らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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奥三河~信濃への帰還⑤  

◆信濃の山猿珍道中 最終回◆

奥三河の秘境湯谷温泉から別所街道⇒遠州街道⇒伊那街道を目指し帰還の途につく。

三方ヶ原で家康を打ち破り、西上の夢を果たすべく進軍していた信玄公は信長を追いつめていた朝倉義景の突然の撤退に愕然としたという。信長と対峙すべく千載一遇のチャンスの神は逃げたのである。

野田城の攻防で東三河への進軍が停滞していたのは病状悪化をカモフラージュする為であり、武田軍はお館様の回復まで時間稼ぎをしていたが、それも叶わず全軍甲斐へ向けて反転する。

hazu (5)
湯谷温泉宇蓮川の名勝「馬背岩」


信玄公は信州駒場(下伊那郡阿智村)で亡くなったと云う(享年53歳)
※浪合または根羽という説もある。

西上作戦自体を疑問視する研究もあるというが、果たしてどうであろうか?
迫りくるおのれの寿命を知っていたからこそ、鬼気迫る執念で西上の軍を起こしたと小生は信じて止まない。

設楽城(三河) (16)
別所街道沿いになる設楽城。中世時代の山城の遺構が良く残っている。


福与城 (14)
武田軍の攻撃に対して50日間耐えたという藤沢さんちの福与城。(箕輪町)やたらとデカイ城だ。


不慣れな土地を駆け足でめぐり続けた五日間でした。

「此処はどこ?、海はどっち?、茶畑ばっかりだけど主食はお茶かしら?」(失礼にもほどがある・・・笑)

信玄公の足跡を辿る城巡りになりましたが、だいぶ世界が広がったように錯覚しています・・(爆)

写真や資料の整理が出来ましたら、いずれボチボチとアップしていきたいと思ってます。




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Posted on 2012/10/12 Fri. 23:48 [edit]

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