らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

0116

西の城・東の城 (長野市信更町赤田)  

◆信州では西高東低という城型気圧配置か?◆

だいぶ古いが、井上陽水の詩に「東へ西へ」というのがあった・・・基本、昭和人なのでご容赦願います(笑)

名曲「傘が無い」をタイトルチューンとしたアルバムに収録にされている曲なのだが、歌詞は衝撃的だった。

「電車は今日も スシヅメ のびる線路が拍車をかける 満員 いつも満員 床にたおれた老婆が笑う お情無用のお祭り電車に 呼吸も止められ 身動き出来ずに夢見る旅路へ だからガンバレみんなガンバレ・・・」

凄い描写である・・(汗)

お婆さんにも情け無用の都会の満員電車とは、いったいどういう電車なんだろうか。

この歌を知ったのは高校生の頃だったと思うが、その歌詞の鋭い描写とその感覚に云いようの無い戦慄を覚えた。

西の城・東の城①東の城(左側の丘)と西の城(右の丘)の遠景(2012/06/10撮影)

それと今回の「西の城・東の城」とは全く関係が無いのである・・・・(笑) 前置き長過ぎ・・・(汗)


信州にも方角を名前に持つ城や砦がある。

小生が訪ねた方角を持つ城跡は何故か「西」が優勢だった。(青木村も筑北村も)

なんでだろう なんでだろう ななななんでだろう・・・・・(ってか既に死語に近いらしい・・・笑)


西の城・東の城見取図①西の城の縄張りの発展形が和田城であろうか?


恐らく城跡が無ければ一生知らずに終わった田舎町である。

ここに暮らす人々がいて、ここでしか見る事の出来ない風景がある。

風変わりな趣味ゆえに周囲に理解されず悲しい思いをする事もあるが、その土地のお年寄りが生き生きと伝承を語る姿に接する時は実にありがたく、感謝の気持ちに溢れる。

今回ご紹介するのは戦国時代の信州における「東へ西へ」の舞台となった砦である(?)「西の城・東の城」


【西の城】 (にしのじょう)

単郭に横堀を組み合わせた丘の上の居館跡であろうか。

西の城 (4)居館への通路は東側だったらしい。

現在からは想像も出来ないが、古くから開けた場所だったらしく、周辺には古墳もある。

双子のように並ぶ丘に宗教的な意味を込めて居館を造営したのだろうか?

残念ながら伝承が無い。西の田野口にある和田城との関連も謎のままである。

西の城 (8)東側の虎口からみた堀切㋐。

西の城 (9)後世の耕作と墓地の整地により堀㋐の東側は破壊されたと思われる。

横堀を直角に交差させ土塁で盛る手法は和田城にも見られるので、築城時期や縄張りは同一の一族の手になるものかもしれない。和田城の二重横堀は明らかに大勢力の改修であろう。

西の城 (12)主郭の段下には腰郭を備える。

西の城 (14)一辺30mで構成される台形の主郭。居館があったと推定するに充分な広さである。

特筆するような防御構造は無いが、丘に築かれた居館としては及第点であろうか。

西の城 (13)主郭の北側を守る横堀㋑。

西の城 (15)西側で直角に交差していたであろう堀切㋑。

こんな田舎にお洒落な城館があるとは驚きです。

西の城(29)


【東の城】 (ひがしのじょう)

りんご畑にした時に整地されたようで、現在の状況では遺構は無い。ただ、東西に堀があったという証言があるようで若干その痕跡が認められる。

西の城 (23)西の城から見た東の城。堀切が分かる。

西の城 (25)北側から見た東の城。現在は地山そのもの。


西の城と東の城の間に平時の居館があったという説もあるらしいが、現状では確認出来なかった。わざわざ居館を分ける必要も無かったと思うが。


≪西の城・東の城≫ (にしのじょう・ひがしのじょう) 

標高:605.5m 比高15m(西の城) 標高:609.0m 比高:19m(東の城)
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:長野市信更町赤田
攻城日:2013年1月06日 
見どころ:堀切、土塁
お勧め度:★★☆☆☆
城跡までの所要時間:-
注意:りんご園なので注意。
付近の見どころ:和田城、上尾城、石川城、屏風城、盾の城など
参考文献:「信濃の山城と館② 宮坂武男著」


西の城(28)

戦国時代の地侍も「西へ東へ」忙しかったのでしょうネ・・・(笑)








スポンサーサイト

Posted on 2013/01/16 Wed. 22:45 [edit]

