らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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荒砥小城・若宮入山城(千曲市)  

◆尾根伝いに張り巡らされた外郭の砦群◆

荒砥城の支城群を攻略したあとは、ビデオ観賞券300円を払って荒砥本城へ登城した。

何と二の郭にある掘立小屋映画館での上映を、貸切で8分間ビデオを観賞することが出来たのだ。

初心に帰ることが出来て、とても勉強になった・・(笑)

荒砥城ビデオ

まあ、おバカな体験談はこれくらいにして本題に入りますか・・・・・(汗)

三つの砦の位置は以下である。

荒砥城砦群地図

意図した訳では無いだろうが、きれいに西方向へ直線で並んでいる。

烽火台と伝わる證城(しょうじょう)は、遺跡分布図によれば893mの地点とあるが、小生の訪問調査では手前の尾根に展開していて、ピークには遺構が認められなかった。

松尾城の遠見番所と同じ理屈だろうか?


荒砥城を落とすには、城の腰と呼ばれる南側の居館のある緩い傾斜地を制圧して山裾から攻め上がるか、北の「八王子」と呼ばれる古道から正城山へ登り證城を落とし荒砥城のある峰へ下るルートであろう。


【荒砥小城】

荒砥城の管理棟(料金所)手前の作業道を左に進むと朽ち果てた神社がある。

※お金を払って荒砥城に入ってしまうと逆茂木を超えるハメになるので注意。

荒砥小城 (3)
まあ、乗り越えようと思えば行けるかもしれない。


荒砥小城 (7)
神社(菅原天満宮)を造るためにかなり改変されているので、郭だったとは判断し難い。

神社の西側が「荒砥小城」と呼ばれる領域で、50×20の細長い郭が確認出来る。

荒砥小城見取図

林業のための作業道が郭の下から尾根にかけて掘られているが、北側の土塁は往時ものもと見ても間違いはないだろう。

荒砥小城 (12)


荒砥小城 (13)
北側斜面に土塁を築いている。

基本的には単郭であったらしいが、荒砥城の近代化への普請(?)と神社造成による改変で、どういう連携の仕方がされたのかは不明である。


荒砥小城 (15)
郭の西端には堀切らしき跡がある(推定)

増援部隊を伏兵として詰めさせたのであろうか?

二の郭まで敵が攻め入っても、ここから出撃すれば挟撃が可能だったと思われる。


【若宮入山城】

小城からしばらく尾根伝いに登ると沢を利用した堀切となる。ここから「若宮入山城」(わかみやいりやまじょう)の城域となる。

若宮入山城 (4)

北側の深い沢と南へ落ちる沢が合流する場所の上にある平削地が郭であろう。

入り口部分を堀切・土橋と見るには疑問が残るが、南側は人工的な手が加えられている。


若宮入山城見取図
堀切㋐

若宮入山城 (6)
かなり埋まっているが堀切㋑も確認出来る。


主郭ともいうべき尾根上の平削地に南へ段郭を数段構築した砦である。

若宮入山城 (11)
南側に展開する腰郭。

若宮入山城 (14)
主郭の北側は天然の石塁を利用した防御である。


荒砥城の搦め手にあたるこの城は増援用というよりも緊急時の逃げ込み砦だったと推定される。
最後の砦である證城へ落ちるための時間稼ぎは出来そうだ。

若宮入山城 (15)
㋒の堀切(推定)


ここから證城へのルートは途中で道が消えるので、テキトーに急斜面を直登するしかない(汗)

鬱そうとした薄暗い林の中の進軍は慣れているといっても、目的地に辿り着けるのか不安が先走る(笑)

で、次回は今もって描けない證城の縄張図を基にその謎を考察してみたいと思っています・・・(爆)

若宮入山城 (17)
若宮入山城から見た北側の千曲川とその周辺(ズーム7倍)


≪荒砥小城・若宮入山城≫ (あらとこじょう・わかみやいりやまじょう)

