らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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内後館(長野市 川中島今里)  

◆小田切神社を祀る広大な上屋敷跡◆

諏訪地方への進軍を目論んだのだが、何故か最近は戦線を北信濃に方向転換している・・・(汗)

特に理由は無いのだが、最近昔の史料を引っ張り出して読み耽っているのが原因だと思う。

その資料とは・・・

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数年前に「城と古戦場」の管理人であるマサハレ殿が推奨していたので、バックナンバーを購入して読んだ資料である。

長野県の著名な郷土史研究家の方々が記事を掲載しているのだが、この「山城・城館特集号」は何度読んでも飽きない。地元を知る人でないと書けない独特な内容なのである。

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前回よりシリーズ物として書きたいと思ったのはこの本の影響である。

興味のある方はネットで検索すると注文ページがあるので、在庫があるものは一冊500円という良心的な値段で購入する事が出来るのでお試しあれ。

しかもイマドキ後払い方式なのが驚きである。

注文すれば、本人確認することなく、お金を払う前に本が届いてしまうのだ・・・(着払いではなく、性善説に基づく到着後の郵便局への振り込み)信州人らしい素朴さではある・・・(笑)

で、今回紹介するのは「小田切城館シリーズ2回目」の内後屋敷(内后屋敷)である。

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屋敷東側の堀切跡。屋敷の周囲は堀切で囲まれていたというが、現在は埋められて道路になっている。


屋敷を周回する堀切は昭和初期には三本を残していたようだが、その後の開発で全て埋められたと云う。

現在は内村さんの家屋を中心とした場所が上屋敷と呼ばれていて、その広大な敷地に往時の面影が感じられる。

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南西方面から見た内村様の住宅とその周辺。


その昔は萱葺き屋根の立派な旧家の佇まいだったという。

現在でも敷地内には小田切神社があり、小田切幸長夫妻の位牌も大切に受け継がれていると云う。

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屋敷内にある小田切神社。


で、岡澤先生による小田切氏の解説の続きである。(参考サイト長野市「信州・風林火山特設サイト 川中島の戦い

弘治3年(1557)、小田切駿河守幸長は、落合氏が籠る葛尾城援軍に馳せ参じ、落合備中守治吉[はるよし]とともに籠城した。同年2月15日、馬場美濃守など、武田軍の火攻めの猛攻で落城した。駿河守は武田軍の中に討って出て、討ち死にをした。駿河守の首は室賀兵部の家来山岸清兵衛が討ち取った。武田晴信が3月20日、室賀兵部に与えた感状に、

 「去る十五日信州水内郡葛山の城において、その方被官清兵衛首壱、小田切駿河守を討ち捕らえの条、戦功感じ候。いよいよ忠信ぬきんずべき旨、仰せ含められ候。恐々謹言」とある(『信濃史料』)。この葛山城攻略のとき、信玄の与えた「首壱つ云々」の感状は『信濃史料』に14通あるが、感状に人名が記載されているのは、小田切駿河守だけである。


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内村さんの屋敷内にある小田切神社の壁越しの通路にある唯一の説明板。


屋敷の廻りを一周してみたが、残念ながら遺構を見つけることは叶わなかった。


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かつては堀切だったと思われる北側の用水路。


この地で名を馳せた小田切氏の伝承が途切れることなく後世に伝わる事を願って止まない。


≪内後館≫ (うちごやかた 小田切上屋敷)

標高:365m  比高:0m
築城年代:不明
築城・居住者:小田切氏
場所:長野市川中島今里
攻城日:2012年6月24日 
お勧め度:★☆☆☆☆
城跡までの所要時間:-
見どころ:小田切神社
その他:於下屋敷・円光寺(小田切幸長の墓所がある)は見ても良いだろう。
参考文献:長野縣町村誌、長野市風林火山特設サイト、長野郷土研究会機関誌長野など


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上屋敷の南側から見た小市城方面。




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Posted on 2012/06/27 Wed. 22:17 [edit]

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コメント

なんにもねえ

内後館ですね。
土塁が残っていると、どこかに書いてありましたので、集落内を徘徊しましたが、なかったですね。
信州の平地城館、遺構を残すところは少ないですね。
もともと、平な土地が少ない土地なので、潰されて宅地や畑にされちゃうんでしょうかね。

ほう、あの郷土史、入手できるのですか。買おう。

あおれんじゃあ #- | URL | 2012/06/28 19:58 * edit *

Re:あおれんじゃあ様へ

師匠、神社だけはあります!!(笑)

住宅街を山登りのフル装備で徘徊していると間違いなく変質者か痴呆老人と間違われます…(汗)
意地だけでは家名存続が難しい時代に貫き通すというのは、相当なひねくれ者だったと思います。
まあ、結果的にはそれを評価されて晴信公や景勝公も小田切氏の跡継ぎを採用したんでしょうかねえ。

小林計一郎氏が主催する「長野」は秀逸です。最近は山城や中世城館の記事が無くて寂しいのですが、そのうちまた何かしでかしてくれると思いますので、買っても損は無いと思います(笑)

らんまる #- | URL | 2012/06/28 21:22 * edit *

ゼンコウジさん

そうか!主催、小林計一郎さん!でした。
氏は実は、小生の高校時代の国語のセンセイだったのです。
通称「ゼンコウジさん
懐かしい名前、聞いたわ。
元気かいなあ。

ああいった集落内、よそ者が歩くと、目立ちますなあ。
歩きにくいことこの上ないです。ドロさんが下見に歩いているようにも見られます。
小学校なども最悪です。
かつては娘をカムフラージュに使いましたが、最近は相手にしてくれねえ。

あおれんじゃあ #- | URL | 2012/06/28 22:58 * edit *

Re:あおれんじゃあ様へ

そうでしたか、師匠のティーチャーでしたか。
この機関誌主催の歴史散策会はテーマを替えて年に何度か開催されるんですが、善光寺に因んだものが多くて解説委員やアテンドとして計一郎氏の名前がいつも出てくるんでお元気だと思われます(笑)

やはり山賊は山を彷徨ってナンボのもんでございます。
百歩譲って廃墟ツアーってところでしょうか‥‥(爆)

らんまる #- | URL | 2012/06/29 07:26 * edit *
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