らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

0410

松尾城 遠見番所(上田市)  

◆攻めずに後悔するくらいなら、攻めてみて戦を語るのだ◆

松尾城を掲載するWEBサイトは多いが、その先にある遠見番所まで攻め込んだ兵(つわもの)は少ない。
小生が調べた限り登山家を含めて4名程度が遠見番所の記事を掲載しているに過ぎない。

その勇気と無謀さには心をこめて拍手喝采を送りたい・・・・(笑)

いわゆる「ビョーキ」である(爆)

しかし、彼らのビョーキに負けたくないので意地でも攻めてみたいと思った。重症である(笑)

遠見番所 (31)
松尾城の標高は1,033m。遠見番所は1,370m。


実は2008年の8月に一度チャレンジしたのだが、事前調査不足で鉄塔付近と勘違いしてリタイヤしている。

山麓まで車を走らせたまでは良かったのだが、異常な高さに怖気づいた。

「やっぱ止めようかなー」

前日諏訪遠征から帰還したばかりの言い訳である(汗)

松尾城 (26)
松尾城の本郭。


とりあえず松尾城の再調査も兼ねていたので、本郭で昼飯食べながらどうしようか決める事にした(笑)

昼飯食べても迷いがあったので、堀切調査しつつ考える事にする(優柔不断なのである)

「さて、とりあえず鉄塔までは行ってみますか・・・」  このことである。

遠見番所 (1)
14番鉄塔から見る上田方面。いつ来ても素晴らしい風景である。


松尾城から距離にして500m、時間にして30分でNo14の鉄塔に辿り着く。

ここまで来た以上、止める訳にはいかず進軍を開始する。

「残り500m」

遠見番所 (27)
夏なら藪漕ぎ必死の尾根を登り続ける。


この坂を越えたら・・とか、あの岩の向こうが・・とか はずれクジばかりでもとにかく進むしかない。

「これは郭なのか?」

鉄塔から既に30分経過してようやく城域に達する。

遠見番所 (23)

しからばその後ろには・・・・コの字型の石積みで囲われた堡塁があった。

「ようやく辿りついたゾ・・・・」 このことである(笑)

遠見番所 (9)
かなり崩れてきているが内部は3×4程度の広さ。

遠見番所 (12)
背後からみた堡塁。往時は松尾城本郭と同じ高さの石積みがあったらしく周囲に崩れた石が散乱する。


遠見番所縄張図②
地図上の場所の特定はかなり悩んだが増尾山(1440m)の頂上ではなく手前である。

郭の背後は緩やかな傾斜となり二本の堀切跡が確認出来る。

遠見番所 (14)

二重堀切だと断定は出来ないが、この山奥の稜線上でこの防御は凄い。

峰続きの和熊岳(1644m)からの山岳ゲリラ兵に備えたのだろうか。(ってか考えすぎでしょー)

遠見番所 (19)
背後に続く郭からみた主郭。

周囲の雑木林がなければまさしくピカイチの展望で大日方の和熊の沢や角間峠・鳥居峠からの侵入や異変を察知し真田の諸城に狼煙などで伝達したのであろう。

でもねぇ、見張り番 嫌だっただろうナー(笑)

遠見番所 (17)
東には烏帽子岳が見える。

遠見番所 (21)
二重堀切の上は郭らしき平削地があり、増尾山山頂へ続いている。


松尾城からの比高は約330mで山麓からなら444mに及ぶ。

行けども行けども辿りつけない焦燥感は南魚沼の坂戸城を攻めた時以来である。


ちなみに今まで攻めた城の比高差のベスト5は以下の通りだ。

1.虚空蔵山城(上田市・坂城町) 647m  (標高1,080m)
2.清滝城(長野市 奇妙山)   617m  (標高1,100m)
3.京ヶ倉(生坂村 大城)     505m  (標高990m)
4.坂戸城(南魚沼)         468m  (標高633m)
5.遠見番所(上田市)       444m  (標高1,270m)


