らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

0914

中塔城④ (松本市梓川 リベンジ)  

◆時代遅れの男達、そして尾根を刻み続けた不落の城 D地区編◆

いよいよ最終章である。 毎日の更新はしんどいし、テキトー縄張図も書き飽きた(笑)

中塔城区画


さて、居住区を制圧したキラネーム同迷軍は「殿様水」を探しに西尾根を探索する。

こんな山奥に水の手があったのだろうか? 尾根の沢筋に人工的な天水溜めを二か所発見したのである。

中塔城 (67)
窪地の周りには石積みらしき破片が散乱し、中央には水の染みらしき跡が確認出来る。

付近をくまなく探索したが、それらしきものはこの場所ぐらいである。

いよいよ迷走のラストは、D地区。

複雑な段郭と塹壕、堀切の組合せは、この山城が長い年月をかけて補強されたことが良く分かる遺構であった。

中塔城D地区
相変わらず縮尺テキトー(笑) 縄張図は宮坂氏の作図を参照しています。


中塔城 (93)

塹壕の北側の尾根筋は、複雑に段郭を刻むように配置している。

中塔城 (96)
堀切㋑。郭の位置を段違いに加工して間に入れ技巧度は高い。


中塔城 (98)
南側から見ると複雑に折れる構造なのが見て取れる。

当初は単純な稜線に段郭を配置しただけと思われるが、風雲急を告げる戦国時代に入り加工したのであろうか?


中塔城 (100)
最も広い堀切㋐(南側)。背後というより前衛基地が崩れた場合に備えたものであろうか。


中塔城 (101)
22×6の郭。この背後に堀切㋐がある。


中塔城 (105)
尾根道に残る小さな堀切跡。


想像していたよりもかなりの高低差があり、それをうまく利用した防御への苦心の跡が見られる。

武田軍はこのあたりまで押し寄せて激しい抵抗に逢い死傷者を多く出したというが、まんざら嘘でもないだろう。

中塔城 (108)
段郭を変幻自在に組み合わせた古めかしい防御だが高地だからこそ機能したのであろう。


【二木家の辛苦】

小笠原長時は、城を立ち去るに当たり中塔城主の二木重高に武田に降るよう言い残したと云う。

後詰も無く、武田への内通者が城に放火を企てる有り様であった二木氏は籠城を断念、開城し武田に降る。

その後、甲府の府中への出頭を命じられ先に小笠原を見限った三村長親とともに晴信による詮議を受けたと云う。

三村氏は死罪を申しつけられたが、二木氏は赦されて故郷へ帰る事が出来た。

最後まで主君に忠節を誓い守り通した忠義を晴信が認めたのであろう。

武田が滅び小笠原貞慶が旧領を回復すると、二木氏は貞慶に従い貢献し、最終的には小倉藩小笠原氏の重臣として明治維新まで家を存続させている。

小笠原長時を見限り裏切った豪族が貞慶により悉く滅亡させられた中で家名を存続できたのは、中塔城で長時を守り続けた忠誠心だったのかもしれない。

時代遅れの男たちは、その実直さゆえに戦乱の世を生き延びたのである。

中塔城 201209
中塔地区から見た中塔城。

鉄塔から転がり落ちるように北尾根を下り、無事林道に降り立った時に夕立の洗礼を受ける。

一つの山城に5時間近くも要したのは初めてである。

縄張りも防御も平凡かもしれない。居住地なども自然地形に若干の手を加えただけである。

でもね、その場所を訪れてみて初めて分かる事や気づく事も多い。

「城と古戦場」のマサハレ殿、「埋もれた古城」のウモ殿、「信玄を捜す旅」のシゲル殿・・・尊敬して止まない方と同じ場所に小生もていぴす殿も辿りつく事が出来ました。

「長時さんの鼓動や息遣いを感じる・・・」それもまた城巡りの楽しみなんだと改めて思いました。

辛い攻城戦を共に戦った「ていぴす」さんには心よりお礼申し上げます。


中塔城 (116)
梓川ふるさと公園から見た中塔城全景。


≪中塔城≫ (なかとうじょう 小室山古城、中洞小屋) 

標高:1248m 比高440m
築城年代:不明
築城・居住者:二木氏
場所:松本市梓川(安曇野市三郷)
攻城日:2012年9月8日 
見どころ:武田軍も呆れて攻めるのを断念した難攻不落の城を堪能すべし。
お勧め度:★★★★★(最も過酷な攻城戦に満点)
城跡までの所要時間:90分~120分
注意:日帰り登山なのでそれなりの装備は必要。クーさんの痕跡は無いが、対策グッズは必須。
付近の見どころ:そんな体力残ってませんわー(笑)
参考文献:「図解山城探訪 第六集 安曇史料編 宮坂武男著」「信州の城と古戦場 南原公平著」

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Posted on 2012/09/14 Fri. 22:29 [edit]

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コメント

二木さん

らんまる殿 お邪魔いたします。

 二木さんが、貞慶さんに殺されなかったのは、そういう経緯があったのですね。

 勉強になりました。有り難うございます。

 真夏の山城二時間登りに耐えていただいたお陰で楽しいレポートを拝見出来ました。

 今後も期待をさせて頂きます。

武蔵の五遁 #- | URL | 2012/09/15 07:43 * edit *

Re:武蔵の五遁様へ

五遁さん、いつもコメントありがとうございます。

「人から受けた恩は忘れてはいけない・・」どこかのお弁当屋の宣伝ではありませんが、長時さんは息子の貞慶に言い含めておいたのでしょうね。二木さんの忠誠心は二心無きものだったと思います。

