らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

0505

宮原城(松本市)  

◆小ぶりながら四重の堀切が見事な山家城の支城◆

GWは後半は家人が横須賀より帰省する予定だったのだがキャンセルとなり、急遽松本市入山辺へ遠征する。

目的は二つあった。

①山辺周辺の未訪問の諸城の制圧。

②山家城の再調査とリバイス。

宮原城 (1)
宮原城の入り口。

まあ、いつもの事ながらスケジュール通りに攻城は出来ず、林小城などは登り口を地元の住民方に聞くと、「いのしかネットの開口部が何処にあるか知らないし、開けたら閉めてくれるんでしょうネ」との冷たい返答でプッツンして止めた(笑)

よそ者は迷惑なのだろうが、オバサン、言い方ってものがあるだろうが!!(怒)

この地域もニホンシカやイノシシの被害が急増し二年前には防御柵などなかったのだが、仕方が無い。

結局は林大城の東にある水番城もネットの入り口捜しになり面倒なので諦めた(笑)

宮原城 (55)
神社を過ぎると右手に桑畑の跡らしい平削地があるので、尾根を目指して登ると堀切㋐に到達する。


で、今回紹介するのは山家城の対岸にある宮原城。WEBでの写真と見取図は初公開であろうか。


攻城軍を移動し、標柱があったまでは良いのだが案内板など何も無く、テキトーにピンクのテープを目印に山尾根に登るが、「なんか変だなあー」

地図を確認すると沢の反対側にいるゾ・・・(汗) これだから田舎者は・・・(充分田舎者です)

体力と時間のロスに腹が立つ(爆) ※良い子はマネしないでネ。

宮原城見取図
かなりテキトーな見取図。

主郭に至るまでの尾根に二条の堀切も珍しい。北側の尾根の勾配が緩く、尾根伝いから麓にかけて段郭を十数段並べても不安だったらしい。

宮原城 (9)
上巾9mの堀切㋐。

宮原城 (15)
堀切㋐を超えると傾斜地を越えて3へ。

宮原城 (20)
郭2。中央に段差を持ち11×20の広さ。


この程度であれば、何処にでもありそうな砦なのだが別名「要害城」と云われる所以はここからの縄張である。


宮原城 (21)
こんな砦に宝石のような防御技術を惜しみなく使っている。

宮原城 (27)
16×8の主郭。背後を土塁で迫り上げて西側以外の周囲は石積み仕様だったと想定される。

宮原城 (26)
主郭から見下ろすと郭2・土塁はこんな感じ。


武田氏滅亡後の小笠原貞慶による改修と思われるが、松本平周辺の諸城とよく似ている。

それは、主郭背後の四重の堀切を見れば頷けるはずである。

宮原城 (30)
まずはバッサリと三本。

宮原城 (32)
上巾9mの堀切㋒

宮原城 (34)
上巾6mの堀切㋓

宮原城 (37)
上巾9m堀切㋔

宮原城 (38)
豪快な竪掘りとなって西側斜面に続いている(堀切㋔)


いかん、また写真をツラツラと並べてしまった(笑)

宮原城 (42)
尾根を断ち切る四連続最終の堀切㋕。上巾10m。


「堀がどこまで続いているのかちゃんと確認する事も大事なんです」

宮坂氏の教えである。

扇沢と呼ばれる美しい堀切(堀底)を持つ「塔の原城」、堀切を迷路のように組み合わせた「竹把城」などは堀底まで降りてみて初めてその機能の素晴らしさが分かる城である。

宮原城も四本の堀切が、まるでバイクのマフラーの集合管(CB400F?…って古いなあー 笑)のように西側斜面で合体しているのだ。

宮原城 (48)
堀底に立つと全て繋がっていて竪掘となり西の沢に続いていることが分かる。

宮原城 (49)
しかし降りたら登らなければならない…攻城兵の苦労が分かるのだ…(爆)この位置なら投石で死んでるナー。


【城主・城歴】(図解山城探訪より)

この城は「信府統記」に記載が無く「長野県町村誌」入山辺村に「要害城址」とある。
「当村中入耕地右本城より酉の方一町を隔て、字古城と云ふ、山の中間にあり。山辺薩摩守昌治築と云ふ。年歴分間詳ならず」とあり、播州姫路より来往した折野薩摩守昌治、後に山辺氏に改名し、山家城主となった人物がこの城を築いたとある。

宮原城 (52)


現在の姿は最終形なので、武田氏時代や武田滅亡後の小笠原貞慶による改修の履歴はわからないが、山家城とともに武石峠方面の街道を押さえる要衝の地として、戦国時代末期まで手を加えられ機能していたのではないだろうか。

マイナーな山城だが、そこにはあなどれない防御技術の進化を見る事が出来る推奨の城である。


≪宮原城≫ (みやばらじょう 要害城)

標高:890.0m 比高120m
築城年代:不明
築城・居住者:山辺氏 小笠原氏?
場所:松本市大字入山辺字宮原
攻城日:2012年5月4日 
お勧め度:★★★★☆
城跡までの所要時間:20分
見どころ:堀切、土塁、石積、西斜面に続く竪堀
参考文献:「図解山城探訪 第五集 松塩筑史料編 宮坂武男著」

山家城2012 (113)
山家城登り口から見る宮原城。














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Posted on 2012/05/05 Sat. 09:00 [edit]

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コメント

らんまるさま、こんばんは。

入山辺の里は、松本の中でもお気に入りの場所です。
なぜか城址が集中していますね。

やはり林城の関係なのでしょうか?

