らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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沼田城(沼田市)  

★徳川家に嫌われ破壊された、もう一つの真田の城★

全然関係ないのですが、最近TBSの日曜劇場「JINー仁ー」にハマってます。
現代から突然幕末にタイムスリップした脳外科医のドラマなんですが、結構面白い。
坂本竜馬や勝海舟、緒方洪庵・・といった幕末の有名人が絡むんですがリアルでイイです、ハイ。
日曜劇場JIN-仁-

真田昌幸が築城した上田城は、関ヶ原合戦後に徳川軍によって徹底的に破却され田畑になりました。東軍に味方し、父の領土を引き継いだ長男の真田信之が幕府に再興を願い出ても許可されることはありませんでした。

現在の上田城は、真田信之が松代に移封されたあとに隣の小諸より転封してきた仙石忠政が幕府に許可されて再興したものです。

実は松代藩真田家より分家した上州沼田藩真田家の沼田城も改易後に徹底して破却されました。

numata01.jpg
三代将軍家光時代の正保城絵図に描かれた沼田城の縄張り。五層の天守閣が存在します

◆上州の重要拠点だった沼田◆

沼田城は1532年この地方の豪族だった沼田万鬼斉顕泰が築城したといわれる。
上州の地は戦国時代には上杉、北条、武田が三つ巴の争奪戦を繰り広げ沼田氏は謙信の庇護を受ける。謙信の死後、御館の乱が勃発すると沼田家は内紛が起こり会津の蘆名氏を頼って逃亡。
どさくさに紛れて北条氏が城代を送り支配するも、甲越同盟が成立すると武田勝頼が真田昌幸に沼田攻略を命じ奪取します。

沼田城・名胡桃城 006
沼田真田家二代当主真田信吉が建てたと云われる城鐘(県重要文化財)

武田滅亡後に織田信長より上田と沼田の所領を安堵された昌幸ですが、本能寺の変で織田が倒れると北条⇒徳川と主を替えて生き残りを図ります。

そんな中、会津に逃れていた沼田万鬼斉の孫である平八郎が沼田城に攻め入ります。
魔利支天の再来とも云われ武力に秀でた沼田平八郎は戦いを有利に進めるものの、真田昌幸の謀略にかかり城内で討ち取られ、ここに沼田氏は滅亡します。

沼田城・名胡桃城 011
平八郎の首が置かれた「平八石」。別の場所に埋葬された胴体を求めて首が飛んで行ったという伝説が残っています

その後、上田城の築城許可を昌幸に与えた徳川家康は諸将に命じて上田城の築城を手伝うよう命じます。

のちに徳川軍を二度も蹴散らした上田城は実は「徳川の築いた城」だった訳です(笑)

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せっかくなので、上田城のショットを載せておきます

武田家の旧領の争奪戦で徳川と北条は対立してましたが(天正壬午の乱)、和睦することになりその条件には「沼田領」の引き渡しがあり、家康は昌幸に無断で承諾してしまいます。

怒った昌幸は「沼田は先祖代々苦心して獲得した領土であり、到底承服できない」と云い放ち、徳川家康と訣別。事もあろうに敵対していた上杉景勝に人質として幸村を差し出し庇護を求めます。

こうした背景を要因に第一次上田合戦へ突入していくのですが、この戦いは大局的に見ると

「上杉VS徳川」。もちろん上杉方には豊臣秀吉が加担していたのは言うまでもありません。

沼田城・名胡桃城 008
僅かに残る沼田城の石垣

やがて徳川家康が小牧長久手の戦いを経て豊臣秀吉に臣下の礼をとると、真田昌幸は秀吉の命により家康配下の武将となります(この時の家康と昌幸の心境はいかに・・・)

秀吉は北条への懐柔策として、名胡桃城以外の真田氏所領の沼田領を北条家に引き渡し上洛を命じますが、時代の読めない北条氏は頑なに拒否し続けます。

その間、北条氏の沼田城代だった猪俣能登守が真田家城代鈴木主水の守る名胡桃城をだまし討ちにして奪取。これが秀吉の出した「関東奥州惣無事令」に違反したとして北条攻めのキッカケになってしまいました。(一説には昌幸と秀吉が予め仕組んだ罠らしい・・・さすが謀略の名手)

沼田城・名胡桃城 013
沼田城から名胡桃城方面。僅か数キロ先に真田の城があれば潰しておきたいと思うでしょうネ

北条征伐後に沼田領は約束通り(?)真田昌幸の長男の信之に与えられます。
沼田藩主となった信之は1597年に五層の天守閣を造営します。

関東地方の大名の城郭で五層の天守閣があったのは江戸城と沼田城の2つだけです。

沼田城・名胡桃城 009
天守閣のあった場所と石垣の跡。

真田信之から数えて五代目の信澄の時に、江戸両国橋用の材木出しの遅延と藩政の失政を幕府より咎められて改易(取り潰し)。翌年、五層の天守閣を含めた城は幕府により徹底的に破却させられてしまいました。
※この時すでに江戸城の天守閣は火事で焼失。沼田城の五層天守閣が関東唯一でした。
※信澄の長男は播州赤穂藩浅野家へお預けとなりました(赤穂浪士でおなじみです)

結論・・・「真田はやはり徳川の天敵だった」

坊主憎けりゃ袈裟まで憎いってか!(失言)

もしかしたら真田直系の五層の天守閣が見れたかもしれないのに何てことをしたの!!

沼田城・名胡桃城 016
今でも本丸の堀跡には天守閣の残骸が眠っているらしい・・

名胡桃城の功城戦記はそのうちに(いつになるやら)

攻城日:2008年6月7日
見どころ:これといった遺構が少ないのですが、雰囲気だけでも・・
その他:名胡桃城とセットで見学すると良いでしょう。(沼田から車で10分くらい。駐車場アリ)
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Posted on 2009/11/03 Tue. 16:18 [edit]

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