「もう二度と行きたくない・・・」

遠見番所を攻めた人々の感想である。小生もそう思う(笑)

しかし、この城跡を実際に目にした事は、一生の宝物であったと思う日が来ると願ってやまないのである‥(爆)


≪松尾城 遠見番所≫ (まつおじょう とおみばんしょ)

標高:1370m 比高:444m
築城年代:不明
築城・居住者:真田氏
場所:上田市真田町横沢字日向
攻城日:2012年4月8日 
お勧め度:★★★★★(満点??疲れたご褒美である)
城跡までの所要時間:松尾城から60分
見どころ:郭、堀切、石積の堡塁
参考文献:「図解山城探訪 第三集 上田小県資料編 宮坂武男著」

遠見番所 (30)
遠見番所遠景。



















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Posted on 2012/04/10 Tue. 07:16 [edit]

CM: 12
TB: 0

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コメント

おめっとさん

征服、祝着至極、すんばらしい。
青空に映えますね。基本的には松尾古城と似たイメージですね。
石垣がいいです。小さいけど。ここに到達したことがステータスです。
ところでここの当番さんは、泊まり込みだったんでしょうかね。
夜は冷えるでしょうねえ。
それとも毎日、交代?
ともかく、昔の人は凄いです。体力も気力も。

あおれんじゃあ #- | URL | 2012/04/10 20:38 * edit *

Re:あおれんじゃあ様へ

師匠、コメントありがとうございますw

真田の山猿とは良く云ったもので、猿ヶ城にしても角間の鬼ヶ城にしても常人の常識を超えた城が集中しております。
ゲリラ兵を迎撃するPAC3みたいな砦の数々には恐れ入りました(笑)
ピーカンの晴天なれば「攻めなきゃ損」で出陣しましたが、途中で何度挫けそうになったことでしょうか(爆)

人生の終焉の折には、きっと走馬灯の如く浮かぶ風景になると思われますネ(笑)

らんまる #- | URL | 2012/04/10 20:55 * edit *

到達おめでとうございます!

らんまる様 遠見番所到達おめでとうございます。

 私は松尾古城で帰って参りました。

 私はらんまる様の記事を拝見し、遠見番所へ行った気に
なり人生をやり過ごそうと思います。

 江戸時代もお伊勢参りへ行った人の話を聞いて、参内し
たと同じ御利益を願う風習があったとのこと・・・

 ところで、近日中に麻績城か、千見城に詣でたいと思って
おりますが、雪は溶けておりますでしょうか?

 ご教授頂ければ恐悦至極に・・・

武蔵の五遁 #- | URL | 2012/04/10 21:24 * edit *

Re:武蔵の五遁様へ

これはこれは武蔵の五遁殿、祝辞などと甚だはもったいのうござりまする。

もはや意地だけでございました(笑)
背中に背負うものは弁当の残骸と幾ばくかの水筒の入ったリュックで十分でございます。

皆さまの想いなど連れていかれたかどうかは神のみぞ知る事でございます。

して、虚空蔵山古城に行かれますか・・・。
あそこは南向きの斜面にて雪は溶けておると思いますが、千見城は小生も攻め入った事もなく北にあれば、今しばらく猶予が必要かと存じます。

さてさて、時間が許せば太刀持ちなどで助っ人の儀に馳せ参じるべきところなれど、四月は儀式多く面目も無き次第でございます。
ご都合お聞かせ頂ければ、麻績古城は案内役も出来るかと思うておりまする(笑)

らんまる #- | URL | 2012/04/10 21:42 * edit *

ありがたきお言葉!

