らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

0407

大峰城 (長野市箱清水 リテイク)  

◆善光寺の背後を守る葛山城の後詰めの城か?◆

実はこの城、三年前に記事を載せているのだが、異様な霊気に襲われてロクな調査も出来ずに撤収したのでテキトーに書いる・・・(汗)

「リテイクしないとまずいなあー」と思いつつ、ようやく桝形城を攻める機会に恵まれたので隣の山ということもあり再調査が出来た。

大峰城2 (24)郭2(駐車場跡)は知らない間に産廃の土砂置き場になっている。模擬天守を解体して元の山城に現状復帰させる気は無いらしい。

幸いなことに隣接する長野市の斎場が拡張工事で休業しているので、霊気に苛まれずに済みそうだ・・(笑)

前回の記事でも触れたが、大峰城は村上氏配下の大峰蔵人の持ち城と口伝が残るだけで詳細は全く不明。そのあたりは桝形城にも共通している。

隣の葛山城が明確な城歴を持っているのに何故だろう?善光寺から見ても目立つ山なのに・・。

大峰城周辺の地図国土地理院1/25000地図より引用。

で、葛山城・大峰城・桝形城は直線ライン上に位置する不思議。(実はこの延長線上に若槻山城も並ぶのだ)

しかも善光寺の背後を守るように配備されているので、桝形城はともかくとしても大峰城は弘治元年(1555)に長尾景虎によって築城された葛山城と同時進行で築かれたように思うのだが、どうであろうか?

大峰城見取図①図は左側が北になるのでご注意下さい。(信濃の山城と城館2 宮坂武男氏の縄張図を参照)

大峰山は峰が南北にあり、北側のが7mほど高い。(標高835m)

絶対的な見晴らしは模擬天守のある南の峰なので、縄張りも南峰を中心にしているが、北の峰にも東西を堀切で守られた郭がある。かなり不自然な作りなので後から追加普請されたのかもしれない。

【北の峰とその周辺の遺構】

頂部には郭9があり東西を土塁付きの横堀(㋖・㋗)で防御している。

大峰城2 (88)北の峰の郭9。東隅には貯水池があり、公園の名残りだった机とベンチが朽ち果てている。結構な広さがある。

大峰城2 (83)東側の横堀㋗。土塁で補強している。

大峰城2 (96)西側の横堀㋖。やはり西側面を巨大な土塁で迫り上げている。


【南東の尾根の防御構造】

駐車場(郭2)から南東に下る尾根と南斜面は、段郭を重ねてL字の堀切を入れた防御処理になっている。

宮坂武男氏は堀切は後から入れたものとしているが、鋭角な処理は他の堀切とは違うようにも見える。

大峰城2 (2)駐車場下の郭3。

大峰城2 (11)郭3と郭4の間を横堀で貫通する堀切㋐(東側より)

大峰城2 (7)西側のL字分岐(ここから竪掘で斜面へ)

大峰城2 (19)郭5。



【主郭北側の横堀㋒と畝堀群、城域最大の堀切㋑】

郭1は、昭和37年の模擬天守の建設前には周囲を土塁で囲まれていたという。現在は北と堀切側にその遺構が確認出来るだけである。

壊されてしまったものは仕方無いとして、この城の最大のセールスポイントは北の横堀とそれに接続する放射状の畝堀であろう。

大峰城2 (36)郭1の背後から見下ろした堀切㋒。

大峰城2 (43)等間隔で6本程度あるのか?

畝掘だけの処理であれば、隣の葛山城にもあるので上杉関連の処理と断定しても良いのだが、横堀に放射状の竪掘を組み合わせて土塁を繋ぐと話は違うらしい。

武田さんちの改修か?

大峰城2 (45)

晴信は川中島四郡の支配が確定し謙信を信越国境まで駆逐すると、飯綱山の山麓に棒道(軍用道路)を建設し野尻方面への出撃路を確保したという。

若槻山城との関連がどのようなものであったかは知る由も無いが、大峰城も飯綱方面への武田軍の抑えの城として機能した事は間違いないと思われる。

大峰城2 (47)堀切㋑との接合部分。

大峰城2 (50)城域最大の巾と長さを誇る堀切㋑。

大峰城2 (52)堀底から本郭の切岸を見上げる。距離感を感じて頂くには模擬天守も役に立ちそうかなあ(笑)