荒砥小城  標高:612m 比高:232m(山麓の城山交差点より)
若宮入山城 標高:675m 比高:63m (荒砥小城より)
築城年代:不明
築城・居住者:山田氏、屋代氏
場所:千曲市上山田温泉若宮
攻城日:2012年5月17日 
お勧め度:★★☆☆☆
城跡までの所要時間:20分(荒砥城駐車場より)
見どころ:堀切、土塁など
その他:
参考文献:













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Posted on 2012/05/20 Sun. 07:33 [edit]

CM: 12
TB: 0

« 證城 山小屋(千曲市)  |  荒砥城の支城攻防戦(千曲市 予告編) »

コメント

縄張り図がきれいですね。

こんにちは、証城に行かれましたか。
私も訪城したことはありましたが・・若宮入城の位置と縄張りが無く訪れたところが
そうだったのか不安でしたが、らんまるさんのおかげでやっと確信がもてました。
縄張り図まで描かれるとはさすがです。
証城も一回挫折しましたが二回目でやっとたどりついたしだいでした。
証城にある土塁と石積みがなぜあんな高い山上に必要だったのか?
虎口も見られどの時代のものなのでしょうかね。
証城も荒砥城と一緒に史蹟に指定されていますが、もっと訪れやすく整備してほしいものですね。

ていぴす #- | URL | 2012/05/20 13:35 * edit *

Re:ていぴす様へ

そうでしたか、既に攻めておられましたか。
あんなとこ登ろうなどと普通は考えません。荒砥城にある資料館の鳥瞰図模型を見て諦めます(笑)

それがですねえ、證城と思った場所は手前の平削地だったらしく到達していないんですよ(汗)
おかげ様で、なんか違う遺跡を発見して一生懸命調べて縄張図まで描いてしまいましたあー(爆)
(5/21の記事に掲載します)

秋に再度リベンジするつもりですが、貴殿の仰せの通りちゃんと登山道を整備して欲しいものです。
行きはヨイヨイですが、帰りは似たような景色に惑わされてシロウトであれば遭難しますわー(笑)

らんまる #- | URL | 2012/05/20 14:02 * edit *

八王子

再訪の際は館跡と八王子の砦もお願いしたく
そうろう。
(道路の形から池の上の道と、直角に交差する道の直線部分が
 館跡の半分を表しているような気がいたしますが・・・。)

ところで、復元前の縄張り図に興味が出てきましたのですが
ネットにはないみたいですねえ。
郷土資料を探ってみたいと思う今日この頃です。

丸馬出 #- | URL | 2012/05/20 16:20 * edit *

Re:丸馬出様

弁天池の下あたりに「二の入館」があったらしいので付近を車で探索しましたがイマイチ良く分からず撤退しました‥‥(汗)

八王子も砦跡なんですか。まあ確かにあの場所に物見程度の砦があっても不思議ではないですよね。
八王子に付け城でも造れば荒砥城は風前の灯ってわけですから(笑)

旧荒砥城の縄張図ですかー、小生も見てみたいものです。
荒砥城を観光用の近代城郭に改造するには事前に発掘調査してないと可笑しい訳で、その資料は公開されてないのでしょうかねえ。
城跡の一角に往時の石積みが辛うじて残されていますが、何の説明板もなく寂しい限りでございました。

らんまる #- | URL | 2012/05/20 17:36 * edit *

あやしい

こちらに情報がありましたのでご参考までに。
http://www.geocities.jp/yamazaki_hiroki2000/alpine-higaeri-hokushin-hachioji.html

といいますか、こちらの峰は下を通るたびに
怪しい!といつも思っていたのですが
やはり、なにかあったのですねえ。
当時は崖の下は通れなかったはずですので
等高線からおっていきますと、地図では消えていますが
二の入館から若宮入山城あたりを通って八王子に通る古道が
あってもおかしくないかなあと。
そうだとすると、証城は烽火台、若宮入山城は峠を押さえる城
荒砥小城は荒砥城の戦闘前哨という
意味合いを持つのかもしれませんね。

丸馬出 #- | URL | 2012/05/20 19:04 * edit *

らんまるさま、お疲れ様です。

初デジタル化の城址、大変楽しく拝見しました。

こういった人も訪れない小砦が、信州にはそこら中にありますからね。最高です!!


