らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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西条城(筑北村)  

◆青柳城の南口を守る堅城◆

各個撃破などと口では云うものの、見知らぬ土地で攻城戦を行うには、城の位置を特定する事は実に困難なのです。

筑北村(旧坂井村・旧坂北村・旧本城村)に進軍し、それなりにある程度場所を確認出来ても辿りつけるかは別問題な訳です・・・(汗)

本日ご紹介する西条城(にしじょうじょう)は、三度目にしてようやく探し当てた疲労困憊の山城です(笑)

nisijyouIMG.jpg
作戦図というかおバカな進軍の奇跡軌跡(?)

第一回目:長野道の護岸壁を迂回し817mの三角点が城跡だとして突撃。しかし何の遺構もなく、仕方無しに北の807m地点へ移動するも発見出来ずに退却を余儀なくされる。(比高160m)

第二回目:正面突破を諦め裏手の別所川流域の川山集落にそれらしき看板と山頂を見つけ進軍。頂上は恐ろしい岩場の連続になり廃寺まで発見する。城跡に虚空蔵堂はあるらしいが、寺など無いはずで撤収。(比高150m)

西条城(筑北村) (4)
さりとて、素晴らしい眺望。足元は岩場で強風の中での命懸けの撮影。

西条城(筑北村) (9)
ふと下を見ると廃寺がある。全くの見当違いに絶望感を覚え、「もはや これまでか・・・」

午前中の3時間を費やしてしまい、昼食後は方針を変えて対面の東条城(ひがしじょうじょう)を攻略する。
※その日記は後日。

そして午後3時を過ぎる。

「このまま西条城を諦めていいのだろうか??」

宮坂先生の山城探訪には「整備された遊歩道から登るルートがあり、歩きやすい」と記載を想い出した。

長野自動車道側のルートをもう少し探してみるか・・・・  このことである(笑)

高速道路の架橋を抜ける道は都合四ヶ所。三番目に辿り着いた場所には確かに遊歩道があったのだ。

西条城(筑北村) (11)
釜坂遊歩道の看板

西条城(筑北村) (3)
確かに西条城とある。(ちなみに観音堂とは間違えて登った場所の廃寺なのだ)

第三回目:据え膳食わぬは武士の恥と思い、既に限界を迎えた老体に鞭を入れ攻城開始。夕闇が迫る前に攻め落とし帰還しなければ、何が出てくるか恐ろしい。

西条城(筑北村) (13)
これが動く遊歩道だったら嬉しいのに(悔)

西条城(筑北村) (18)
城跡への階段が「天国への階段」に思えた地獄の登り坂。

搦め手の尾根を登る事15分で最終曲輪にヘバリ着く。

西条城(筑北村) (21)

午前中に獣道ばかり彷徨っていた小生には、ご褒美の輝きにも見えた(笑)

主郭へは二本の堀切を穿っている。

西条城(筑北村) (22)

西条城(筑北村) (23)

西条城(筑北村) (24)
堀底から主郭の高低差はかなりのものだ。

矢竹で覆われた25×12の主郭には説明板と休息用の小屋がある。

既に地元の住民ですら訪れる事は無いのだろうか。荒れ放題なのが淋しい。

西条城(筑北村) (28)
本郭跡。

長野県町村誌によれば「西条山古城跡、村の西にアリ。南北十一間 東西七間半 応仁年間(1467-68)鬼熊左衛門(おにくまさえもん)の築く所にて天文年間(天正だと思う)青柳氏を援けて 小笠原氏の襲兵を立峠に防ぎ、戦敗れて兵を退けんとす。帰路敵の返る所となり、山中に近侍とともに自尽して死す」とある。
※立峠は西条城の南にある会田虚空蔵山の裾を通り会田の里と麻績村を結ぶ重要な古道であった。

武田氏に降った青柳氏は武田氏が滅亡すると上杉景勝に属したが、小笠原貞慶が長時の旧領である深志を回復すると、父を裏切り武田に味方した諸豪族に対して熾烈な報復戦を行い青柳氏もその例外ではなく、麻績の地も幾度か戦火にまみえた。鬼熊氏はその時の青柳方で西条城の城将だったのであろう。

西条城(筑北村) (31)
本郭から二の郭を見下ろす

西条城(筑北村) (34)
17×11二の郭。掘立小屋の中には虚空蔵様が安置されている。

対面の東の峰には東条城がある。
2つの城を青柳城の南口の抑えとして、会田方面や明科方面からの侵攻に備えたと思われる。

西条城(筑北村) (29)

東条城の緩慢な縄張りに比較すると、堅固な縄張りで加工度も高い。

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宮坂武男氏による縄張図。

小笠原貞慶軍を相手に籠城策を捨て、立峠での迎撃戦に及んだ鬼熊氏だったが戦場の露と消えた。

恐らく籠城しても青柳本体の後詰めは期待出来なかったのかもしれない・・・。

西条城(筑北村) (37)
二段で構成される三の郭。

西条城(筑北村) (38)
三の郭先には、大手口を遮断する二条の堀切がある。(右方向は水の手、左下は小仁熊集落への大手道)

上杉vs小笠原の争奪戦の舞台となった筑北地方。毎年双方の軍の放火が相次ぎ、一面焼け野原だったようだ。

いつの時代も一番の被害者は集落の民であり、その嘆きは計り知れない。

小笠原貞慶に降った青柳氏は、その後やはり謀殺され滅亡する。

貞慶が徹底殲滅を誓った裏切り者への復讐の執念恐るべし・・・・(汗)

西条城(筑北村) (57)
西条城全景(小仁熊下の集落より)

≪西条城≫ または小仁熊城(おにぐまじょう)

標高:793.0m 比高155.0m
築城年代:不明
築城・居住者:青柳氏、鬼熊氏とも
場所:東筑摩郡筑北村西条字小仁熊
攻城日:2011年11月23日 
見どころ:堀切、土塁、曲輪群など
お勧め度:★★★★☆
城跡までの所要時間:20分
参考文献:「図解山城探訪 第五集 松塩筑史料編 宮坂武男著」

西条城(筑北村) (55)
長野自動車道の下を潜る「麻績26」のトンネルが城跡への目印です。


















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Posted on 2011/11/25 Fri. 18:00 [edit]

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コメント

No title

らんまる様こんばんは
こちらの城はネット初登場でしょうか?貴重ですね。

同じ城に3回も挑戦するというのは、並大抵の根性ではありませんねv-8

それらを殲滅した神の偉業には感嘆するしかありません。

それはともかく、記事にある観音堂・廃寺というのに興味がそそられますね。
どんな歴史を見てきたのでしょうか?

大垂水 #- | URL | 2011/11/26 19:36 * edit *

Re: 大垂水さんへ

いつもご来城頂き、かたじけのうござりまする。

マイナーな城にこそスポットを当てなければいけない!と変な(?)義務感ばかりです(笑)
小笠原貞慶の執念には及びませんが、この先も遭難ごっこが続きそうな予感がしますネ(爆)

足元にある観音堂には下りてみたかったのですが、岩場から転落しそうだったのでやめました・・・(汗)
明治初期は学校だったようです。
往時は別所川沿いの集落の拠点だったようですが、現在は僅か数軒の民家が点在し過疎化も深刻みたいですね。

らんまる #- | URL | 2011/11/27 08:56 * edit *
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