らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

0725

芦田城(北佐久郡 立科町芦田)  

◆芦田五十騎が守るにはデカすぎた平山城◆

中仙道の芦田宿を取材しに出掛けたついでに、芦田城の東側にある長大な堀が見たくなりつい4年ぶりに攻め込んでしまった…(笑)

そういえば芦田城は信州の山城の中でもメジャー級なのに、故あってお蔵入りしていた城である・・(汗)

祢津城・芦田城 066


古町と呼ばれる往時の城下で芦田川の右岸にある小山が城跡である。

標高806mあるが、比高は前面より65mで背後からは30mほどしかなく平山城に属する城である。
しかしその城域は広く、東側の平坦部も城に取り入れているので南北400m×東西250mもある。

※掲載する写真は2008年11月撮影のものと2012年7月のものが混在しますがご了承下さい。

芦田城② (1)
古町から芦田川を渡った登城口。周囲の平削地も郭の跡である。


芦田氏は大井庄の地頭 岩村田(現在の佐久市)の大井氏の分流で、小県郡依田庄(丸子町)に居住したが、芦田備前守がこの地に移って芦田氏を称したという。
もともと滋野系芦田氏の勢力範囲であったが、守護の小笠原氏と連合した大井氏が滋野系芦田氏を放逐し、大井系の依田氏(芦田光四郎又徳)が文安二年(1445)が築城したという。

天文九年(1540)頃より武田の佐久侵攻が激しくなり、芦田下野守信守の時に諏訪頼重に攻められ落城。翌年に武田方に降り、信守の子は人質として甲斐に送られたという。(後の依田信蕃である)

芦田城② (14)
北側には緩やかな傾斜を持つ広い郭がある。兵士の収容には充分な広さである。

芦田城② (17)
本郭への登り口の段郭に建つ聖観音堂。


この頃、芦田下野守信守は防衛上の理由ということで本拠地を芦田城から春日城へ移している。

独立峰で比高も低く防御も脆弱な芦田城は、前年に諏訪軍に囲まれて落城した経緯を含めての判断であろうか。
あるいは政権交代した武田当主晴信が滋野系望月氏への備えとして移したのであろうか。


芦田城② (23)
東屋から見下ろす古町の街並み。芦田氏の城館跡が明治時代まで堀切とともに残っていたという。


信守は信濃先方衆として働き、三方ヶ原の戦いでは勇名を馳せて二股城将に任ぜられる。
その子の信番は再び依田姓を名乗り父に従い東海地方の転戦で頭角を現していく。


その後の依田信番の活躍と生涯については小生の渾身の力作である(?)岩尾城を参照願います(笑)


祢津城・芦田城 059
本郭入口に建つ水の宮社の鳥居。ここは往時の虎口では無い。

祢津城・芦田城 053
主郭(32×34)周囲は土塁が囲む。


芦田城縄張図

本郭の虎口は南側にある。

祢津城・芦田城 058
石積みの残る虎口。


「芦田五十騎」と呼ばれたぐらいだから、どうみても動員兵力は50×5=250程度であろうか。
デカ過ぎるこの城ではとてもとても守るのは不可能であろう。
周囲を囲まれたら逃げる搦め手さえ無いのだから落城必死である。


芦田城② (30)
本郭の下段を周回する郭2。段差を付けた回廊とも呼ぶべき備えである。

この城、実は戦国後期まで改修されたと思われるのである。

それが、縄張図に示した堀切㋐、㋑、㋒ではなかろうか。

堀切㋑は耕作化による改変で確認しづらいが、城の東側面を遮断している。

芦田城② (40)

芦田城② (37)
城の東側(現在は畑になっている)も城域でその左右を堀切で仕切っている。


はて、この改修は誰が行ったのか?という問題に直面する。

佐久、依田窪を制圧した武田軍とは思えないのである。

考えられるとすれば、徳川の後ろ盾を得た依田信蕃が急成長の過程で依田家の支城である芦田城を整備していったと見るべきであろうか。

それとも小県郡を制圧し佐久への覇権を画策していた真田昌幸への防御として徳川軍が急遽改修したものだろうか?

この城、WEBでは誰も触れていないが、恐ろしく長大な竪掘が東斜面を貫いているのである。


芦田城② (6)
総延長400mを超す竪掘㋐。


芦田城② (8)
堀の南を土塁で迫り上げた恐るべき竪掘なのだ。

芦田川とこの竪掘で防御された芦田城は、平山城としてようやく本来の機能を有する。
しかもそれなりの兵力が籠れば難攻不落になるのだ。

いったい誰が‥‥。


芦田城② (49)
芦田川に続いたであろう最終の出口。


芦田城② (47)
400mに渡り続く竪掘㋐。相当な土木工事だったと思われる。保存状態も良好である。


一度は同じ徳川傘下として協調関係にあった依田信蕃と真田昌幸であったが、徳川に弓を引いた昌幸と領土を接する芦田城周辺は、依田信蕃にとっても徳川にとっても最前線であったと想像出来る。

真田昌幸VS依田信蕃の芦田城攻防戦・・・籠城戦を得意とする両者の駆け引きが実現していれば、如何なる結果となったのか興味津津で眠れそうに無い・・・・(爆)

祢津城・芦田城 065
芦田城全景。


≪芦田城≫ (あしだじょう 木の宮城・倉見高井城・芦田小屋・芦田ヶ城・芦田乃城)
 
標高908m 比高35m
築城年代:不明
築城・居城者:芦田氏(大井系)
場所:北佐久郡立科町芦田古町
攻城日:2012年7月22日(初回訪問:2008年11月)
お勧め度:★★★★☆
見どころ:土塁、石積み、堀切、竪掘など
その他:付近には倉見城、善正城、蟹原城
参考文献:「図解 山城探訪 第八集 佐久北部資料編」(宮坂武男著)









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Posted on 2012/07/25 Wed. 22:57 [edit]

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コメント

長い堀ですね!

