らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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小泉下の城 (上田市小泉)  

◆簡素で質素な小泉氏の要害◆

「近所だし、いつでも行けるからイイや」と思っていると本当に行かないという事実・・(汗)

で、ようやく重い腰を挙げて攻めてみると「ああ、やっぱり後でも良かった」と思う自分がいる・・(笑)

小泉下の城 (58)大日堂手前の高仙寺霊園が登り口。

この城、縄張りは貧相なのに知名度は抜群らしく著名な方のHPはもちろんマニアの方のブログなんかでも頻繁に掲載されている。

なので当然小泉上の城も行ったのだろうと思いきや、WEB上では小生も含めて5名程度とは驚いた。

村上連珠砦群の物見城の対岸にあり縄張りも良く似ている「小泉上の城」はイチオシである。

小泉下の城 (4)尾根伝いには二ヶ所平場があるが、郭とは断定が出来ない。

対比表現は良くないのだが、「上の城」を見なければ「下の城」との関連や築城時期、重要性を推し量ることは難しいと思われる。

小泉下の城 (7)郭2の手前の削平地。郭だったのかもしれない。

小泉下の城見取図①
郭二つと堀切一本のシンプルさ。(信濃の城と城館3 宮坂武男氏の縄張図を参照してます)


【城主・城歴】

「小縣郡史」(大正十一年)に「小泉城址」として記載がある。城跡は上の城を指していると思われるが、小泉氏についての記載があるので引用してみる。

「小泉城は室賀村下室賀區小字日向山の城山にある山城なり。東は泉田村小泉區小字天白山に境し、急斜直に小泉の聚落に接し、西は稍緩にして下室賀の聚落に連なる。南ときたは山脈延きて泉田、室賀の村境をなす。里傳に小泉氏の城跡といふ。
泉太郎公李の裔、小泉氏を称し、此の地に拠る。上田原の戦に小泉喜見斎重成、及其男内匠助宗昌村上氏に属す。義清敗れて越後に走るや、小泉父子武田氏に降る。天正七年の頃宗貞の子宗三郎昌宗(昌家とも有り)これに拠る。」

小泉下の城 (8)郭2の周囲は石積みの跡が残る。

小泉下の城 (11)郭2の切岸。

小泉庄は、北国道(依田窪から塩田平を経て室賀谷を通過し善光寺平へ抜ける幹線古道)と東山道の交差点を抑える要衝の地であり、浦野川・産川によって形成された肥沃の地でもある。

平安時代に泉氏がこの地方を領有し大きな勢力を持っていたものと推定される。同族には室賀氏や諏訪部氏がいる。

小泉下の城 (15)藪に覆われているが郭2は結構な広さを持つ。

泉氏は鎌倉時代に幕府に反乱を企てるが、執権北条義時により制圧され以後弱体化する。

下って戦国時代にはその後末裔が小泉氏を名乗り引き続き小泉庄を領したようで、千曲川を越えて小泉曲輪(現在の上田城の西側の郭にその名が残る)を築くまで勢力を拡大したらしい。

小泉下の城 (17)郭1(本郭)に残る「雷さん」の祠。

やがて小泉氏は同族の室賀氏とともに村上氏の属将となり、この頃に須々貴城(天白山城)へ本城を移し上の城を砦として強化したのではと推測している。

小泉下の城 (19)郭1。

天文二十二年(1553)、武田軍の侵攻により塩田城に立て籠もっていた村上義清が越後へ逃れると小泉氏は室賀氏と共に武田に降った。

小泉城の名前が文献に登場するのはこの時の高白斎記の八月で、
「十一日、室賀・同小泉の所帯の御判形下され候。小泉の城破却御祝着の由、仰出され候」とある。

小泉下の城 (18)主郭背後の堀切。土砂でかなり埋まってしまったのか、埋めたのか不明。

室賀氏と小泉氏は所領を安堵されたので自ら小泉城の「城割り」を行い、その事を晴信が褒めているのだ。

この時の小泉城は小泉曲輪だという説もあるが、どうだろうか?

室賀谷の入口を抑えるこの城を割る事で忠誠心を示し、晴信の関心を引いたと思えるが・・・。

小泉下の城 (26)堀底から見た主郭。

武田も上杉も占領地における政策では、在地土豪の要害をかなり毛嫌いして新城を築城しているケースがある。

敵が攻めてくると防衛拠点の城はそっちのけで抜け出し、自分の土地のゴミのような粗末な要害に立て籠もる土豪に手を焼いているのである(笑)

まあ、我が家が一番と云う事で・・・・(爆)

小泉下の城 (28)本郭から見た「上の城」さらに比高200m以上登る。

その後の小泉さんは武田が滅亡すると浪人になったという。

室賀さんも昌幸さんとはウマが合わなかったようで謀殺されちゃったし懸命な判断かもしれませんネ(汗)

小泉下の城 (29)北の郭跡から見た本郭。上の城に続く峰には何も無かったのか?

「上の城」「下の城」というと、本城と詰め城を指すケースが多いが、小泉城には当てはまらないような気がする。

特に「上の城」は、村上連珠砦群にある「物見城」や「ケムリの城」に酷似した縄張りで、二重堀切を多用し戦国末期まで使われた優れた物見砦だったと推定される。

この「下の城」はシンプルな作りで、早い段階で使われなくなったか、破却された可能性も否定できない。また、江戸時代に雨乞いの神様「雷(いかずち)」さんを祀った時に改変されたのかもしれない。

小泉下の城 (3)登り口の途中からの小泉庄の風景。


≪小泉下の城≫ (こいずみしものじょう 雷城)

標高:624.7m 比高120m 
築城年代:不明
築城・居住者:小泉氏
場所:上田市小泉朝日山
攻城日:2013年3月24日 
お勧め度:★★☆☆☆
城跡までの所要:高仙寺の墓地から15分 駐車場:墓地借用。
見どころ:堀切、石積み、切岸。
付近の城跡:小泉上の城、小泉居館跡、須々貴城など
注意事項:秋は松茸山で入山禁止
参考文献:「信州の山城と館③ 上田・小県編 宮坂武男著」

小泉下の城 (60)





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Posted on 2013/04/13 Sat. 09:45 [edit]

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