らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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七尾城(七尾市)  

★謙信公も感嘆した能登の名城★

こんばんわ。
一泊二日で往復700㎞の北陸路の旅をしてきました。

どうでも良かった(?)金沢城の初日は晴天。今回の旅の目的だった翌日の七尾城は土砂降りの雨。

ま、雨に煙る山城探訪は初めてじゃないんで、それはそれで風情があって良しとしますか・・(笑)

金沢旅行記 142
七尾城の本郭跡から望む七尾湾。神様がチョットだけ雨を避けてくれました。
◆守護大名だった能登畠山氏の居城◆

七尾市といってもピンと来ない諸氏には能登半島にある名湯和倉温泉の近くとでも云えば分かるかもしれませんネ・・(笑)

金沢旅行記 127

室町幕府の有力家臣だった畠山基国が能登国の守護大名に任ぜられてから170年の間、七尾城は拡張を続け山全体を集合城郭として、近隣諸国の攻撃や加賀一向一揆に耐えうる強固な山城としての集大成をみました。
しかし、周辺諸国が戦国大名の進出により変化していく中、旧態依然のままだった能登は弱体化し遊佐(ゆさ)、温井、長(ちょう)、三宅などの有力家臣である畠山七人衆の合議制となり家臣団の内部抗争も激化していきます。

金沢旅行記 130
調度丸から畠山家の重臣だった遊佐屋敷跡への登り口。野面積と呼ばれる石垣。

1576年、越後の上杉謙信が攻め入りますが、籠城戦で1年近く持ちこたえて一度は撤退させます。
しかし越中、加賀方面を平定してきた織田信長の脅威にも晒され、畠山家の重臣たちは上杉方、織田方に別れます。
翌年に再度上杉謙信に攻められた折、織田信長に援軍を求めた長一族らは城内で上杉方の遊佐氏らに謀殺され城主の畠山氏も疫病で亡くなり七尾城はついに落城します。(能登畠山氏の滅亡)

金沢旅行記 131
桜馬場を囲む5段の石垣。美濃岩村城を思い出させる美しさ

「霜は軍営に満ちて秋気清し・・・」上杉謙信が七尾城攻めで読んだ九月十三夜はこの時に作られたとも云われています。

金沢旅行記 145
雨で煙る七尾城本郭跡

その謙信も半年後に病没し、能登は織田信長の支配下となり前田利家に与えられます。
前田利家も一度は居城としますが、不便な山城を捨て能登湾の入り口に新たに小丸山城を築き能登城下を整備するに至り七尾城は廃城となったようです。

金沢旅行記 133

平安時代より日本海の玄関港として朝鮮や中国との交易の中心だった能登半島。
畠山一族が170年もの間支配出来たのは、貿易による莫大な収益があったせいかもしれません。
それゆえ、朝倉氏と同じように貴族社会を模倣して時代の流れを見誤ったのが悲劇の始まりと思うのは私だけでしょうか・・。

攻城日:2009年10月18日 天候:土砂降りの雨
場所:石川県七尾市府中  ※車で行けます。駐車場あり。
時間:一周すれば約50分。事前に予約するとボランティアのガイド説明も受けられるとか。
みどころ:石垣、本郭からの景色など
その他:山麓には七尾城資料館があり出土品などが展示されています。






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Posted on 2009/10/20 Tue. 12:40 [edit]

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