らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

0527

証城(千曲市 リベンジ)  

◆山の頂に眠る要塞◆

「ええい、馬曳けい!!、謀りおった証城を攻め落としてくれるわ!!出陣じゃあー」

いつもの事である…(汗)

こういうリベンジ戦は織田信長公にも引けを取らない執念深さなのである(笑)


証城古図 001
長野縣町村誌の「若宮村」の解説に記載されている絵図。


長野縣町村誌(明治初期編集、昭和十年再編)の「若宮村の章」によると以下の記載がある。

【正城山砦】

村の牛未の方、正城山の頂上にあり。平坦にして芝生なり。南の方十五間許、低下する所に、東西三間、南北七間許一段あり。里俗傳に木曾義仲築く所と云う。按に天文永禄年間の築城たるべし、何人の居城なるや不詳。


参考資料はこれだけしかない(笑)

自分の足と五感で攻めた証城は荒砥城の単なる「烽火台」ではなく、山頂の恐るべき要害砦であったのだ。

証城 (65)
城域の北側を守る竪掘㋐。上巾5m深さ4mで全長は100m以上に及ぶ。


リベンジではあったが、荒砥城の烽火台と決めつけていたので、さして期待などしなかった。

だが、時として予想を裏切る遺構を目の当たりにすると、感動に変わるのである(笑)

周辺をくまなく調査した縄張図は以下である。

証城縄張図②


前回の攻城戦から僅か一週間なのに、途中の経路は草茫々・藪茫々・・・・。

証城 (14)
主郭手前の郭3.堀切㋐は片堀で貫通している形跡は無い。


証城 (64)
郭3からの見た主郭の入り口の虎口。


本郭は周囲に石積みがあるという情報ぐらいだったが、虎口があり周囲は巾2m高さ1.5mの土塁で囲まれ土塁の外側を石積みで防御している。

「こりゃー凄いぞ!」  このことである。しかも標高893mの山のてっぺんである。

証城 (21)
北東の隅の石積み。隣村だった仙石区との境界を示す石柱まで打ち込んである(汗)

証城 (63)
24m×18mの本郭。芝生どころか草茫々・樹木茫々の平削地。


いつもならここを見て終わりそうなのだが、リベンジ戦なので周囲を徹底的に調べた。

(ってか、もう二度と来なくてもいいように…)


北西の尾根が怪しかったので石積み土塁を乗り越えて下りてみる。何と堀切を発見する。


証城 (27)
仙石方面の尾根からの攻撃に備えた郭4と堀切㋑。こんな峰登ってくるのだろうか?

証城 (31)
本郭東側の石積み土塁。

「石積み土塁が全周するなんて、ホントかなあー」

外周を一巡するが、事実だった(汗)

証城 (36)
かなり崩れた南側(郭2方面)の石積み。木が邪魔だが、迫力があるゾ。


本郭には「第一展望台⇒」と書かれた木の札がある。どうやら南の尾根の先にあるらしいので突撃する。

通り過ぎてから分かったのだが、ここが長野縣町村誌に書かれている城域最長の「郭2」であり、展望台と呼ばれる場所は南隅の石積み土塁の跡なのだ。

証城 (59)
どうみても草茫々の通路にしか見えないが全長50m巾15mの郭2。

証城 (52)
第一展望台。実は郭2の一部だった。


そして、東京スカイツリー(634m)よりも高い場所(893m)から見える景色は、荒砥城(590m)の望楼台を遥かに凌駕する景色なのである(爆)

証城 (39)
攻城戦の疲れも吹き飛ぶ絶景。果たして貴方はここから見える城がいくつ言えるだろうか(笑)

証城 (45)
ズーム7倍で撮影した荒砥城。ギリギリセーフで何とか写せましたあー。


この場所を抑えることがいかに重要だったかが体感できる場所だ。

残念ながら川中島方面が見える場所は無いが、往時は眼下に抑える眺望だったと思われる。

山田氏が築城したのかは定かでないにしても、村上一族は高い場所に城を造るのが好きだったようです。
虚空蔵山は別格としても、葛尾城の805m、出浦城(岩井堂山)795m・・・・。

証城 (40)
中央の円錐形の山が出浦城。

さて、パノラマはこのくらいにして調査を続けよう。

証城 (53)
郭2にも南側(展望台のすぐ下)に虎口らしき跡が確認出来る。


南の尾根側は段郭と見られる郭5で最終となる。
やはり石積み土塁で強化されている。

証城 (56)


証城 (55)
さらにその先も調べるが何も無かった。あと2時間頑張れば冠着山(姨捨山)に行けるらしい(汗)


単純に「烽火台」という砦ではなく、まさに山頂に築かれた堅固な要塞である。

証城 (61)
せっかくなので展望台から見える城をご案内しよう。

証城 (39)
このロケーションは苦難を乗り越えた者だけが見えるご褒美でございます。


本郭にも謎の石組みを発見したのだが、ここにも古墳があったのであろう。

石室の積み石を解体して流用したのかもしれない。山麓から運搬するなどあり得ない話だ。


証城 (62)
本郭跡に残る石組み。


如何でしたでしょうか?WEB初公開の「証城探訪記」(笑)