ところで、「若宮入山城」って名前は、何が語源なんでしょうか?
そういう名前の山なんですか?


大垂水 #- | URL | 2012/05/20 19:30 * edit *

Re:丸馬出様

情報ありがとうございました。

八十二文化財団にも信州の文化財として荒砥城跡群が掲載されているのですが、若宮入山城の位置がオカシイ事を発見しました。⇒http://www.82bunka.or.jp/bunkazai/popup.php?no=695&img=1&seq=0

千曲市教育員会に正式な見解を求めようと思っております(笑)
こんな中途半端な情報を提供する前にキチンと調査してもらいたいものです(怒)

八王子山はやはり砦でしたか。
これは早急に現地調査して解決しないといけませんなあー(笑)

らんまる #- | URL | 2012/05/20 20:12 * edit *

Re: 大垂水様へ

マサハレ殿、ご来城ありがとうございます。

證城のある山は「正城山」と呼ばれているようですが周辺の地籍名は「若宮」と呼ばれています。

地名の由来は存じませんが、坂城町にある自在山(じざいさん 別名:出浦城)の北にある尾根先に入山城があるので、区別するための呼び名かと思われます。

更埴地方の山城の扱いは信濃の他の地域に比べると雑な感じがして残念でなりません。
微力であっても、城好きな私たちがその城や砦の存在感を示すことで見直して頂ければいいなーと思っております。
是非、お力をお貸しくだされ!。

らんまる #- | URL | 2012/05/20 20:33 * edit *

財団さんの写真

財団さんの写真を拝見しますと
荒砥小城と若宮入山城のあいだに
鞍部がありますのでここを古道が通って
いたのではないでしょうか。
(室賀峠から塩崎城への最短ルートになり、
 荒砥城の重要性がよくわかります)
そうだったとすると、荒砥小城と若宮入山城は
太郎山城砦郡の鳥小屋城と虚空蔵山城と同じ使命を
持っていたのかもしれませんね。

丸馬出 #- | URL | 2012/05/20 21:38 * edit *

荒砥城とギャップがあるねえ

紹介された砦群は比較的、信州ではオーソドックスな感じのものですなあ。
すると、あの整備されたt荒砥城に妙に違和感を感じますね。
本当にああだったのか、どこまで創作なのか?
戸倉の教育委員会に資料あるんじゃないですかねえ。
あの城の復元委員会の委員長、小生の小学校の担任です。
あのおっさん、創作するような人間じゃないと思うのですが・・
どうなんでしょうか?
まあ、荒砥城はあの荒砥城で十分いい感じですが。

あおれんじゃあ #- | URL | 2012/05/20 22:13 * edit *

Re:丸馬出様

室賀峠を越えて篠ノ井へ軍勢を移動させるにはこの地のどこかを越えたのだと思われます。
山田氏滅亡後、一重山から領地替えで転封された屋代氏は武田氏に恭順を示すために懸命に城の整備と街道整備を行ったのでしょうね。
信玄の棒道が何処だったのか興味深いところです。

らんまる #- | URL | 2012/05/21 07:16 * edit *

Re:あおれんじゃあ様へ

證城の対面には石切り場の跡があるので、調べてみる価値はありそうですね。
再現された荒砥城の管理棟の上段には往時の石積みが残されていてちょっとギャップを感じました(笑)
平積み石はちょっと加工し過ぎだろうと思われます。
證城もその手前で発見した謎の石組の郭も石積みで周囲を覆われているので戦国末期まで改修され続けたのは事実でしょうね。

らんまる #- | URL | 2012/05/21 07:26 * edit *
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