らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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千見城② (大町市美麻千見)  

◆境目の城の辿った運命とは◆

さて、第二部では千見城の城歴などについて記載しようと思い、色々と調べていたら半日過ぎてしまった(汗)

そういえばA地区の城址説明板の横にお墓があり、「何でこの場所に??」と思ってみると天保の刻み文字。
それ以外の文字は風化が酷く欠落していて読み取れない。

天保年間は1830年から1844年なので、千見城が廃城になってから200年以上経過している事になる。

千見城 (28)奇妙な墓石。誰のだろう?

このお墓にまつわる答えは旧美麻村の村誌(明治九年)千見城址の説明にあったのだ。

「本村より丑寅の方一里五町、千見にあり。本城東西二十三間、南北五十六間二ノ丸東西二十九間、南北二十五間。三ノ丸東西二十二間、南北十五間。南面北脊地を山頂に占め、前麓に千見川を擁せり。
白鳳年間。(私号か?天文年間を指すのか不明)大日向源吾長辰 茲(ここ)に居城す。事記不備と雖(いえど)も、武田信玄の為に亡ぼさると云ふ。
降って寛政より文化及び天保に至るの間、城址藪々震鳴す。攻閴闘々金鼓響々として毎夜止まず、老幼面に色なく、身戦慄を極む。是に於て閇村聚會し、日を拝み、神に誓ひ、全山の茨藪を苅り、鬱葎を伐り以って腐敗の塵埃を掃除し、碑を建て戦死の魂を招き祀る。以降はしかる妖災なきに至れり。 (後略)」

千見城 (43)本郭に建つ大日向長辰の碑。

天文二十一年(1552)に村上方として仁科口の千見城を守っていた大日向長辰は、武田軍の攻撃に逢い落城し討死したのだが、その霊が280年後に千見城に突如現われポルターガイスト現象を引き起こし村人を恐怖に陥れた。霊を鎮める為に村人が城跡を綺麗にして碑を建て、その現象は収まったという語り伝えである。

天正十年以降の争奪戦よりも千見村の住民にとっては、信玄に滅ぼされた長辰の怨霊伝説が実しやかに根付いているのは意外であった(笑)


【千見城 B地区】

千見城B地区全体図は千見城①ブログ参照。

B地区はA地区から下降した南西尾根に展開している。敵の攻撃はこの尾根に絞られるので、尾根先には巨大な岩の虎口と三本の堀切で厳重な防御態勢が敷かれている。

千見城 (55)三の郭北側。

千見城 (60)土塁で仕切られた三の郭南側。

シロウトの目で見ればA地区へ通じる郭3の背後に堀切を入れたいと思うのだが、急傾斜の斜面に対して丁寧に切岸を付けているので必要なかったのだろうか??

正面突破の正攻法ならいざ知らず、南東へ迂回すればA地区への侵入は容易である。

千見城 (53)急がば廻れのA地区への切岸。

この城が落城を繰り返しているのは、縄張りの欠陥かと思われる。南東尾根から直接A地区を狙うのはゲリラ戦を用いれば容易であり、司令塔を占拠すればB地区もC地区も逃げるしか選択肢は無かったであろう。

つまり、守るべき尾根が分散しているために戦闘場の集中が出来ずに隙だらけだったと思われる。

千見城 (61)郭3の虎口は巨大な石が置かれ堀切に通じている。

千見城 (62)堀切㋕

千見城 (67)堀切㋖

千見城 (69)巨石の並ぶ郭。防御効果は高い。

千見城 (73)高低差のある堀切㋗。南西尾根の最終防御。


武田滅亡後の天正十年以降、争奪戦の繰り返された千見城は、小笠原貞慶や上杉景勝の家臣が普請を命じられて拡張されたらしいが、手を入れたのはA地区のみだったように思えてならない。それも軽微だ。

あくまで推測だが、美麻村の村誌によれば、山麓に「一ノ城戸(木戸)」「二ノ城戸(木戸)」「西城戸(木戸)」「帳場(仲場)」「馬場」「二本矢」などの地名が残るので、城域入り口の防御態勢を構築したのではないだろうか。

千見城 (74)堀切の先は岩場が険しく行き止まりだ。


千見城と大日向氏の関わりは深いので、次号③「C地区編」で触れてみようと思う。

ちゃんと書かないと我が家にポルターガイスト現象が発生するような気がしますので・・・・(汗)





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Posted on 2012/11/25 Sun. 21:47 [edit]

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« 虚空蔵山城ツアーのご報告  |  千見城① (大町市美麻千見) »

コメント

不思議です

今晩は。筋肉痛ののらです。(笑)
千見城ツアー参加したかったですねー。

しかし、これだけの縄張りを持つ城が何度も落城するのは不思議です。
A地区はそんなに簡単に攻められるのですか・…。
それならばもっと加工をすれば・…と勝手に思ってしますのです。しかし、実際現地に行って感じないと分らないことがたくさんありますからね。

来年には行きたい城の一つです。

のら #- | URL | 2012/11/25 23:10 * edit *

Re:のら様へ

お晩です(笑)

正攻法ならともかく、尾根が多いとそれだけ防御に人数を割かねばならないと思われます。
小生や「ていぴす殿」のような山岳ゲリラは最短コースで攻め落とす事に執念を燃やします・・(笑)

城域としては複雑で見応えがありますが、城正面とか後ろ堅固という基本からは外れているように見受けました。
虚空蔵山を制した人には物足りない難易度ですが、その目で是非見て頂きたいと思います。

らんまる #- | URL | 2012/11/25 23:47 * edit *
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