らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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横道の館 (上田市真田町傍陽下横道)  

◆菅平経由で川中島へ続く裏街道を監視した屋敷跡◆

仕入れ順で在庫を吐き出さないとネタが古くなってしまうのだが、直近の仕入れネタを先に掲載してしまうので目茶苦茶になっている・・(汗)

洗馬城は地蔵峠へ向かう松代街道と菅平経由で川中島(若穂保科)へ向かう間道を抑える分岐点の要衝に築かれた山城である。

洗馬城 (11)洗馬城の主郭に設置された説明板。

洗馬城(せばじょう)の麓の居館は萩の館とされ、現在の傍陽小学校付近にあり、横道の館は北方1.2kmに位置する。

地蔵峠経由の松代街道を主要路とすれば、横道は川中島の若穂保科や川田、菅平口経由で須坂に繋がる間道の要衝であり、番小屋程度の屋敷は置かれたのであろう。

残念ながら詳細な伝承も記録も残らないのが、村上時代~真田時代まで見張りが置かれたものと思われる。

横道の館見取図

現在、屋敷の推定地はかなり改変されてしまったが、部分的にその名残を見る事が出来る。

見取図には記載しなかったが、屋敷の南側も長方形の郭でしっかりした横堀があったようだ。

横道の館 (2)居館の西側には小高い丘があるので、物見台だった可能性もある

横道の館 (5)居館東側の土塁跡。

横道の館 (7)居館跡と堀跡(推定)


横道の館 (8)居館跡全景。


猫の額ほどの土地に強靭なネットワークを築いた真田氏の出自は今もって謎だらけである。

戦国の世を生き残った一族は、家系図を作り変えて経歴詐称しても罪には問われない(笑)

こんな山奥を縦横無尽に駆け回った時代があったのだと、遠き昔に想いを馳せるには良い場所です。


≪横道の館≫ (よこみちのやかた 堀の内)

場所:上田市真田町傍陽横道
標高:744m、比高:-m
攻城日:2012年8月5日
お勧め度:★☆☆☆☆
所要時間:-
見どころ;土塁跡
注意:民家につき写真撮影は注意が必要
参考文献・資料:「図解山城探訪 第三集上田小県資料編 宮坂武男 著」

横道の館 (9)居館推定値遠景と菅平方面へ続く山々。





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Posted on 2013/03/02 Sat. 06:46 [edit]

CM: 4
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コメント

びっくりしました

土塁の写真を見てびっくりしたのですが
矢竹がはえてますね。(笹だったらスイマセン)
なんといいますか、矢竹が生えていると
昔から生き残っている生命力に感動してしまいます。

とはいえ、竹やぶになってると、閉口してしまうのですが(笑

丸馬出 #- | URL | 2013/03/02 16:30 * edit *

Re:丸馬出様へ

夏の盛りに民家でカメラを構えるのは怖い事です。
平地での取材は冤罪と紙一重の世界なんだと今さらながら実感しますね。

らんまる #- | URL | 2013/03/02 20:25 * edit *

行ったことない谷

傍陽小前から北の谷には行ったことないです。
こんな物件があったのですか?
あの狭い谷にそこら中に屋敷が存在していたんですね。
果たして当時はどんな風景だったんでしょうね。

確かに、平地の民家にカメラを向けるのは、人がいたりすると躊躇しますね。
別にやましいことはないのですが、見るからに「怪しい」ですね。

あおれんじゃあ #- | URL | 2013/03/03 22:18 * edit *

Re:あおれんじゃあ様へ

こんな狭い真田の郷のそこらじゅうに番所のような屋敷が点在していたとは驚きですね。
当時の人々にとっては山を越えて行く事など日常茶飯事だったのでしょう。

田舎の集落は人口が減り廃れていくのを目の当たりにすると寂しいものです。
かつては子供たちが元気に遊んでいた・・・この先どうなるんでしょうか?

らんまる #- | URL | 2013/03/04 06:25 * edit *
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