らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

0316

内小屋館(上田市)  

◆城館一体型の中世の城を考察出来る秀逸の場所◆

寒の戻りも峠を越えたらしく、ようやく平年並みの気温に戻りつつある。(ってか戻るの遅過ぎでしょうが・・汗)

山城を心ゆくまで堪能出来るシーズンは木々の葉の落ちた晩秋から春先であり、信州では四月中旬までであろうか。

雪に阻まれ、例年の半数以下の城しか落とせず焦るばかりだが、四月のシーズンの〆切りは近い。


内小屋館 (10)
西の堀切跡から見る内小屋館跡(推定)

今回ご紹介するのは、横尾氏と真田氏が居館を構えていたであろうと推定される内小屋館。

前回掲載した打越城の南西、尾引城からは南東に位置し、信綱寺の参道の入口手前の台地がそれと推定されている。

東西100m×南北50mの広大な屋敷跡は、西側に川が流れ、周囲を崖に囲まれた天然の要害である。

内小屋館 (11)
館跡に建つ多宝塔。

長野県町村誌の「尾引城」の記載に関連して内小屋館に関する記載があるが、それによると横尾采女守が築き西に堀切、南に追手があり、村上義清の攻略により落ち、村上が敗れると壊されたという。

内小屋館 (13)
西の堀切跡からは目と鼻の先に尾引城がある。

真田氏の領有時代になっても、松代街道を抑える要害としては重要視され何らかの居館があったと思われる。

真田幸隆による尼巌城攻略にも前進基地として利用されたのかもしれない。

内小屋館縄張

長谷寺に幸隆の墓所があり、打越寺(信綱寺)に信綱・昌輝兄弟の首級を葬った墓所がある事を考えると、家督を継いだ幸隆の嫡男信綱の屋敷があったのは間違いなく、それを考慮した昌幸が菩提寺を建て替えたというのも頷ける話である。

内小屋館 (15)
西側から見た城館跡。高台の平地で崖下には川が流れている。

内小屋館 (17)
追手門にも堀切があったのだろう(宮坂武男氏の推定を写真にあてはめてみた)

城館一体型の中世城郭を考察する上で、真田町にある真田氏居館跡と、横尾集落にある内小屋館跡は防禦構造が良く似ている事に気がつく。

松尾新城(真田本城)詰城として天白城、尾引城の詰城として長尾城。

山城という概念を捨て、政庁兼平城という信玄公の発想を踏襲し上田城で具現化した昌幸は、さすがなのである。

内小屋館 (12)
内小屋館から見る長尾城。未踏破なので、そのうちご紹介したいと思う(笑)

≪内小屋館≫ (うちこややかた)

標高:698m 比高8m  
築城年代:不明
築城・居住者:横尾氏、真田氏
場所:上田市真田町字横尾内小屋
攻城日:2012年3月11日 
お勧め度:★★☆☆☆
城跡までの所要時間:5分
見どころ:広い郭
その他:近くには尾引城、長尾城、信綱寺がありセットでお勧め。
参考文献:「図解山城探訪 第三集 上田小県資料編 宮坂武男編」




スポンサーサイト

Posted on 2012/03/16 Fri. 21:56 [edit]

CM: 0
TB: 0

« 桑原城(諏訪市)  |  打越城(上田市) »

コメント
コメントの投稿
Secret

トラックバック
トラックバックURL
→http://ranmaru99.blog83.fc2.com/tb.php/258-22e3e9ba
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

城主からのご挨拶

地域別攻城戦記

諸国在住の皆さまのありがたき進言

もののふ入城者数

在城中の「もののふ」

攻城戦記年表

▲Page top