この城もなんとも言えないワビサビを感じずにはいられません。

大垂水 #- | URL | 2012/05/05 21:45 * edit *

こんにちは、ていぴすです。
宮原城・・・すみません・・かぶってしまいました。
自分も今・・書いてました。
宮原城の連続の堀切いいですよね~(●^o^●)
山辺の城は小さい城まで見ごたえがあって。
ゴールデンウイーク中に行かれたんですね、自分も1日に
宮原城に写真の撮り直しの為に登ってたので・・・
お会いしたかったです・・残念です。

ていぴす #- | URL | 2012/05/05 23:45 * edit *

初情報有難うございます。

らんまるさま
 宮原城の存在を初めて知りました。浅学恥ずかしい限りです。
 小規模ながら、しっかりとした造りですね。
 図面があると、攻城意欲が増します。
 図面アップ有難うございます。
 マイ地図にチェックを入れさせて頂きました。

武蔵の五遁 #- | URL | 2012/05/06 06:09 * edit *

Re:マサハレ様へ

いつもご来城ありがとうございます。

貴殿の攻略した三才山砦にいつか挑戦したいと思いつつ付近を通っては異様な高さに腰が引けております(笑)

里山辺周辺はピリッとスパイスの効いた小粋な城が多くて攻めがいを感じます。
宮原城は山家城の対面に位置する城なので、山辺氏(折野氏)の支城だったと思われます。

山辺氏は当初小笠原氏に従っていたようですが、武田晴信により府中が陥落すると武田氏に従い第四次川中島合戦で戦功を挙げるなど活躍しましたが、長篠の合戦で討ち死にしたとの云い伝えがあるようです。
その後の宮原城の伝承は不明ですが、山家城とともに小笠原貞慶によって改修されたのではないかと現地を見て推測しております。

らんまる #- | URL | 2012/05/06 07:09 * edit *

Re:ていぴす様へ

いやー、やはりブッキングしましたかー(笑)
貴殿の領域を荒らしてはまずいと思いつつ一番槍の功を焦りました・・・申し訳ない・・(汗)

山辺には水番城、霜降城など攻めがいのある城がてんこ盛りのようですなー。
秋まで里山辺への攻城の軍を自粛しますので、是非貴殿のブログでご紹介頂ければと思います(笑)

同じ宮原城の記事でもそれぞれの思い入れがありますので、違う角度から見た貴殿の感想を楽しみにしております。
山家城は二度目ですが、お寺の裏山の峰に続く郭群が見れなかったので、またお出まししないといけません(汗)なかなか一度や二度では攻めきれない壮大な城ですね。埴原城も然りかと‥‥(笑)


らんまる #- | URL | 2012/05/06 07:22 * edit *

Re:武蔵の五遁様へ

コメントありがとうございます。

精力的に各地へ遠征される貴殿が羨ましいですなあ(笑)
信州にこだわり続け諸城をご紹介するのが「図解山城探訪」信者としての小生の勤めかと・・・(爆)

里山辺周辺の城は凝ってますね。見どころ十二分でございます。
やはり秋口まで待たないと、草茫々で何が何だかわからなくなります‥‥(汗)

らんまる #- | URL | 2012/05/06 08:03 * edit *

後詰

小笠原さんのお城は、攻めたことはないのですが
ネットで拝見しますと、評価が高いお城が多いですね。
残念なことに、どれもこれも自落してしまったようですので
後詰が期待できない状況ですと
どんな堅城も堅城たりえないのかなあ
なんて考えてしまいました。
そう考えると中塔城は松本地方で
最高の堅城なのかもしれませんね。
(信州の城は比高が技術に勝っている
 のかもしれませんねえ(笑)
 

丸馬出 #- | URL | 2012/05/06 09:15 * edit *

Re:丸馬出様

丸馬出様、いつもコメントありがとうございます。

あくまで推測ですが、小笠原長時までの中信濃の諸城は中世城郭初期の様式だったと思われ武田氏の攻撃にはとても持ちこたえらる防御など無かったのでしょう。
現在の深志周辺の城は武田氏によって改修が加えられ、武田氏滅亡後に深志に復帰した小笠原貞慶によって石積みや連続堀切などの高度な防御システムを持つ堅城に生まれ変わったと思われます。
今の姿の埴原城や山家城・桐原城などは、4倍の兵力で囲んでも相当な月日を持ちこたえる事が出来たと推定されます。

中塔城ですか・・・現地に行きましたが、登るのが嫌になるくらいの高さと距離ですね。なので撤収しました。武田軍も攻めててアホらしくなったのでしょう(笑)
逃げ込み城だったようで、その後捨て置かれ廃城になったみたいです(汗)  

らんまる #- | URL | 2012/05/06 10:02 * edit *

中塔城

ぜひ、登ってみてください。
私は、30年ほど前一人で登城し、遭難しかけたことがあります。
南寄りの尾根を登ったはずなのに、何をどう間違えたのか、
眼下には黒沢ダムが…
崖を下りながら、なんとか降りてきた記憶があります。
高校生で、体力はあったはずなのですが、めちゃくちゃ疲れましたね。
ちなみに、麓にあるグラウンドは、松田直樹が生涯最後のサッカーで、
汗を流したところです。

赤いRVR@松本 #- | URL | 2012/05/10 22:11 * edit *

Re:赤いRVR@松本様へ

コメントありがとうございます。

あのような場所にある城を攻められたとは敬服致します、しかも高校生時代に!
凄いですねえ。小生など登る前から溜息ばかりで決心がつきませんでしたあー(笑)
ビョーニンの仲間入りをするためには越えなければならない城かもしれませんネ(汗)

そうでしたか、あのグランドが松田さんの最後の地だったんですね。
情報ありがとうございました。

らんまる #- | URL | 2012/05/11 07:01 * edit *
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