らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

0909

竹田城 (東筑摩郡山形村)  

◆コンパクトながら守備力の高さを追究した堅城◆

今回の記事とは関係無いのだが、一度攻城に失敗した城は一ヶ月以内に落とすというのが身上であり、その通りに制圧したが、梓川になる中塔城は例外だった。
標高1248m、比高440mという信濃でも桁外れの山城は昨年秋に攻城を断念したが、本日「ていぴす」さんに無理な援軍を要請し、一年がかりでの制圧を完了しました。(ってか、二度と攻める気にならない‥‥汗)

中塔城 201209
中塔集落から見た中塔城。

攻城戦記は近々アップする予定ですが、今回の教訓から連合軍の名前は変更し「キラキラネーム同迷軍」となりましたあー(笑)
なぜ名前の漢字を改名したのかは、次回のお楽しみでございますw


で、今回の記事はキラキラネーム同盟軍として9/2の三番目に攻略した竹田城。

竹田城(山形村) (1)
登城口に立つ「四ツ谷の天神様」への入口看板

竹田城は、前回紹介した池の入城から峰を一つ跨いだ1.5km北方の支脈上にある。

竹田城(山形村) (3)
100mほど登った場所には天神様の社と絵馬が奉納されている。つい最近整備されたらしいがご利益のほどは?

天神様から尾根までの比高70mを上がるのだが、道は消滅してしまい2mもある草木の藪漕ぎを強いられる。
迷走から抜け出し尾根筋に辿りつき少し南下すると城域となる。

竹田城(山形村) (4)
城域入口から見た竹田城主郭方面。ていぴすさんによると冬場のこの位置からの眺めは格別らしい。


竹田城縄張図

「東筑摩郡誌」には「竹田城址」として「山形村上竹田 本城の平方十間あり。西方に堀切二条ありて他の三面は急峻なり。天文年間 長時の臣竹田軍平此の地に居る。前後の事歴詳ならず」とある。

竹田氏については「結城陣番帳」の十八番に「永田殿、二木殿、竹田殿、熊蔵殿、西牧殿」とあり、、この地区の小坂氏、大池氏と共に結城合戦に参戦していた事がわかる。

竹田城(山形村) (5)
堀切㋐。かなり埋まっている。

竹田氏は隣村の波田氏とともに小笠原氏の重臣である櫛木氏の流れと云われ、小坂氏や大池氏よりも波田氏との関係が深かったようである。

「小笠原旧記」にも、竹田軍兵衛五騎という記述があり、一説には塩尻峠の戦いで討死したらしいが詳細は不明で、その子である竹田金兵衛は貞慶に従ったと云う。

竹田城(山形村) (9)
主郭背後を断ち切る二重(東側三重とも?)の堀切。うまく撮影出来ませんでした・・・(汗)

伝承の通りで「五騎の将」であったとしたら常時の兵力は20~25名程度と想定される。

城の規模も身分相応で小さいのだが、防御の実力は武居城にも引けを取らない立派なものである。

竹田城(山形村) (16)
周囲を土塁で囲まれた本郭(33×16)

竹田城(山形村) (13)
南に虎口があり背後の堀切を通り郭に入る仕組みだ。

竹田城が、武居城の縮小版と云われるのは、横堀と竪掘の組合せがクリソツゆえであろう。

竹田城(山形村) (17)
北東の斜面に対しての「切岸+横堀+畝傍状竪掘」の組合せは武居城そのもの。

防御力の高い城は美しいのである。

恐らくこの最終形の縄張りは、貞慶時代に武居城と同じ人物が設計監修したものだと思えてならない。

竹田城(山形村) (19)
土塁から放出される竪掘㋕。長さは15m程度だが充分だ。

竹田城(山形村) (23)
南側から見た竪掘㋖と横堀。


こんな小城によくもまあ技術の粋を集めたものである・・・・(驚)

さすがに帯郭は犬走りのように狭くなったが、少人数でも守り通せる防御施設だ。

竹田城(山形村) (31)
本郭南側の帯郭。切岸との角度が理想的な作りだ。

竹田城(山形村) (32)
帯郭は堀切㋓に接続して終わる。往時はもっと深い堀切だったと思われる。


守り易い城(砦)とは、こういう縄張りであろう。

山中にこんな城が残っているとは驚きであり、いつまでも残して欲しいものである。

ご案内いただいた「ていぴす」様には感謝でございます。

竹田城(山形村) (34)
森に眠る要塞「竹田城」


≪竹田城≫ (たけだじょう 秋葉城) 

標高:835m 比高105m
築城年代:不明
築城・居住者:竹田氏、小笠原氏
場所:東筑摩郡山形村上竹田
攻城日:2012年9月2日 
見どころ:横堀、畝傍状竪堀、二重堀切、本郭高土塁など
お勧め度:★★★★★(満点)
城跡までの所要時間:20分
注意:途中は藪漕ぎが必要。秋は松茸山なので避けた方が良い。冬が美しいらしい。
付近の見どころ:付近に小坂城、池の入城、武居城
参考文献:「図解山城探訪 第五集 松塩筑史料編 宮坂武男著」

竹田城(山形村) (36)
城ヶ沢団地から見た竹田城。大手道はこの奥の沢筋だったという。







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Posted on 2012/09/09 Sun. 10:55 [edit]

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コメント

初めまして!

戦国大好きな関東在住の福山と申します。私も学生時代に、日本中の有名な山城を登りました。砥石城・唐沢山や浅井氏の山城など激しい合戦があった所ばかりですが・・・。

質問が2つありまして
・ヤフー地図にしるしを付けてブログやHPにアップする方法
・滝川一益VS北条軍の神名川の戦いに真田昌幸が滝川軍に見方して参加したとの説がありますが、どう思われますか?私は参加していないと思っています。

以上ご回答よろしくお願いします!

