らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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苅田城(小布施町)  

◆北信濃の豪族「高梨氏」の大城塞◆

小布施町といえば、栗と葛飾北斎で有名な町です。
また、戦国武将の福島正則終焉の地でもあり、毎年岩松院には多くのファンが訪れています。

その岩松院の裏山ですが、この地域の豪族だった高梨氏の城塞だった事を知る人は意外と少ない。

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苅田小城跡からは北信五岳のうちの四岳が良く見えます

【高梨氏】

清和源氏の末裔を名乗り、源平合戦では源義仲と共に平家追討軍に加担し京都まで上る。
南北朝から室町時代は北信濃一帯を治め、越後の一部も領地とし村上氏とともに信濃の一大勢力となる。

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↑平積みの石垣を多用した苅田小城。これほどの石垣が現存するのは北信濃でもこの城だけ。見事です

このころから越後長尾家(のちの上杉謙信の実家)を支援するが、関東管領上杉家と対立。
また善光寺平への侵略を計る村上家との領地争いで次第に弱体化していく。
その後、村上義清が武田信玄に駆逐されると、善光寺平に侵入してきた武田軍により一時飯山まで撤退し上杉謙信に支援を要請する。
他の北信濃の豪族同様、高梨氏も上杉の家臣化への道を歩む。

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↑城というよりは砦に近い狭さだが、防御するには充分な構え。

武田が滅亡し、続いて織田信長が本能寺の変で滅ぶと上杉景勝が北信濃を奪取して高梨氏は旧領を回復する。
上杉家の会津移封で家臣となっていた高梨氏はこの地を去り、その後米沢藩上杉家臣として明治維新となる。

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苅田大城手前の巨大な崖岩。恐らくここが虎口だったと思われる。よじ登る時に足が竦みました(笑)

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↑苅田大城の本郭跡。奥に見える山が詰城(?)と云われる千僧坊(峰続きでここから30分程度の距離)

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苅田大城よりピークの苅田山の山頂(759m)滝之入城を臨む。山全体に砦を配置した巨大な城塞

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山麓の浄光寺より苅田城跡

実戦で機能する事は無かったようですが、北信濃の豪族としての威容を誇る山城です。
地元では「苅田山公園ハイキングコース」として親しまれています。

山登り中に70才過ぎのご老人とすれ違いました。しかも走ってる!仙人との遭遇か・・・(爆)

場所:上高井郡小布施町苅田
攻城日:2010年4月14日
お勧め度:★★★☆☆
見どころ:苅田小城の石垣、大城の堀切、虎口
時間:岩松院~苅田小城までなら10分。体力不要で気軽に登れます。(大城まではチョット大変です)
※福島正則の霊廟とセットで見学するのがお勧め!





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Posted on 2010/06/12 Sat. 18:30 [edit]

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