らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

0508

小牧城 下の城 (リテイク 上田市小牧)  

◆小牧城三位一体の中枢◆

先日までに掲載した中尾城や下ノ小屋との関連が解明されていないので、それらを除くと小牧城は「下の城」「大手砦」「上の城」の三箇所で構成されている。

小牧城周辺見取図

小牧城については「小縣郡史(大正十一年)」に以下の記載がある。

「小牧城は一に小田牧ともいふ。上田市小牧區小字城山にあり。北は千曲川に臨み、東西は何れも渓谷に沿ひ、南は峯傳へに小牧山に連なり、直に須川部落に接し、依田村尾野山に至るべし。上の城(うえのじょう)と称せられるるは山上にありて、本郭は東西五間、南北六間あり。本郭の南に更に小郭二階あり、本郭より次第に高かき地とす、最上部より稍降下し、これより南方傳ひに小牧山に連なる、里傳に物見跡といふ。詰めの城なるべし。下の城と呼ばるるは、上野城より下る事約一丁余の處(ところ)にありて、本郭は東西五間、南北七間あり、其西邊と北邊とには土塁を損せる、按ずるに往昔は其四園に之ありしか。北に堀切三條あり、西は直に渓谷に向ふ、西北斜に北方面に降れば泉あり、南は稍下りて一郭あり、これより急峻、新たに覗き、釣瓶落と(つるべおとし)し九十九折坂(つくもおりざか)と命名す。東に降る十五尺許にして東西五間、南北五間の腰曲輪あり、更に東方に降る十五尺許にして東西四間、南北五間の腰曲輪あり。其東南に馬繋ぎ場といへる削平地あり、これより澤に沿うて下る道あり・・・(後略)」

史実も伝承も全く無いのである・・(汗)

まあ、無いなりきに下ノ小屋からの続きを写真でご紹介していきましょうか・・(そんテキトーでいいの?)

小牧城2 042相変わらず厳しい痩せ尾根が続く。

小牧城2 043険しい急坂は黄色い阪神(?)ロープではなく、金属チェーンの洗礼である(汗)

まさに「男祭り第二弾」の始まりであった・・・・・・・・・・・・。

小牧城2 044恐怖の次は削平された尾根。アメとムチの使い分けが巧い(笑)

小牧城2 045再び金属チェーンのお出ましである。次はローソクを期待してしまう・・(爆)

小牧城2 049比高65mに襲いかかる「男坂」

リテイク前の記事では小生が小学生の頃、遠足で登った事を書いていたと思う。

それは渡部園芸さんと信州名鉄さんの間を登る大手道であり、この道が存在する事自体初耳であった。

小牧城2 051最後の難関にも金属チェーンの導きがある。

「男坂祭り」の終点とご褒美は素晴らしきロケーションであろうか。

小牧城2 053

小牧城2 055

実は毎年GW期間中のこの場所には「鯉のぼり」か「吹き流し」が泳いでいたのだが、今年は何も無かった。

登山道の整備で予算を使い果たしてしまい、人件費が捻出出来なかったのだろうか・・(汗)

小牧城2 059男坂の終点である小牧城「下の城の郭4」

かなり長い前置きになってしまったが、ここからが「下の城リテイク版」の始まりである。

作りは至ってオーソドックスなのだが、主郭の切岸が見事で二重堀切を備えた見ごたえのある砦である。

真田昌幸が依田窪方面の攻略に際して三日城を介して尾野山城への繋ぎとして物見か烽火台としての役割があったと推定される。

下の城概略図①

城の周囲は急崖や沢、渓谷が入り組んだ地形なので、堀切は搦め手にあたる「上の城」方面のみである。

須川方面からの敵に備えれば良かったのであろう。

小牧城2 063南側連絡路より見た郭4.

小牧城2 066郭2から見上げた主郭とその切岸。

小牧城2 074郭2全景。

主郭は西と南側に土塁がある。小縣郡史では周囲を土塁で覆われていたような記事になっているが、この城のウィークポイントは上の城方面からの逆襲なので、案外往時もこのままだったような気がする。

小牧城2 082主郭の南西を囲む土塁。

小牧城2 075主郭には明治九年に小牧青年会が建てた立派な碑が設置されている。

主郭背後の二重堀切だが、中央の堀底に土塁を置き東側のみ二重にして、西側は㋑と㋒が合流して1本となる。

小牧城2 083

小牧城2 087帯郭5.

