らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

0607

円光寺舘 (長野市戸隠栃原)  

◆お寺の裏の豪快な土塁が見どころの居館跡◆

住民の皆さんには失礼な言い方で申し訳ないのだが、「こんな場所」で城址を探し求めてオッサンがウロウロしていると、完全にアウェイ状態である(笑)

しかも田植えの時期なので皆さん農作業で表に出張っているので、余計に怪しい不審者と思われたらしい(汗)

円光館 (1)福平集落の西にある円光寺が居館跡と伝わる。

こんな趣味を続けていたら、いつか職質されるんだろうな・・・

「そこに城があったから、見学してたんです」 誰も信じてくれないし相手にもしないだろう・・

「信じて下さい、僕はちゃんとした人間なんです・・・」異常な奴に限ってそう云うんですよ・・(笑)

山城ヲタクの悲しい物語を妄想してしまう自分がそこにいる・・・それも悲しすぎるではないか・・(爆)


で、今回ご紹介するのは前回シリーズの続きで、長野市戸隠栃原の円光寺舘。

円光寺館鳥瞰図①今回は神の鳥瞰図で現地説明させていただく事にします。(図解山城探訪より)

【城主・城歴】

長野縣町村誌にも記録が無くハッキリしたことは全く分からないらしいが、溝口氏の居館跡であろうと云われている。北西700mに福平城があり、そこを詰めの城と見るなら申し分のない位置であり、その重厚な構えは中世の居館そのものである。

円光館 (4)西側の郭3。向こうに大昌寺が見える。

円光館 (7)昭和47年に村史跡となったようだ。

お寺の本堂の建つ場所が本郭(郭1)であり、往時も領主の居館があったのであろう。

円光館 (9)円光寺本堂。

今となっては「山間部の鄙びた村」というイメージがあるが、400年前の昔も日当たりも良く桃源郷のイメージを持つ肥沃の地であったと思う。

円光館 (10)現在は耕作地となっているが、郭の外郭は良くとどめている。

残念ながら甲越戦争における係争地となってしまい、桃源郷の夢は潰えたという。

円光館 (14)南側からみた主郭方面。

この城館跡の圧巻は北方面を覆う巨大な「コの字」型の高土塁だ。

円光館 (15)西側からの高土塁。

円光館 (16)普通のお寺には絶対あり得ない土塁。

円光館 (18)北側の高土塁は圧巻である。


「よくぞ残してくれましたあー」と拍手したくなる高土塁は、お寺が建立された事により破壊を免れたのであろうか?

円光館 (21)居館北側の堀切㋑。土塁の高さは5mにも及ぶ。

円光館 (20)西側には家来の屋敷でもあったのだろうか?

辺境の地と思われがちな戸隠の居館は意外とデカイ。それ相応の身分の方の居館であるったようだ。

周囲を穿つ堀切跡にも在地土豪の巨大な城館という証拠が残る。

円光館 (22)城館東側の巨大な堀切㋑。

甲越紛争地の重要拠点として武田方に改修されたのかは不明だが、軍事上の重要な拠点だったのは間違いないと思われる。

戦国時代に荒廃してしまった戸隠地区が再興されるのは、江戸時代に入ってからであったという。

甲斐の虎と越後の龍の戦いは民衆からすれば早く忘れたい人災だったに違いない・・・・・。


≪円光寺舘≫ (えんこうじやかた)

標高:811m 比高65m 
築城時期:9
築城・居住者:不明
場所:長野市戸隠栃原
攻城日:2013年6月1日 
お勧め度:★★★☆☆ 
城跡までの所要時間:3分
見どころ:堀切、郭、高土塁など
付近の城跡:大昌寺山城、福平城、針立城など
注意事項:付近の住民の皆さんには行き逢ったら挨拶しましょう(常識ですが・・)
     駐車場がないので路駐。邪魔にならないように。
参考文献:「図解山城探訪 第十一集 水内資料編 宮坂武男著」

大昌寺山城① (21)大昌寺の駐車場より見た円光寺舘の遠景。







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Posted on 2013/06/07 Fri. 22:34 [edit]

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コメント

職質ってか?

俺なぞ、110番されたぞい!
こんなの自慢しているんだから、情けないよなあ。

確かに、あの純朴な戸隠の山里で、城探し?
住民にとっては十分、怪しいよねえ。

戸隠、今は観光地として貧しい感じはないけど、かつてはメチャクチャ貧しいところで開拓で入った人も多かったとか?
戦国時代はどうやって食べていたのでしょうかね?
こんな立派な土塁を持つ城館があるのだから、それなりの産業はあったのかな。

あおれんじゃあ #- | URL | 2013/06/08 23:57 * edit *

Re:あおれんじゃあ様へ

といって、山をウロつけば山菜泥棒に間違われるし何も良い事ないっス(笑)

往時の川中島四郡を支配するには、善光寺信仰と戸隠信仰の聖地を確保するのが絶対条件だったんで信玄公も謙信公もガンガン攻め込んで陣取り合戦。
ある意味川中島合戦よりも壮絶な山岳ゲリラ戦が展開されたというのが真相とか(汗)

七二会地区よりも傾斜が緩く肥沃の土地ですね。意外と生産性は良かったのかもしれません。
けど、田畑耕してもお侍さんがドカドカ荒らしたんじゃやる気も出ません。よそへ行きますわ(笑)

らんまる #- | URL | 2013/06/09 07:34 * edit *
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