している。厳重な防禦体制を示す遺構である。

岡城 (9)

残念ながら三日月堀と丸馬出しは跡形も無いが、東と西の場所は以下の写真である。

oka (2)
西側。三日月堀も丸馬出しも無いが土塁と虎口が僅かに確認出来る。

oka.jpg
東側。かなり無理してみた。

熾烈な戦いとなった第四次川中島合戦では、ここを経由した武田の軍勢が北信濃の決戦へ向けて出陣したのであろう。

川中島四郡の支配を確立したあとは、この城の重要性は薄れたと思われる。

武田滅亡後に、真田昌幸がこの城を本城としていたら現在の上田市の市街地はこのあたりになったのだろうか?と思うと興味深いものがある。

okaimg001.jpg
昭和45年頃の岡城跡(上田市教育委員会)大手の丸馬出し(水田)が確認出来る貴重な資料だ。

≪岡城≫ (おかじょう) または岡村城(おかむらじょう)

標高:484.8m 比高10.0m
築城年代:不明
築城・居住者:武田氏
場所:上田市大字岡字古城
攻城日:2009年5月4日 
見どころ:堀跡、土塁、犬走り
お勧め度:★★★☆☆
城跡までの所要時間:5分
参考文献:信州の古城(郷土出版社 2007年)









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Posted on 2011/11/17 Thu. 22:59 [edit]

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