らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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一夜山城 (北安曇郡白馬村神城)  

◆腰掛け呼ばわりされた不名誉な城◆

今年は例年より冬将軍の足音が早くて、昨日本日と白馬村方面は積雪状態となった・・(汗)

今週末に平倉城を攻める予定だったが、週末も雪の予報らしく小谷村方面への進軍は諦める事にした。

今回ご紹介するのは飯田城の対面にある「一夜山城(いちやさんじょう)」

秀吉の墨俣一夜城のような出世城ではなく、一夜で落城したという不名誉な城歴を持つ城である。

一夜山城 (2)先頭を歩く「ていぴす」さん。だらだらした上り坂は小生も苦手である。

この日は、キラネーム同迷軍に馬念様を加えた豪華キャストで千見城、三日市場城、茨山城を撃破し最終に攻め込んだのが一夜山城であった。

「比高100mなど、攻めたうちに入らぬ!!」(山県昌景談)  このことである・・(笑)

一夜山城見取図①

飯田城の北東にある独立丘陵が一夜山で、最高地点の標高851m、山麓からの比高は110mである。

登り始めて直ぐにデジカメのバッテリー切れとなり、仕方なく携帯電話のカメラでのショボイ撮影となる・・(汗)

一夜山城 (3)プアな堀切跡

痩せ尾根の道を登るのだが、どこからが城域なのか不明である。

この手の城は尾根上を数本の堀切で穿つのがセオリーなのに、防御がかなり甘い。

一夜山城 (4)主郭虎口と堀切㋐、そして土塁。

永遠と続きそうな緩い上り坂を詰めると平場になり、ようやく堀切があって一段登るような虎口に至る。
※この虎口は後世のもので、往時は北西にあったらしい。

主郭手前の堀切なのに中途半端で、左右の斜面に対しても竪掘りの処理もしていない。

一夜山城 (5)
本郭に祀られた秋葉社と三尺坊の祠。

一夜山城 (8)
祠の側面の北西側は高土塁で囲まれている。

本郭の東側には山麓の長谷寺に通じる道があったようだがハッキリしていない。

プアな城にしては郭2との接続部分に平虎口を構えているのが面白い。門があったのだろうか?

一夜山城 (9)

攻め手を意識しているのは北西方面であり、郭2の下に犬走りのような段郭を設けているのだ。

一夜山城 (11)
郭2(52×25)

標高のピークに郭3を置いている。

南尾根からの迎撃用の郭であり、櫓が置かれていた可能性もある。

一夜山城 (13)郭3。

郭3の先には土塁で囲まれた「馬場跡」と説明板に書かれた郭がある。

「馬隠し」だったとあるが、こんな場所に馬を置くはずなど無く、堅固な土塁の構築から見ると城域南側の防御施設であろう。

その証拠に土塁下の尾根にはこの城で唯一の幅広な堀切が存在している。

一夜山城 (18)「馬隠し郭」と土塁。虎口のように見えるが後世の破壊であり、連続した土塁だったと思われる。

一夜山城 (21)馬隠し郭と二重堀切。


【城主・城歴】

仁科氏の氏族である大森氏の居城。弘治二年(1556)、千見城を落とした武田軍の山県昌景は白馬街道の諸城を攻め落とし、飯森春盛の守る飯森城(一夜山城)に迫る。
ここでの籠城戦は不利とみた飯森盛春は、城を捨て越後に逃げたという。

一晩にして落城したこの城は「一夜山城」と呼ばれた。

※飯森春盛は翌年二月に小谷村の平倉城に復帰し武田に抗するが、厳冬期を押して急襲してきた山県勢に攻められ奮戦空しく討死した。

一夜山城 (25)山麓にある長谷寺(ちょうこくじ)。飯森盛春の夫人の墓所がある。

一夜山城は別名「飯森殿腰掛城」と呼ばれる。

飯森信春も、これだけのプアな城では武田軍の猛攻に耐えられないと読んでいたのであろう。

飯田城に逃げ込むつもりが、先に飯田城が落城してしまった以上、逃げるしかなかったのかもしれない。

一夜山城 (27)長谷寺にある飯森夫人光姫の墓。

「大将たるもの、いかに生き恥を晒そうとも、生き延びてその汚名を果たす事こそ肝要である。」

小生の好きな信長公の名言であり、座右の銘である。

しかし、豪雪を押して出撃した山県昌景の執念は、飯森氏を卓越してしまった。

これも戦国の定めであろうか・・・・。

一夜山城 (24)
長谷寺付近から見た一夜山城。

≪一夜山城≫ (いちやさんじょう 飯森城、飯森殿腰掛城) 

