らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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八幡松田館 (千曲市八幡)  

◆千曲市の保存事業により壊滅の危機から救われた戦国の居館◆

今年は戦国時代の古道を調べるうちに街道に凝ってしまい、さらに自分の足で歩くという趣味を始めたのだが長続きしていない・・・(汗)

最近は「廃城」ならぬ「廃峠」に心が揺れている・・・(笑) 廃線マニアの方の気持ちが分かる気がする?

若かりし頃は、峠をブイブイと車で攻めたものだが、廃れた峠も魅力的である。そんな奇妙な趣味の方がいるのか?とWeb検索すると、意外と市民権を得ているようである。信州の廃峠を制するのも案外後世の役に立つような気がしている。

今回ご紹介するのは「八幡松田館」(はちまんまつだやかた)

稲荷山城 (13)千曲市というよりは長野県でも有名な武水別神社。(たけみずわけじんじゃ)

「ええい、また神社かい!」

お叱りはご尤もであるが、神社や寺院と戦国の居館は切っても切れない繋がりがある。

といって現存する神社やお寺=豪族の居館跡というのは早計過ぎる判断となるので、その認定はかなり難しいようだ。

稲荷山城 (16)武水別神社本殿。


今回ご紹介する松田館は、戦国時代に明確な意図を持って築かれた神社一体型の居館で県下でも貴重な遺構らしい。

八幡松田館見取図①
街道を挟むような形で神社と居館が置かれているのが分かる。

【武水別神社の御由緒】

・御祭神  主祭神:「武水別大神(たけみわけのおおかみ)」
      相 殿:「誉田別命」「息長足比売命」「比咩大神」

・御由緒:社伝によれば第八代孝元天皇の御代(紀元前273~紀元前158)に御鎮斎と伝えられ善光寺平の五穀豊穣と千曲川の氾濫防止を祈念して祀られたという。

気の遠くなるような由緒正しき神社だというのは、不勉強な小生にも分かった・・・(汗)

八幡松田館 (16)広い境内の中央付近の鳥居の左右に土塁がある。

八幡松田館 (1)街道側の境も土塁で盛られているのが確認出来る。

【武水別神社と松田館の立地、そして松田氏とは?】

千曲川の左岸の河岸段丘上にあり、東側は外堀の千曲川に対して内堀のような役目の更科川が流れる。猿ヶ馬場峠を越えれば筑北の麻績・青柳方面、西の古道は犀川方面に繋がり、千曲川を遡れば上田小県、下れば川中島で陸路と海路の要衝である。

武水別神社を土塁で囲み要害化し、対面に方形の居館を築いたのは神官である松田氏であり、記録に登場するのは武田氏滅亡後この地で上杉景勝と小笠原貞慶が覇権を争った時である。

松田盛直なる神官の正体は「日岐(仁科)盛直」であり、生坂付近を領有していた日岐盛武の弟だった。

何故兄が上杉に雇われ、弟が貞慶軍の旗本になったのかは「長野県の歴史を探し求めて」に詳しいのでご参照願う。ここでは割愛させていただく。

八幡松田館 (14)街道から「大門」と呼ばれる松田家の入口とその塀。

【松田家史料 保存整備事業とは?】

千曲市の指定有形文化財である「武水別神社神官 松田邸」は次の説明による。

武水別神社神官の松田家は、近世初頭から八幡宮の神主を務める家柄であり、松田家には神社経営に関する貴重な資料が保存され、またその敷地は間口51間(約3m)、奥行き40間(約3m)の規模で、四方に土塁を築き近代までは周囲に堀がめぐらされていた。このような屋敷の構えは中世の居館跡と推定されます。

明治前期には敷地の東南隅を八幡村役場として提供し、堀の大半は昭和中期以降の道路拡幅等によって埋められてしまいましたが、それ以外はほぼ近世の状態を保っています。

松田邸は、神官の住居として県内で屈指の屋敷を構え持ち、往時の屋敷環境のほとんどが保たれていて貴重な遺構です。

千曲市では、平成17年度から平成25年度の計画で建物等を整備し、平成26年度から博物館として広く公開の予定です。

八幡松田館 (7)松田邸の工事看板。

宮坂武男氏は平成15年の居館調査時に倒壊しそうな家屋を目の当たりにして、貴重な松田邸の行く末を案じ保存を願っていた。

その願いが千曲市に通じたのかは定かでないが、その年に有形文化財として指定され、平成17年から発掘調査と保存整備が進められている。
この英断には心より拍手を送りたい。(ってか千曲市は更埴市時代に「屋代城」で取り返しのつかないエラーをしているので帳消しか?)