さすがに4部作は薄めた割には疲れましたあー(笑)
デカイ城は攻めるのも書くのも大変です(汗)

貴殿のブログも拝見しておりますが、読み逃げですみません・・・
山の葉っぱが早く落ちる事を願っている毎日でございます(爆)

らんまる #- | URL | 2012/09/15 07:59 * edit *

お疲れさまでした。

こんにちは、お世話になっております。
記事を滞らせています。。。ていぴすでございます。
らんまるさんさすがですね~
毎日更新されるなんて活動的です。尊敬です!
中塔城やっぱ広いですよね。。。。記事を書くのも悩むくらいですな。
らんまるさんの記事を参考に頑張っていきます。
また誘ってくださいね。

ていぴす #- | URL | 2012/09/15 15:32 * edit *

らんまるさま、お疲れ様でした。

中塔城、全国的にはまったくマイナーな城址ですが、信州の山城マニアには、何だか魅力を感じる歴史と立地がありますね。

『日本城郭大系』なんかを持っておりますと、登りたくて仕方なくなります。

わたしが一人でうら静かな本郭にたたずんでいた時、何とも言えない、山に飲まれこまれるような孤独感を覚えた記憶があります。

苦労の割には遺構は残念ですが、わたしの大好きな城のひとつに相違ありません。

大垂水 #- | URL | 2012/09/15 16:05 * edit *

Re:ていぴす様へ

キラネーム同迷軍としてお世話になりました。
「道に迷う事は、道を知る事だ」・・・んーん、実戦しちゃいましたね(笑)

まあ、イッキに掲載しないとどの写真がどこの場所だったか忘れちゃうんでネー(汗)
尊敬に値するかどうかは疑問でございますが・・・(爆)

さあ、来月は白馬方面に攻め入りまするぞ!
心身の鍛練を怠らないように!(って、自分の事か・・・汗)

らんまる #- | URL | 2012/09/15 19:35 * edit *

Re:大垂水様へ

ご丁寧にありがとうございます。

貴方のHPが無ければ小生のブログなど存在しなかったでしょう。
信州の山城にこれほどの造詣と愛情を持っておられる方もいないと思います。

今回の中塔城ですが、一回の記事で纏めるつもりでいましたが、先に訪れた皆さんの偉業を称えるべく四分割しました。山の塊に挑む事は険しく厳しい道のりです。
「マサハレ殿もこの場所に佇んでいたのか・・・」そう思うと感無量のものがありました。

規模の大小、縄張りや技巧の優劣はありますが、小生にとっても貴殿にとってもどれ一つとして外す事の出来ない愛すべき信州の山城群です。
最近は戯けた文面の記事になりつつありますが、これに懲りずにご指導ご意見をお願い致します。

らんまる #- | URL | 2012/09/15 19:54 * edit *

予想外

中塔城の存在は知ってましたが、高所にあるだけで縄張り等は大したことがないのだろうと思ってました。でも、それなりの縄張りでちょっと意外でした。
やはり、戦があった城は、緊張感が伝わってきますね。
しかし、比高400メートル超は、造ったり攻めた当時の人達もすごいですが、登って遺構を確認した人もすごいです。
お陰でレポート楽しめました。

のら(M@埼玉) #- | URL | 2012/09/16 10:50 * edit *

Re:のら様へ

コメントありがとうございます。

もはや気力と執念だけで攻め入った次第でございます(笑)
さりとて登れば隅々まで調べないと気が済まないので5時間もかかりましたが・・(汗)

いつの日か府中を奪還してみせる・・そんな長時さんの想いを感じる場所です。
四連続で掲載したのも初めてでしたが、長時さんの執念が乗り移ったのかもしれませんネ(笑)

らんまる #- | URL | 2012/09/16 18:12 * edit *

いつリベンジしようか

ここは、30年前に一度登っています。
高校生の時でした。
バッグに城郭大系突っ込んで、南側の尾根を登りました。
何時間かかったか、覚えてもいません。
そして下り道、道がわからなくなりました。
やばい!
それでもひたすら下へ下へ、と。
その時、下に水面が、北黒沢のダムでした。
バイクを置いたのは山の反対側、とはいえ、すでに戻る気力もずくもなく。
なんとかダムまで行けば、それでも道があるはず、という一念だけ。
ところがそれを阻む、断崖に出ました。落ちれば即死でしょう。
木につかまりながら、少しずつ横移動…
なんとか舗装道に出た時は、力が抜けました。
持っている地形図を見ながら、バイクを止めた場所まで2キロ以上戻り、
なんとか、家に帰りました。

今度職場の後輩と、登る算段をしています。日程が合わないので、なかなか。

ても、30年ぶりのリベンジ、絶対やるそ!

赤いRVR@松本 #- | URL | 2013/05/05 18:13 * edit *

Re:赤いRVR@松本様へ

若気の至りというヤツですね。行けばなんとかなる精神・・・無謀ですがアリでしょう(笑)

図解山城探訪の中の解説で、宮坂武男氏は「タダヒタスラノボル」という表現を用いています。
小生はその言葉が大好きで、険しい山城攻めには心の中で念じながら登っております(爆)
中塔城はその言葉を使った第一級の険しさを持つ山城でした。
遺された遺構を見た時に、長時さんが籠城する城として選んだ理由がわかったような気がしました。

道中お気をつけて三十年ぶりに堪能してくださいませ。


らんまる #- | URL | 2013/05/05 19:22 * edit *
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