らんまる様

 お返事ありがとうございます。

 麻績古城をご案内いただけるとのこと、有難うございます。

 らんまる様がご一緒なら、見落としがちな遺構もすべて、見
逃す心配はありませんね。

 お言葉に甘え、連休明けか夏前頃に日程の御相談をさせて
頂きます。

 よろしくお願い申し上げます。

武蔵の五遁 #- | URL | 2012/04/11 11:59 * edit *

Re:武蔵の五遁様へ

武蔵の五遁様、承知致しました。

せっかく信濃の筑北までお越し頂けるのであれば、近くの安坂城もご案内いたしましょう。
日程についてはメールアドレスまでご連絡頂ければ幸いでございますw

らんまる #- | URL | 2012/04/11 20:28 * edit *

らんまるさま、コメント遅れて恐縮です。

遠見番所の精査、ありがとうございます!

コの字の石積み、4、500年前の武士が、今でもそこにいるような臨場感を覚えますね。
素晴らしい遺構だと思います。

しかしなぜ、この山の頂上に築かなかったのでしょうか?
いろいろ深謀遠慮があってのことだったのでしょうね(^^

大垂水 #- | URL | 2012/04/15 19:48 * edit *

Re: 大垂水様へ

コメントありがとうございます。

貴殿がその昔攻められた子檀嶺岳城と似たような標高と比高でございます。
そのような場所に詰め所を置く必要があったのかはわかりませんが、確かにいざとなったら逃げおおせる場所には違いないとおもわれますネ(笑)

我々の崇拝する宮坂先生も地図上の場所の場所と標高は誤ったようですが比高は合ってました…(汗)
恐らく二度と攻め入る事はありませんが、この場所に真田家の真髄を見たような気がしましたヨ。

らんまる #- | URL | 2012/04/15 20:55 * edit *

等高線から推測すると

大垂水様と同じ疑問を抱いたのですが、
等高線を見ますと、平場になっていますので
面積の取れる場所を選んだのではないかと
妄想してしまいましたw
もしくは、山頂は気象条件が悪くて城には
適していなかったのではないでしょうか
(風が強くて寒いとか、雲がかかっている日が多いとか)
妄想のしすぎですねw

丸馬出 #- | URL | 2012/04/16 20:13 * edit *

Re:丸馬出様

連コメありがとうございます。

松尾城の詰め城(逃げ込み城)としてはある程度人員を収容し防戦の必要もあったのでしょう。
そうは云うものの、背後の防御は異様としか言いようが無くて、上州から尾根伝いに進軍してくる敵を意識しています。松尾城の複雑な背後の堀切の縄張も然り。
現在では想像出来ませんが、この地方の戦法において山岳ゲリラ戦が主流だったとすれば妙に納得出来ますネ(笑)

らんまる #- | URL | 2012/04/16 21:14 * edit *

Rg:Re:丸馬出

>この地方の戦法において山岳ゲリラ戦が主流だったとすれば妙に納得出来ますネ(笑)

菅平一帯は修験道が盛んだった地域ですから
(米子瀧山不動寺や嬬恋村の熊野権現、角間渓谷の岩屋観音など)
修験者が山岳ゲリラ戦を担っていたとすると
なっとくですねえ。
立山の剣岳に初登頂したと思ったら、
杓杖があったなんて実話もありますしw

丸馬出 #- | URL | 2012/04/16 22:21 * edit *

Re:丸馬出様

芦田五十騎とか、室賀四十騎などと古文書に書かれているのを見ると、信濃の土豪の動員数は騎馬数×歩兵5と見ても250名程度であり、野戦でまともな戦いなど望めなかったと思われます。
小生の山岳ゲリラ戦法などは的を得ない推論として捨て置いても、小豪族の戦術は野武士の夜盗追い剝ぎに近いものだったのでしょう。
騙し討ち‥おおいにありですね。
昌幸が卓越していたのは、岩櫃城に倅の信之、沼田城に叔父の矢沢頼幸を入れたという親族による鉄壁の防御でしょう(笑)

らんまる #- | URL | 2012/04/21 21:52 * edit *
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