らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

0603

福平城 (長野市戸隠栃原)  

◆旧戸隠村に眠る二重箱掘を備えた美しく堅固な山城◆

戸隠といえば、吉永小百合さんがCM出演で訪れた戸隠神社奥社がパワースポットとなり、一昨年から大繁盛である。週末ともなれば駐車場は満車。でもね、忘れないで下さい、奥社まではかなりの道のりを歩くんですよ(汗)

天照大神様もビックリの戸隠人気はいつまで続くのでしょうか?(笑)

togakushi (2)戸隠神社中社の賑わい(2012年3月撮影)

さて、前回で打ち切ったはずの攻城戦であったが、戸隠付近だったら「イケソウ」な気がしていた・・・(笑)

栄村よりも南の戸隠が季節を止められる場所とでも思ったのであろうか・・・(汗)

予想通り初戦の「大昌寺山城攻城戦」では強靭な藪と笹に阻まれ途中で撤退。

大昌寺山城① (15)大昌寺の山門。仁王様の許可を頂きながら敢無く敗戦。秋にリベンジ戦ですね(笑)

「こんな状況だと、福平城もヤバそう・・・・」気弱になる。

ところが、日頃の行いが良いのか(?)偶然なのか、城の周辺は草刈り作業がちょうど終わったところ。地元の方にお礼を述べて見学させていただく事ができましたよ。

福平城 (1)福平生活改善センターを過ぎて右折。軽自動車なら主郭の神社まで乗り入れ出来る。

福平城については、長野縣町村誌(郷土出版社 昭和十一年)によれば、栃原村の史跡として以下の記載がある。

【福平城墟】

本村西の方にあり一に溝口城墟と称す。東西四十間南北一町二十九間、城墟一段高くして遠近の眺望殊に宜し。内外二重に濠跡存す。城墟今耕地となる。今に至り土をうがつ者往々古城具を得。享和二壬戌年村民松林孝之助なるもの太刀一振を得、また文政三庚辰一つの香炉の如き古器を得、裏に大明宣徳年製の六字を刻す。
寿永、元暦の頃木曾義仲の臣今井四郎兼平之を築き住すと云ふ確乎たらず。部落の名に今井と称するあり、又村民の姓に今井氏数十戸あり。
後永正の頃、溝口伯耆守之に在城すと云傳ふ。同氏は越後蒲原郡新発田溝口氏の祖なる由、今隣地の字を溝口と云う遺跡跡なり。

福平城絵図①スミマセン、絵図がピンボケしましたが、特徴を捉えた良い図面です。


義仲四天王の一人で今井兼平さんの築城説があるが、信州ではあちらこちらに似たような伝説があるので何とも言えない。

甲斐出身の溝口さんがどういう経緯で福平に土着し勢力を拡大したかは定かでないが、円光寺館と呼ばれる場所に居館を置き、本城として福平城を築き、周辺に砦を巡らせたと考えるのが妥当かもしれない。

その後の溝口氏の動向は全く不明で、16世紀中盤以降から甲越戦争の最前線となったこの城は二大勢力の間で改修を繰り返されたと思われる。

福平城見取図①
※図面は「信州の山城と館② 更埴・長野編 宮坂武男著 平成24年」を参照して作図しています。

戸隠信仰は善光寺信仰とセットで考えられ、室町時代には善光寺平から現在の犀川の左岸の七二会(なにあい)を経由し地蔵峠を越え、裾花川を渡り戸隠三社に至る間道は重要な街道であったという。

福平城 (3)南東のン序掘り口から見た主郭方面。

弘治三年(1557)二月、上杉との休戦協定を破った晴信は落合備中守の守る葛山城を急襲し落城させると信越国境への侵略を再開する。これに対して上杉景虎(謙信)は雪解け後に軍事行動を起こし川中島へイッキに進軍し廃城となった旭山城を再興し、武田軍を各所で撃破し北信濃を回復した。

福平城 (7)郭2から見た南東方面。遠く陣馬平山や地蔵峠まで視野に入る。

上杉軍の電光石火の攻撃により武田軍は前線を引き下げ、南は大岡口~麻績~室賀峠ライン、西は中条の柏鉢城~小川村まで戦線を縮小せざるを得ない状態に追い込まれた。

翌年の永禄元年(1558)、武田軍は山岳ゲリラ戦で戸隠に侵入しこれを制圧すると8月には中院に戦勝祈願の願文を捧げている。

福平城 (8)郭2に建つ今水八幡社。

戸隠の神社、寺院は武田軍の侵攻により破壊または移転を余儀なくされ、山伏や修験者、僧坊は近隣の小川村に匿われたり越後へ逃れ、戸隠の里は宿坊三千と云われた栄華も儚く荒廃が進んだとされる。