小牧城2 097東側へ続く堀切は大手方面からの通路も兼ねていたようだ。

小牧城2 098東側からみた堀切㋒。

小牧城2 103二重堀切の南で上の城への通路に設置された郭6.

千曲川の河岸段丘の山の中によくこれだけのものを築いたもんだ、と感心する(笑)

麓に居館跡でも見つかればこの周辺の砦一帯の謎が解けそうだが、難しいでしょうね。


【大手砦】

小牧城の大手は渡部園芸さんと信州名鉄さんの間を登る道である。ここは「女坂」と呼ばれるものの厳しい登り坂が続く。

小牧城2 212渡部園芸様から見た大手道。

小牧城2 208大手道の脇には渡部園芸の社長さんが私財を投じた真田十勇士の石像が並ぶ。必見でございます。

「女坂」というのは安直な命名でチョッと信じ難い諸氏には「木瓜」とか「藤の坂」が合点のいく名前だろうか。

小牧城2 181

大手道を登ってしばらく進むと東側に突き出した崖淵状の小山が見える。これが「大手砦」である。

小牧城2 177

単郭に犬走りをくっ付けた出城で、堀切一条の単純な作りである。

小牧城2 173郭に祭られた祠(神様不明)

小牧城2 174かすかに残る堀切の跡。

この郭の北側は断崖絶壁で敵が攀じ登る心配は無い。平時は歩哨が置かれていたのだろうか。

小牧城2 172大手砦からの景色。

次回は「小牧城 上の城」ということで余り期待しないでください(笑)


≪小牧城 下の城≫ (こまきじょうしたのしろ 小牧田城)

標高:639.2m 比高175m 
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:上田市小牧
攻城日:2013年5月3日 
お勧め度:★★★☆☆
城跡までの所要時間:四箇牧神社より男坂経由で約20分(大手側からは15分)
見どころ:二重堀切、切岸、土塁など
付近の城跡:中尾城、小牧城の城、上ノ小屋、下ノ小屋、三日城
注意事項:男坂を帰路にするのは避けるべし。
参考文献:「信州の山城と館③ 上田・小県編 宮坂武男著(平成二十五年)」「小縣郡史(大正十一年)」

小牧城 (40)小牧橋から見た小牧城周辺。

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Posted on 2013/05/08 Wed. 20:23 [edit]

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コメント

こんないい天気のGWに

GWにこんなことしているなんてねえ。
この日、群馬の山中でも、1人の男が、似たようなことを・・
お互い末期ですね。

しかし、鎖というのも凄いですね。
何で、山の尾根の中腹に主城を置くのか?
たしかに攻めにくい場所ですが・・
こんな場所に、という発想も凄いです。

あおれんじゃあ #- | URL | 2013/05/08 22:42 * edit *

なるほど~

小牧城は崖の中腹にある不思議なお城だと思っていたのですが、
崖の下に居館があったとすると納得ですし、
小牧の地籍も、当時は崖と千曲川に挟まれた
要害の地だったのでしょうね。

となりますと、厄介なのは崖の上からの
敵襲ですかねえ、
緊急地形を上に抱えているのは
守備兵としては心細いですよねえ。

丸馬出 #- | URL | 2013/05/09 06:24 * edit *

Re:あおれんじゃあ様へ

ふと我に返り「オレ、何でこんな場所にいるのだろう?」と思う事があります(笑)
もしかしたら貴殿も夢遊病かもしませんね。処置方法は今のところありません・・(爆)

小牧山は丘陵地帯になっていて依田川流域の依田窪地域への古道が何本かあり、そのうちの一本を抑える形で城を築城したように思います。
上の城のある場所は須川という集落の入り口になっていて、この城を攻めるには上から下っていくと簡単に落とせる構造です(汗)
常に背後を警戒しなくちゃいけないってのも嫌だなあー(笑)

らんまる #- | URL | 2013/05/09 07:26 * edit *

Re:丸馬出様へ

男坂⇒下の城⇒上の城⇒須川湖というトレッキングコースが最近この地域で流行のようです。
上の城には東屋が出来ていてビックリしました(汗)

この城の弱点は上の城ですが、堀切も何本かテキトーなものしかないので、上からの敵を排除しておかないと使えない城だったというのがよくわかります。
昌幸さんが尾野山城との繋ぎに三日城を緊急造成したのも頷けます。
対徳川戦では守備兵が置かれたんでしょうね。

らんまる #- | URL | 2013/05/09 07:36 * edit *
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