事前資料も何もなく見たまま、思ったままを記録してみました。

もちろん宮坂武男氏の「図解山城探訪 更埴長野編」は一度も見た事が無いんです・・・(汗)

この地方だけは独力で調べたいという願望でございます。

「神は乗り越えられる試練しか与えない・・・・・」


≪証城≫ (しょうじょう 正城山砦)

標高:896m 比高:493m(上山田温泉より)
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:千曲市上山田若宮
攻城日:2012年5月26日 
お勧め度:★★★★★(満点)
城跡までの所要時間:90分(荒砥城駐車場より)
見どころ:堀切、土塁、石積み、第一展望台からの景色
その他:夏は止めた方が良いでしょう。
参考文献:長野縣町村誌のみ


八王子山砦 (9)
荒砥城塞群遠景(千曲川湖畔より)

























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Posted on 2012/05/27 Sun. 10:26 [edit]

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コメント

 到達おめでとうございます。

 物見程度かと思っていましたが、立派な城ですね!

 誰も紹介していない城を踏査される姿勢を尊敬いたします。

 事前の幾方面からの調査と、登り始めてからは不安と孤独
との戦い・・・

 その先にこそ、真の城好きの、真の城ブロガーの境地があ
ると思います。

 これからの更なるご活躍を楽しみにさせて頂きます。

武蔵の五遁 #- | URL | 2012/05/27 16:44 * edit *

Re:武蔵の五遁様へ

ご祝辞ありがとうございます。執念深いだけの所業にございます(笑)

ネタ切れの恐怖と戦っておりますが、そちらのが恐怖であります(汗)
夏場は攻めても草茫々で、写真を撮っても何が何だか分からないし・・・

筑北村・麻績村の夏場の同盟攻城戦、バテそうですが楽しみにしておりまする。
コメントありがとうございました。

らんまる #- | URL | 2012/05/27 17:49 * edit *

すばらしいですね

縄張り図といい記事の内容といい
素晴らしい!の一言です。
周辺の城が載った写真を拝見すると
高い位置の城の有効性がよくわかりますし、
のろしもさぞかし有効だったことでしょうね。

ただ、ひとつだけ残念なことが・・・。
長野方面の景色が見とうございました(笑
いつかは自分の足で登ってみたいですね

丸馬出 #- | URL | 2012/05/27 21:38 * edit *

祝 攻略

いやあ、こりゃ凄いわ。
こんな物件が眠っておったか!
まだ、まだ、信州の山には凄いのがあるんでしょうね。
こんな高い山の山頂に忽然と現れる石垣・・なんか、鞍骨城を思い浮かべます。
でも、こんな高い山にねえ。
村上さん、よほど高い山が好きなんだねえ。

あおれんじゃあ #- | URL | 2012/05/27 22:54 * edit *

Re:丸馬出様

丸馬出様、いつもコメントありがとうございます。
時折不躾な返答をしていまい、反省しております。ご勘弁くだされ。

信州の城とはかくも多才な表情があるのだと実感しました。
先人の論文や研究成果の発表など無縁ではありますが、現地をくまなく調べる事が大事なのだと思いました。
第一展望なる場所からの風景などはおまけでしたが、往時の緊張感が伝わる良い場所で感謝しております。

地元の城は地元の人間が伝えられたDNAでしか理解できない思考もあると思うんですね。

長野方面は小生も見たかったのですが、本郭からの視界など無く本郭も鬱蒼とした林の中でした。

この城についても色々な方のご意見があって然るべきだと思っています。

踏破したものだけが語れる真実は城の最終形でしかありませんもの・・・。

らんまる #- | URL | 2012/05/27 23:06 * edit *

Re:あおれんじゃあ様へ

師匠、コメントありがとうございます。

清滝城以来の二度攻めでございましたが、しばらく高い城は遠慮したいですネ(笑)
千曲市周辺には長野県の中世遺跡に掲載されていない城跡も未だ眠っているようですが、長野縣町村誌を読んでも場所の特定が難解で地元の古老にでも聞かないと無理なようです(汗)

村上さんも小生も高いところが好きな信州人でございます…(爆)

らんまる #- | URL | 2012/05/28 07:02 * edit *

DNA

>地元の城は地元の人間が伝えられたDNAでしか理解できない思考
とのことですが、これは事実ですから仕方のないことだと思います。
おそらく、信州の落城悲話がある地域では晴信さんは嫌われている
のは仕方がないことですが、それは政治といいますか政ごとの話ですので
400年過ぎた現世では、それとは切り離してお城は
中世の遺跡として話しをしてもいいのではないかなあと思います。

それと、縄張りの解釈の正解はひとつですが
現在となっては判りませんので、色々な解釈があって
当然ですし、その方が面白くていいと思っております。
(発掘された城以外は立体構造物は想像するしかないですから
みなさまの自由な発想で考えていただければ
城攻めの面白さも増すのではないでしょうか)

丸馬出 #- | URL | 2012/05/28 07:31 * edit *

Re:丸馬出様

睡魔に襲われながら返信してしまい、何が云いたいのか自分でもよく分からない文ですなあ(汗)

仰せの通りでございますね。
人それぞれの見方や思い入れ、想像力(妄想)があって然るべきだと思います。

らんまる #- | URL | 2012/05/28 12:56 * edit *
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