CM: 8
TB: 0

« 楯の城 (長野市信更町三水)  |  和田城 (長野市信更町田野口) »

コメント

堀切を

西の城は、昔からあった城に
堀切を後から追加したようなおしろですねえ

それと面白い記事を見つけたので乗せておきますね
http://homepage3.nifty.com/kamosikamiti/koutou/050416.htm

丸馬出 #- | URL | 2013/01/17 06:25 * edit *

氷の世界

私もようすいさんに、戦慄をおぼえました・・・
身動き出来ずに夢見る旅路へ・・・
だから、頑張れ! ですからね・・・

さて、信濃は氷の世界ですね。
くれぐれも、遭難なさらぬよう・・・

武蔵の五遁 #- | URL | 2013/01/17 06:30 * edit *

Re:丸馬出様へ

もともと屋敷だった場所に色々と防御の為の造作物を追加していったのでしょうね。
和田城と近い場所にあるので、ある時期に和田城が本城となり西の城は出城になったのかもしれません。

千曲川の水運と城郭の繋がりが解明出来ると面白いですね。

らんまる #- | URL | 2013/01/17 08:13 * edit *

Re:武蔵の五遁様へ

コメントありがとうございます。
このところ、毎日声を枯らしてリンゴ売りをしております(笑)

ある程度の雪は城跡の縄張りをクッキリさせる効果があり、落ち葉だらけで何が何だかわからない写真よりは効果がありますが、ドカ雪ともなると城域自体も不明になってしまい足跡しか残りません・・・(汗)
でも、青空と雪に埋もれた城跡のコントラストは素晴らしいもので、雪山登山の方の気持ちが少し分かるような気もします。

信州の山城のトップシーズンは雪との睨めっこでございます(笑)
命あってのものですから、無理な時は潔く退却します。お気遣いありがとうございます。

らんまる #- | URL | 2013/01/17 08:25 * edit *

和田城と似ている?

言われてみれば平面的には和田城に縄張は似ていますね。
立体的なメリハリは違いますけど。
同じ者が築城したという推定は、距離も近いし十分あり得ますね。
西の城は廃棄されてしまったかもしれませんが、和田城はさらに改修されて堀を深くしているのかもしれませんが。
そんなこと雪の中で考えるのもいいですね。

ところで
白い雪原に初足跡を残すのも気分が良かったですね。
ついでに、ションベンで字を書くのが好きでしたねえ。
だいたい途中で液体が在庫切になりましたけど。

あおれんじゃあ #- | URL | 2013/01/17 21:31 * edit *

Re:あおれんじゃあ様へ

二次元の縄張りでは堀切の配置が良く似ていますが、3Dの図面ではチョッと無理がありますかねえ(笑)
こんな「ど田舎」の台地に三つも居館城を作る必要と財力があったのかは疑問でございますが・・(汗)

ところで師匠、祠やお稲荷社、秋葉社があるところで小便なんぞ罰があたります。
せめて豪快に「大」をしないと・・・(爆)

らんまる #- | URL | 2013/01/17 21:48 * edit *

近距離の居館て・・・

こんばんはです。

こんな近距離の丘の上に砦?居館?を築きその間に居館って。。。。
何の意味があったんでしょうかね?
丘の上の館が詰の城とも思えませんし?
あの比高で堀切もどこまで意味があったのか。。。不思議な城跡達ですね。。

しかし、どの城跡でも木々の間から見える郭の形や堀切の形には美しさがあり興奮して
しまうものですね。

雪の中の城も魅力的です。

ていぴす #- | URL | 2013/01/19 03:43 * edit *

Re:ていぴす様へ

あの辺、丘陵地帯で近くには詰城が築けそうな山が無いんですね・・(汗)
そんでもってちょっとした丘を改良したように思えます。
土豪クラスでは平城って発想は無かったのですが、武田さんが和田城作って教えを広めたようです(笑)

適当に降った雪があると縄張りも冴えますね。
降り過ぎると何が何だか分からず、切岸で滑落するので危険ですわー(爆)

らんまる #- | URL | 2013/01/19 07:44 * edit *
コメントの投稿
Secret

トラックバック
トラックバックURL
→http://ranmaru99.blog83.fc2.com/tb.php/405-f501512f
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

城主からのご挨拶

地域別攻城戦記

諸国在住の皆さまのありがたき進言

もののふ入城者数

在城中の「もののふ」

攻城戦記年表

▲Page top