八幡松田館 (6)「斎館」と呼ばれる正面入口建物。

松田館が貴重なのは、縄張りだけでなく現存する建物の歴史でもある。

寛永三年(1791)以前の建物:母屋、天神地衹社、御霊屋、西の土蔵

寛永三年以降~幕末の建物:斎館及び母屋への接続部分、長屋門、大門の塀、表門、味噌蔵、隠居屋

明治期の建物:新座敷、料理の間、裏の長屋、北の鞍、おたや

松田鄭見取図
これだけの規模の屋敷跡はめったに見られない。

八幡松田館 (8)明治八年当時の松田館。


まあ、つらつらと訳の分らぬ記事を書いてしまったが、館全体が工事中のため、戦国往時の遺構を調べるのは至難の業であるし、一般人の生活空間なのでプライベートにも考慮する必要がある。


八幡松田館 (13)東側の小路は堀跡で、奥の建物は隠居屋。

八幡松田館 (2)西側の堀跡。右の消防団詰め所は往時の八幡村消防署跡。

中世城郭のブログやHPには大抵掲載されている松田館なのだが、松田氏の出自について記載したものは少ない。

ましてや神官の松田氏が日岐兄弟の片割れで、ここにも兄弟が敵味方に分かれた歴史があることなど知らぬが仏であろうか・・。

八幡松田館 (4)居館東側の土塁の上にある天神地衹社。

八幡松田館 (5)東南隅の堀跡。


神社と一体となった県下随一の中世の城館であり、これほどの遺構の残るものは少ないと思われる。

修復後の一般公開は平成26年からなので、今から楽しみである。


≪八幡松田館≫ (松田館) 

標高:366m 比高-m
築城年代:不明
築城・居住者:松田氏
場所:千曲市八幡(市史跡)
攻城日:2012年12月24日 
見どころ:土塁、水堀、空堀跡、建物
お勧め度:★★★☆☆(復元されれば満点でしょう)
城跡までの所要時間:-
注意:現在復元工事中で見学不可
付近の見どころ:稲荷山城(雰囲気だけ?)、小坂城、龍王城、塩崎城、塩崎新城など
参考文献:「信州の山城と館② 第五集 長野・更埴編 宮坂武男著」

稲荷山城 (14)毎年二年参りの参拝客で賑わう武水別神社。





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Posted on 2012/12/28 Fri. 07:58 [edit]

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コメント

お八幡さん

ガキのころから良く行きましたねえ。
親に連れられてさあ。

実家のとなりの親父は新車のお祓いを武水分神社で受けて、帰路、事故りましたが、あの親父、小笠原さんの末裔かもなあ・・・。

土塁があるのが不思議でしたが、戦国時代からあったのでしょうかねえ。
神社も始めからあの場所だったんでしょうかね。

松田さんの歴史も凄いけど、家や屋敷自体も重厚で凄いです。
整備保存されるのは嬉しいことです。

あおれんじゃあ #- | URL | 2012/12/28 19:16 * edit *

Re:あおれんじゃあ様へ

お祓いの帰りに事故ったんじゃ洒落になりませんねえ・・祈祷料返還訴訟でも起こしたほうが良かったかも(まあ、板金修理代には追いつきませんね 笑)やはり貞慶さんの親戚なんでしょうか(汗)

景勝さん、神社もお寺も日岐氏も総動員して「貞慶憎し」ってところでしょうか(爆)
場所からすれば稲荷山城の正面を抑える出城のような要塞でございます。

ついでに松木本陣と冠木門も指定文化財で保護してもらえると「千曲市の為に万歳三唱」してもいいと思ってますが・・・(笑)

らんまる #- | URL | 2012/12/28 20:22 * edit *

よく残ってますよね

こんばんは。

日岐氏関連の居館は興味があり、去年見に行きました。

その時も整備中でしたが、家の方に頼んで隅々まで見させていただきました。
内部は発掘中でしたが、土塁から石積みが出土していたり、井戸の石積みなどもあり
興味深く見てきました、周辺土塁は笹藪で中々でしたが。。。。

こんな貴重な遺跡・建物をやっと整備する気になった千曲市に少し遅い気もしますが
喝采です。。。。。整備後が楽しみです。

しかし、千曲市・上山田周辺には神官の居館というのが結構見られるので、諏訪同様に
このあたりは神官にもかなりの権力があったんでしょうね。それとも土豪化してたんでしょ
うかね。。。。興味深いことです。

ていぴす #- | URL | 2012/12/28 21:13 * edit *

Re:ていぴす様へ

まあ、貴殿の事ですから、囲炉裏の灰まで入念に調べる様子が目に浮かぶようですわー(笑)

被征服地の信濃と武田晴信による宗教との関係からアプローチしている書籍も時々見かけるのですが、イマイチ踏み込めていないようです。

神社仏閣、古道、峠、土豪の居館というパズルを組み合わせると、色々な謎が解けるような気がします。
それにしても年末の雪はさすがに要りませんネ(爆)

らんまる #- | URL | 2012/12/28 22:28 * edit *

宗教勢力

当時は宗教勢力が大きな力を持っていたことが
推測されるようないいお城ですねえ。

飯綱山、戸隠山、小菅山と北信には
大きな宗教勢力があったようですが
武田さんにせめられてしまったようで
ちょっと残念です。

丸馬出 #- | URL | 2012/12/30 10:20 * edit *

Re:丸馬出様へ

信州の戦国時代と宗教勢力の関わりは意外な発見があるのかもしれませんね。

らんまる #- | URL | 2012/12/31 08:42 * edit *
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