福平城 (11)現在は畑になっている郭2の南側。周囲を土塁で囲まれていたのかは不明。

数度に及んだ甲越合戦で武田が北信濃の支配権を確立していく過程で、福平城も七二会⇒戸隠⇒飯綱方面⇒野尻口の抑えとして拡張と改修が行われたと思われる。

軍事用の道路(棒道)が山間部の間道から平野部の街道に移ると同時に、この地の城の役割も終焉していったのでしょうか。

福平城 (16)神社主殿の裏には区画を示す土塁。厳重な防御を施された郭1は城域の中枢部が置かれたのでしょう。

福平城 (18)郭1の全容。杉林の生い茂る城跡にはお決まりの風景(笑)

さして比高も高くないこの城は、主郭背後の土塁付き二重堀切が特徴で、枡形城、大峰城、信更町田野口の和田城に共通する「土手付き巾広サイズ」(笑)

主郭を箱掘りの二重で遮断し背後に搦め手防衛の郭を置き、尾根をL字の堀切で穿つ縄張りは仙当城にも似ている。こんな場所になぜこんな高度の縄張が??現地の方に云わせれば「余計なお世話」であろうか・・(汗)

福平城 (20)堀切㋐。

福平城 (21)薬研掘ではなく箱堀。武者溜りの機能も意図しているのだろうか?

福平城 (24)堀底から見た郭1の切岸の処理。完成度は高い。

福平城 (28)巾の広さが分かるでしょうか?

福平城 (32)西斜面側の堀切㋑。こちらは薬研掘だが、東側は箱掘へ変形する工夫がしてある。


二重堀切を越えて長方形の郭4。かなりデカイ(44×16)ので、搦め手方面の防御としては有効性が高い。
L字で区切る堀切㋒は東斜面への竪掘となり横移動を制御している。

福平城 (38)郭4。

福平城 (46)東斜面へ続く堀切㋒。

福平城 (47)堀切㋒は西斜面に対しては横堀になるのだが、境界が曖昧になっている。

この城のウィークポイントは高低差の無い西側斜面なのだが、往時は泥田と呼ばれる沼地を利用した壮大な堀切㋔を展開させる事で憂いを一掃したらしい。

城域の北側の一段高い小山も郭が置かれ二重の堀切を配置しているらしいが、今回はパス。生活支援センターの南に位置する丘も出城らしいが藪が酷く捜索は断念・・(汗)

福平城 (88)城域西側の堀切㋔(現在は水田)

福平城 (89)泥地だったという堀切㋔全景。

シンプルな縄張りだが、要所はキチンと抑えている。

畝状の竪掘が入っていれば戦国後期まで現役だったと思われるが、甲越紛争の最前線が国境付近へ北上するとともにこの城の役割は薄れたと思われる。

福平城 (71)郭3。

福平城 (75)東斜面の堀切㋐。

「こんな山奥に何故城が必要だったのか?」  時々質問を受けます。

まずは現在の地図から鉄道を取り払いましょう。

治水の技術など無かったに等しい戦国時代以前に、川と道が並行するなんてあり得ない。

他府県はいざ知らず、信州では山の稜線こそが主要な生活道路だったのでしょうね。

善光寺から戸隠神社への主要道の抑えとして此処に城を築くのは、為政者ならば当然の事だったのでしょう・・・・。

福平城 (57)堀切㋐は、切岸と堀切法面の融合を教えてくれる

≪福平城≫ (ふくだいらじょう 溝口城)

標高:876.8m 比高65m 
築城時期:不明
築城・居住者:溝口氏、武田氏?
場所:長野市戸隠栃原
攻城日:2013年6月1日 
お勧め度:★★★★☆ 
城跡までの所要時間:10分
見どころ:二重堀切、郭、土塁など
付近の城跡:大昌寺山城、円光寺舘、針立城など
注意事項:夏は藪が酷いかも。
参考文献:「図解山城探訪 第十一集 水内資料編 宮坂武男著」

福平城 (91)東側から見た城域。




















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Posted on 2013/06/03 Mon. 22:21 [edit]

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コメント

しっかり造ってますなあ。

相変わらず、凄い勢いでの攻城ですなあ。
これだけのご馳走が転がっていて羨ましいですわ。
この山間の戸隠、生産性など乏しい土地ですが、これほどまでにしっかりした造りの城が存在するということは、今の基準からは図りえないものがあるのでしょう。
交通路の重要性が分かります。

ああ、蕎麦、食いてえ。

あおれんじゃあ #- | URL | 2013/06/03 23:06 * edit *

Re:あおれんじゃあ様へ

神社は何度か訪れた事がありますが、村の中枢部やその周辺を訪れたのは生まれて初めて(汗)
「すげー、人が住んでる、畑や水田、民家もあるし・・」桃源郷のような世界にびっくり。
我々が思っている以上に豊かな土地なんでしょうね。
しかし、そんな場所をウロウロしていると完全アウェー状態で「怪しい奴そのもの」(笑)

戸隠の城についてはWEB上では皆無に近いので、アップしてみました。
この城と同じ規模なのはあと2か所くらいでしょうか。残りは細々とした砦のようですが、晩秋にならないと見られそうにありません。

戸隠山の冷水で〆た蕎麦は格別な味わいですね、お出かけ下さい、お伴しますよ(笑)

らんまる #- | URL | 2013/06/04 06:10 * edit *

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# |  | 2013/06/05 06:42 * edit *
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