らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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峰畑城 (岡谷市川岸駒沢)  

◆天竜川の河岸段丘を利用した駒沢氏の城館跡◆

今月はブログの更新ペースがかなり落ちている・・・(汗)

信州の方言で言うところの「ズクが出ない」のである(笑) ※「ずく」とは「やる気・元気」を意味する言葉。

何とかズク出して今回ご案内するのは岡谷市川岸にある峰畑城。

峰畑城 (1)諏訪社の東側が居館跡。

県道14号線(岡谷街道)の川岸駒沢の信号を東に折れた台地上が城館の跡で、前回ご紹介した高尾山城からは南へ直線で約3km。天竜川の右岸の段丘である。

峰畑城 (2)入口には標柱がある。写真の奥が「御頭(おかしら)」と呼ばれる居館跡。

説明板によれば、城主は諏訪五十騎の一人で地頭の駒沢新右衛門尉だったという。(それだけかい・・)

峰畑城見取図①
ズクが無いので酷い見取図になった(笑)

諏訪が上社・下社と争っていた時代は天竜川を挟んで勢力が分かれていたというから、高尾山城の三沢氏は下社側、駒沢氏は上社側に付いていたらしい。

峰畑城 (4)周囲を囲む野面積みの石積みは当時の居館の遺構だという。

その後、武田氏の侵入には三沢氏同様武田の軍門に降り、信濃先方衆として各地を転戦し家名を存続させたという。

峰畑城 (8)城館の入口は「馬出し」のような郭の跡が確認出来る。

城跡の遺構としては、天竜川へ向けた西側の段丘にその後が僅かに確認出来る。

峰畑城 (10)南側の霊山から見た峰畑城

峰畑城 (13)南にある雇用促進住宅が城域の終わりで、道路はかつての堀切の跡だという。

狭い地域で分裂抗争を繰り返し、ようやく本家による統一が出来た途端に武田氏の侵略を受けた悲劇の諏訪地方。

点在する小豪族は一族が敵味方に分かれるという悲哀も繰り返されたのであろうか。

城跡に立つとその苦悩が伝わってくるような気がした・・・。


≪峰畑城≫ (みねはたじょう 駒沢城)

標高:773m 比高16m 
築城年代:不明
築城・居住者:駒沢氏
場所:岡谷市川岸駒沢
攻城日:2012年10月13日 
お勧め度:★★☆☆☆
城跡までの所要時間-分 駐車場:無し(路駐)
見どころ:堀切、石積みなど
参考文献:「図解山城探訪 第一集 諏訪資料編 宮坂武男著」


峰畑城 (11)かつては天竜川を挟み対立していたという。






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Posted on 2013/02/20 Wed. 09:20 [edit]

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コメント

雰囲気いいですね。

ごつい山城もいいですが、たまにはこういう労力がすくない城もいいですね。
しかし、必然とは言え、宅地化の進行で遺構はズタズタですね。
それに宅地不法侵入の疑いも免れないし・・
さすがに岡の突端部を上手く利用したもんです。

あおれんじゃあ #- | URL | 2013/02/20 22:06 * edit *

Re:あおれんじゃあ様へ

住宅地の中にある遺構としては結構残っているほうですね。
対立する対岸の勢力に対する備えだというのが良く分かります。
住民の生活の場では、カメラ撮影は気をつけないと変質者扱いでございます・・・(汗)

らんまる #- | URL | 2013/02/21 07:11 * edit *
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