標高:851m 比高110m
築城年代:不明
築城・居住者:飯森氏
場所:北安曇郡白馬村神城
攻城日:2012年10月20日 
見どころ:堀切、郭、土塁など
お勧め度:★★☆☆☆
城跡までの所要時間:20分
注意:特に無し
参考文献:「図解山城探訪 第六集 安曇史料編 宮坂武男著」

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Posted on 2012/11/15 Thu. 21:34 [edit]

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コメント

いいお城でした。。

こんばんは。。。。。いつもお世話になっています。

今年の早い雪には困ったものですね。。。やっといい時期になったのに。

一夜山城ですが、武田氏の侵攻時に戦わずに自落とのことですが、何の役割を
もった城だったのですか?
飯田城があれば眺望は飯田城や秋葉の砦でもよかったと思われるし・・・

あの虎口(門跡)など以外に優れた遺構が存在するのにもったいないですね。
やはり周りの城が落城してしまえば優れた城も役には立たないということでしょうかね。

週末楽しみにしております。
雪が降らないことを願って。。。よろしくお願いします。
虚空蔵山は大丈夫ですか?

ていぴす #- | URL | 2012/11/15 23:56 * edit *

Re:ていぴす様へ

おはようございます。
虚空蔵山は昨晩からの雨が雪に変わり真っ白でございます…(汗)
きっと仁熊城も雪景色だろうなあ~(笑)

仁科一族は攻め入る武田軍に対してバラバラだったんでしょうねえ。
降伏していた千見城の大日向さんや茨山城の塩島さんは謀反の疑いありとして成敗されちゃったし、
一緒に抵抗するはずだった大日向佐渡守は攻められて落城。
飯田城の後詰が無ければ出城扱いの一夜山城なんてゴミ同然だったと思います。
兵隊もいなかったんでしょうね(汗)

さてはて、週末は天候の回復を祈るしか無いという状態・・・(爆)
濡れ落ち葉が最大の敵になりそうです‥‥。

らんまる #- | URL | 2012/11/16 07:36 * edit *

雪山遭難にご注意を

そうですか。もう、雪ですか?
雪が降ると厄介ですね。
間違っても、八甲田山・・は避けましょう。
神は我らを見捨てたか!じゃ、洒落にもならんです。

さて、一夜山城、遠くから見ると、さもよさそうな遺構がありそうに見える感じの山なんですが、遺構はこんな感じでしたか。
それに悲しいというか情けないというか・・そげな歴史があったのですねえ。

あおれんじゃあ #- | URL | 2012/11/16 20:54 * edit *

同感ですねえ

白馬地区のお城の分布をみますと
飯田城城塞群が本城のようですので
一夜山城は戦闘前哨
(本城が備えを固める時間稼ぎ)
のような感じだったのでしょうね。
先に飯田城が落ちてしまった場合は
放棄されちゃったのではないでしょうか

丸馬出 #- | URL | 2012/11/16 21:00 * edit *

Re:あおれんじゃあ様へ

師匠、例年だと12月に入ってから太郎山も虚空蔵山も初冠雪なのですが、今年の冬将軍の威嚇はハンパ無いですね。今朝の虚空蔵山は上半分が真っ白でございました・・(汗)
泣く子と雪(地頭か?)には勝てません。たかだか1200mといっても天候の急変は命取りですね。

一夜山城ですが、バンバンと尾根に堀切を入れれば一本道だし、両斜面からの攻城は無理なので少人数が籠ってもそこそこ持ちこたえられそうなのに、飯森さんはどうしちゃったんでしょうか?
シンプルな構造の城の利点はそれなりにあると思っているのですが・・・。

らんまる #- | URL | 2012/11/16 22:11 * edit *

Re:丸馬出様へ

ご推察、ご尤もでございます。

当時は売り出し中で赤丸急上昇中(古いなあー・・汗)の飯富兵部(山県昌景)さん、電光石火の如く北信濃を平定し晴信さんの期待に応えました。
「無人の荒野を行くが如し」って感じでしょうか。

シンプルな城の方が少人数でも守れるような気がするのですが・・。

らんまる #- | URL | 2012/11/16 22:59 * edit *
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