大峰城2 (54)主郭側は土塁があるので落差は効果的。

葛山城は旭山城に対抗するために築かれた山城であるが、兵員数の収納には手狭であり、付近に宿城を持つ必要性があった。

善光寺付近の動きを掌握し、葛山城に兵站を確保するにはこれほど立地条件に優れた場所は無かったと思われる。

大峰城2 (51)北斜面に竪掘として落ちる堀切㋑。堀切㋕と合流する。

大峰城2 (22)南の駐車場方面から見た堀切㋑。デカくて深い。

大峰城2 (23)接続道路により寸断されたが、南斜面に対して恐ろしい竪掘堀切であることが見て取れる。


【城域西区域の仕様】

三本の主要な堀切の間にはあまり削平のハッキリしない段郭が接続されている。(郭7・郭8)

恐らく夏場は突入不可の藪で覆われると思われるが、北の沢に向けて畝堀が数本確認出来る。

大峰城2 (59)郭7。

大峰城2 (61)堀切㋑に続く長大な堀切㋔。

大峰城2 (65)郭8。

恐らく2・7・8・9の郭は兵員収容の為の郭だったと思われる。
相当数の兵士が待機したと考えられる。

大峰城2 (69)郭8の北側の畝堀。

武田方の飯山口も飯綱口も、上杉方の逆襲となった場合の最終防衛ラインは桝形城・大峰城・葛山城だったかもしれない。

大峰城2 (71)上杉築城時代の遺構と思われる最初の堀切㋕。

大峰城2 (73)北斜面を長大な竪掘となる堀切㋕。


「ディスカバージャパン」というキャッチコピーの名の元に、日本全国が観光地として集客躍起になり、ありもしない天守閣を作り道路を整備した。

恐らく、この模擬天守も100年後まで捨て置かれそうです。

500年前の戦国の争乱と、近代日本のモータリゼーションの愚かさを伝えるのでしょうか?

大峰城2 (30)


≪大峰城≫ (おおみねじょう)

標高:828m 比高425m 
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:長野市箱清水大峰山
攻城日:2013年3月30日 
お勧め度:★★★★★ (満点)
城跡までの所要:長野市七曲がりの斎場から15分 駐車場:路駐。
見どころ:土塁、堀切、横堀、放射状竪掘など
付近の城跡:桝形城、葛山城、若槻山城
注意事項:夏は藪だと思います。
参考文献:「信州の山城と館②「更埴・長野編 宮坂武男著」


大峰城遠景①







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Posted on 2013/04/07 Sun. 22:06 [edit]

CM: 4
TB: 0

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コメント

なるほど。。。

こんばんは、大峰城。。。。ご一緒いただきありがとうございました。
やっぱ、遺構が素晴らしかったですね~。

葛山城に入り切らなかった兵を収容する宿城っていうのは結構納得できる説ですね。

巨大な堀切に挟まれた、7・8の郭は甘い削平で常駐場所というより宿営地的な感じ
ですし、ちょっと離れた場所にある9の郭は手狭になって後から付け足したような感じ
でしたね。。。。。。ん~納得。

戸隠方面の尾根が葛山城とつながっているところも真実味がありますね。

ていぴす #- | URL | 2013/04/08 00:02 * edit *

Re:ていぴす様へ

いえいえこちらこそ同行頂きありがとうございました。

それでも善光寺から比高425mもある場所に宿城を作るのか?という単純な疑問も湧いてきます(笑)
桝形城との共通点も多いので、築城時期は似たような頃でしょうね。
模擬天守はそのまま捨て置くとしても、公園として整備して桝形城のように看板ぐらいは設置して欲しいですね。

らんまる #- | URL | 2013/04/08 06:47 * edit *

遠足で

小学校のころ、遠足で行ったのが最初でしたねえ。
当時はこの天守も輝いていたねえ。
中世城郭に天守をぶっ建てた初期の例ですかね。
しかしめちゃくちゃな・・

裏に回ってビックリしたのが中学のころだったかな。
それが始めて中世城郭を認識した時かな。

でも、この城、豪快な遺構で感心しますね。
何で最高地点に主郭を置かなかったのでしょうねえ。

あおれんじゃあ #- | URL | 2013/04/08 22:55 * edit *

Re:あおれんじゃあ様へ

雲上殿から地附山までロープウェイが運行され、頂上には遊園地やスキー場まであったんですねえ。
大峰城も含めてここら一帯が観光地だったとは驚き桃の木山椒の木でございました・・(汗)

お金払ってもいいから天守の展望台から長野市の風景を見てみたいものです(笑)

何で南の峰に作ったんでしょうか?
作り始めたら北のが高かったけど、面倒臭いからそのまま工事続けて完成させちゃったというのが真実かしら(笑)
葛山城が細々とあちらこちらに防御構造を徹底して作っているのに対して、大雑把にバンバンと堀切で仕切った大峰城。両極端な作りですが、案外両方とも謙信オリジナルで、放射状畝堀と横堀は信玄スパイス(隠し味)って感じでしょうか・・・(爆)

らんまる #- | URL | 2013/04/09 07:29 * edit *
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