らんまるさん。

 この城は、7年ほど前に訪問しました。
 「ア」の堀には気がつきませんでした。
 さすがらんまるさんですね!
 再訪した時に確認したいと思います。

 小勢では守りにくい印象は全くの同感です。
 造りも大雑把な感じですし・・・

 城歴への妄想が広がりますね。

武蔵の五遁 #- | URL | 2012/07/26 06:29 * edit *

Re:武蔵の五遁様へ

武蔵の五遁殿、この盛夏に各地を転戦されるとは凄いですねえ。敬服致します。

芦田城はネームバリューの割には評価の低い城ですが、長大な竪掘を含めて考察するとなかなか良く出来た城でございます。
依田信蕃さんが岩尾城で討死しなかったら、徳川の後ろ盾を得て芦田城を拠点とし真田氏の小県郡攻略に向かったのかもしれません。そんな妄想も楽しいものでございます(笑)

らんまる #- | URL | 2012/07/26 07:32 * edit *

勉強になります・・・・・

こんばんは、いつもお世話になっております。。。。 本当に・・・・。

芦田城いいですよね~。
あの二本の竪掘???(長すぎるけど・・)
初めて見た時に興奮しすぎて走ってました。。。。
見終わった時には死んでましたけどね。

本郭北と東側下にある段郭達は城の物なんでしょうか?
余りにもきれいすぎるので悩んでました。

あいかわらず記事の書き方がうますぎです。。。。勉強になります。。


話は変わりますが・・・・
週末の件、よろしくお願いします。楽しみにしています。

ていぴす #- | URL | 2012/07/26 21:41 * edit *

Re:ていぴす様へ

いつもお世話してます。ホントだよー(笑)

堀切を走り抜ける??まさに「走れメロス」でしょう(爆)
でも、あの長大な東側の堀切が無ければ芦田城の評価はかなり低くなったと思われます。
ってか、堀切跡の説明板くらい立てないと立科町の教育委員会は馬鹿にされると思いますね(汗)

週末はおのぼりさん気分で参加させていただきます(笑)

らんまる #- | URL | 2012/07/27 07:05 * edit *

宮坂本復刊

はじめまして、でよろしかったでしょうか。竹と申します。記事と直接関係ないコメントで失礼いたします。

馬念さんから以前お話があったかと思いますが、皆さまからのアンケートを参考にして、宮坂さんの本が復刊されることになりました。詳細は拙ブログで紹介しておりますので、よろしかったらご覧ください。

チラシにはちょうどこの芦田城の図面がありました。偶然ですね。

それでは、失礼いたします。

竹 #OSbYyDo. | URL | 2012/07/27 16:00 * edit *

Re: 竹様へ

竹様へ。情報ありがとうございました。いやー嬉しい知らせですねえー。

もちろん、自称「宮坂教」熱狂的信者ですので芦田城の掲載は以心伝心の為せる技でございます(笑)
今日は赤飯を炊いてお祝いしなければなりませんなあー(爆)

小生のヘボブログでも一生懸命布教活動をしていきますので宜しくお願い致します。
ホントにありがとうございました!!

らんまる #- | URL | 2012/07/27 16:38 * edit *

コンパクトでまとまった城ですなあ

戦国時代の山間の土豪って、小さな城下町の山手に殿様の質素な館があって、その背後の山に殿様のお城があるって、シーンを思い浮かべますが、そのイメージにぴったりなのがこの城です。

小さいけど、よくまとまっていますが、戦国末期まで使われたか、どうですかねえ。
どことなく、戦国前期っぽい雰囲気を感じます。

ここも大型ワンボックスで攻め込み、方向転換にどえらい苦労しましたわ。

あおれんじゃあ #- | URL | 2012/07/28 19:36 * edit *

Re:あおれんじゃあ様へ

師匠、コメントありがとうございます。

それにしても山の尾根筋を貫く長大な竪掘は見事なものでございます。
古風な戦国前期の山城の弱点を補強している点では注目すべき遺構かと思われます。
武田時代には「時代遅れの男になりたい♪」で捨て置かれた芦田城も、何らかしかの理由で改修されたと見るべきでしょうか?
後究を待つ・・・いつものフレーズが頭をよぎります(笑)
ってか、次回は装甲車で攻めて下さいませ・・・(爆)

らんまる #- | URL | 2012/07/28 20:41 * edit *

徳川さんでは

徳川さんの上田攻めのさいは
小諸の富士見城を改修した可能性がたかいという話ですので
徳川さんの改修説なんてどうですかねえ。

例の竪堀ですが往時は4郭の下を通って沢まで
落ちていたような印象を受けますので
かなりの工事量だったのでしょうね。
依田さんが工事をするには、忙しすぎて
時がなかったような印象がありますが、
実際はどうだったのでしょうねえ

丸馬出 #- | URL | 2012/07/29 11:05 * edit *

Re:丸馬出様へ

第一次上田合戦の際に、徳川軍は長期間八重原台地に逗留しています。
その時に芦田城の補強工事をした可能性があるのかもしれません。
通常新規の山城の普請工事が約3ヶ月と云われているので、竪掘だけなら突貫工事で2週間、主郭や周辺の改修も1ヵ月あれば充分でしょう。援軍の宿城として準備していたのかも?
謎ですね。

らんまる #- | URL | 2012/07/29 11:27 * edit *
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