らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

0330

上野屋敷の館・日向の館(上田市)  

◆松尾城の麓を抑える二つの城館◆

松尾古城は、「らんまる攻城戦記」のブログを始めるキッカケとなったルーツの山城である。

ちあきなおみの「♪あれは三年前・・♪」という歌詞を思い起こすが、三年前ではなく四年前の終戦記念日の攻城であった(笑)

誰もが感嘆する総石積みの本郭が松尾城の真骨頂というが、小生は当時も今も疑念の思いは払拭出来ていない。

そんな事を書くと叱られそうだが、あまりにも不自然過ぎて宗教儀式のための造作物だと思うのである。

300近い城跡を見てきたが、遠見番所ともども再検証してみないと結論は出そうにない(汗)


上野・日向居館 縄張図 ②
尾根の西(左側)は、上野屋敷居館とその背後の郭群で、東(右側)は日向遺跡を含む居館跡。


【上野屋敷の館】

松尾城の南西山麓に位置し、峰を隔てた東側には日向の館がある。
角間峠の入り口であり、北へ向かえば城っ平城のある和熊川の古道や鳥居峠に通じる要衝の地である。

確かな伝承は無いが、2000年発刊の「真田町の遺跡」(真田町教育委員会)によれば、中世の遺跡であり発掘調査では陶器やかわらけが出土したという。

上野屋敷の館 (14)
現在「さなだ園」という食堂付近の地名が上野屋敷と呼ばれている。

道路より寸断されたようだが、食堂から鉄塔を経由した松尾城の大手口に至る斜面には概ね五段に及ぶ段状の郭跡が確認出来る。

上野屋敷の館

耕作地ではあるが、農道による改変を除けば往時のままなのかもしれない。

居館(根小屋)が食堂付近とは考えづらく、台地にある1・2・3の郭のいずれかに建っていたと思われる。

上野屋敷の館 (10)

鉄塔から大手口に至る部分にも2段の郭があるが、狭くて小屋掛けには適していない。

松尾城・遠見番所を維持するためにこの場所に居館があったのは事実であろう。

上野屋敷の館 (11)
5の郭の先は尾根先でもあり、角間峠方面に向かう街道を掌握出来て、真田本城との連絡も容易であった。

立地と縄張は先日ご紹介した「城っ平城」と良く似ている。

上州と信州に跨る領国を経営する真田家にとっては最重要視された城と館であった事は間違いなく、それなりの家臣が在住したと思われる。

上野屋敷の館 (16)


【日向の館】

立地は日向遺跡経由での松尾城への登り口として整備されている場所で、館の跡は区民広場から神社を経由し西側の水田を含めた一帯である。

区民広場から阿弥陀堂・神社に連なる場所は、その昔常福院という真田家の菩提寺があり日向遺跡は常福院の境内にあたる部分だったらしい。

日向の館 (6)
常福院の跡地と伝わる広場。

日向遺跡の説明板には「この地は真田氏の最初の居館跡と考えられている。遺跡の西側部分になり、発掘調査の結果、五輪塔、宝塔を墓標とし火葬骨を埋葬した墳墓跡であることがわかった。石塔群の形態からみて室町時代にかけての遺構と考えられ、付近の歴史的考証から、真田氏に関係があるとみられる」

日向の館 (7)
日向遺跡。


そういえば、何かの本で(忘れてしまった…汗)

「日向にあった真田家代々の墳墓は、真田幸隆が海野平の合戦で敗れ上州に逃れる際に、幸隆自身が徹底して破壊したという説も捨てきれない」

とあったのを思い出した。

日向の館 (5)
遺跡前にある石積み。松尾城の本郭と同じ形と積み方なのである。


「過去を消した男」

異様に興味をそそられた記憶が蘇る。

大塔合戦の頃の実田氏は真田郷の土豪の中でも横尾氏や曲尾氏よりも弱小で格下の家柄であったという。

日向の館 (8)
区民広場の周囲は執拗なまでの石積みに囲まれている…なんで??

「黒く塗りつぶせ!!」  このことである。

名門である滋野氏系の海野氏を名乗るには、過去を消すしかない。

金で家系を買える時代ではなかったとすれば、塗り替えるしかない。凄い発想ではある(汗)

しかも自分が故郷に復帰することを前提として破壊しているのだ。

まあ、根拠の無い妄想は広がるが、あながち可能性はありそうだ…(汗)


日向の館 (10)
東に広がる居館跡。この石積みが往時ものという確証が得られない。


日向の館は「真田氏総領の館」みなたいな書かれ方をしている場合が多いがどうであろうか。

確かに重要拠点ではあるが、奥に引っ込み過ぎている感じは否めない。

それ相応の身分の者が居住したのは時事tかもしれないが、謎は謎のままである。

日向の館 (2)


≪上野屋敷の館・日向の館≫ (うえのやしきのやかた ひなたのやかた)

標高:823m (上野屋敷の館)
標高:843m (日向の館)
築城年代:不明
築城・居住者:真田氏
場所:上田市真田町長 角間
攻城日:2012年3月20日 
お勧め度:★★☆☆☆
城跡までの所要時間:いずれも5分程度
見どころ:郭跡、石積みなど
参考文献:「図解山城探訪 第三集 上田小県資料編 宮坂武男著」


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Posted on 2012/03/30 Fri. 07:31 [edit]

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