福山 #- | URL | 2012/09/09 19:09 * edit *

Re:福山様へ

お初でございます。ご来城とコメントありがとうございます。

ご質問の件、お答えさせていただきます。

≪yahoo地図の貼り付けの方法≫
①地図の検索で目的地に目印を表示させます。(縮尺は自由に選択出来るのでお気に入りの大きさにします)
②セット出来たら画面右上の「URL」ボタンを押します。
③別ウィンドウが開くので「この地図をブログ、サイトに貼り付ける」という見出しの下にjavaスクリプトの表示が出てくるので全てコピーしてご自身のブログやサイトにペーストして下さい。
※ブログによっては貼り付け方にルールがあるので、利用しているサイトを確認して下さい。

≪神流川の戦いについて≫
長篠の合戦以降、矢沢頼綱を通じて北条氏直に密書を送っていたのは事実で、勝頼に見切りをつけていたとも思われます。織田による武田征伐には矢沢、祢津、室賀とともに諏訪の信忠本陣へ出向き臣従を申し入れています。どちらに転んでも家名存続が出来るようにしたのは、真田だけに限らず信濃の小豪族のごく当たり前の手法だったと思われます。
昌幸が神流川の合戦に出陣したかは文献の裏付けが無いので何とも言えません。
天正壬午の乱の当初は、北条軍を川中島まで引き入れる活躍をしていたので氏直と何らかの密約があったのかもしれません。断定は出来ませんが・・・。

以上ですが、今後とも御贔屓にお願い致します。

らんまる #- | URL | 2012/09/09 20:03 * edit *

似てます

武居城(数年前訪れました)と、この竹田城は確かに縄張り特徴が似てる感じがしますね。こちらは主郭の土塁も残っていて、しかも結構大きい感じがしますし、良い遺構の状態でいつまでも残してほしいですねー 



flat top #mQop/nM. | URL | 2012/09/09 21:03 * edit *

Re:flat top様へ

コメントありがとうございます。

これだけの装備なら「負ける気がしない」と思える見事な縄張りの城でございます。
戦国末期の山城の最終形として貴重な城跡で、本家本元の武居城も真っ青って感じですね(笑)
マニアックな方にイチオシの貴重な史跡だと思います。

らんまる #- | URL | 2012/09/09 21:29 * edit *

らんまるさま、こんばんは。

どえらいマイナー城ばかり、すごいですね。

信州の山城攻めの御同盟も得られたようで、ますますのご活躍が拝見できそうですね。

さて、この城、もちろんまったく知りませんが、このような渋い山城が星の数ほど長野に存在しているのは体感させていただいたことがあります。

ここも、里のバーちゃんが、息子や孫に連れられて、えっちらおっちら緊急避難させられた場所なのでしょうね。
こういう生々しい戦国・中世の息吹が、何だかジワジワ感じられる記事でしたv-218
(中塔城、楽しみにしています。水の手はありましたか?)

大垂水 #- | URL | 2012/09/09 21:54 * edit *

返信大変ありがとうございました!

先月、埼玉県内の杉山城と腰越城に訪問しました。
先ほど書きましたが、私は激戦があった山城(高天神城など)が好きで杉山城と腰越城は文献では砦と書いてあったような・・・。

また何かありましたらよろしくお願いいたします。

福山 #- | URL | 2012/09/09 22:21 * edit *

Re:大垂水様へ

コメントありがとうございます。

頼もしい同盟軍が加わりました。既に650を越える信濃の諸城を攻め落としているとのことです。
ブログを継続する事で、次の若い世代が賛同し、道案内をしてくれることは嬉しい事ですね。

県外在住の皆さんが憧れる信濃の山城とは、かくも進化し続けた無数の無名の素晴らしい個性を持ったオンリーワンだったことを地元の人間が紹介していかねばなりません。
ようやく1/3近くになりましたが、まだまだ志半ばといったところでしょうか。

中塔城の水の手である「殿様水」ですが、東尾根の斜面に何箇所か天水溜めを発見しました。
あのような場所での籠城はさぞかし苦痛だったのだろうと、哀れに思えてなりませんでした。

らんまる #- | URL | 2012/09/09 22:44 * edit *

Re:福山様へ

あのような返答で良かったのでしょうか?

実戦を経験した城跡はそう多くは無いのですが、往時の緊迫感を現地に立ち想いを馳せるというのは大切な事だと思います。
ご自身の感じたままを発信していく事は、孤独な作業の連続ですが、同じように感じる方も世の中にはいると思うのです。続ける事・・・大変ですが応援してますので是非頑張って下さい。

らんまる #- | URL | 2012/09/09 22:53 * edit *

さすがですなー

竹田城、行けるんですね。
それにしても、山形村の小坂城などにも行かれて、難関な山城攻めご苦労様です。
しかし、やはり一人での訪城は難しいようで、仲間を誘って、藪の少ない時期に行くのがベータなのでしょうね。

馬念 #- | URL | 2012/09/17 12:09 * edit *

Re:馬念様へ

馬念さん、アオ殿が指摘されるように夏場の攻城などやるヤツは間違い無く「キ印」ですわー(笑)

規模は小さいのですが、本家本元の「天空の石垣の城 竹田城」には及びませんが同名の名に恥じない城でございます。
場所の特定が難しい山城は複数で攻めた方が良いと思います。もし間違えても「みんなで遭難すれば怖くない」し、難敵のクーさんもタイマン勝負は挑んでこないでしょうネ。

らんまる #- | URL | 2012/09/17 13:19 * edit *
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