らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

0708

荒山城 (佐久市大沢)  

◆戦国時代の屋敷割りの名残を感じる要害城◆

まだまだ佐久地方も制圧出来ず、時々思い出したようにブラついている。

今回ご案内する「荒山城」はWebでは結構紹介されていて有名なんですねえー、知りませんでした・・(汗)

荒山城(佐久市) (1)旧大沢小学校のある場所は「坊城山」と呼ばれる。

平野部に半島状に突き出した独立丘陵に築かれており、郭は3本の堀切で隔てられ連梯式の平山城である。

荒山城(佐久市) (50)東側から見た全景。低い比高だが、大きく3区分された城域であることがお分かりいただけるだろうか?


【城主・城歴】

以下、「信濃の山城と城館➊佐久編 宮坂武男著」より転記。

「貞祥寺開山歴代伝文」(貞祥寺蔵)によると、荒山城は前山城(伴野城)の支城として築かれ、大永元年(1521)以後は貞祥寺開山の伴野貞祥の弟刑部大輔貞慶およびその子兵庫助貞秀が在城したという。
天文年中の武田氏の佐久侵入のころは、市川梅蔭斉等長、続いて伴野善九郎父子が罪状
天正十年(1582)には、市川和泉長義父子が在城。同年、徳川方の依田信蕃の攻撃を受けて落城。その時の城主市川氏の母妙高は自刃する。それを祀ったのが櫓台上にある妙高稲荷(3つある祠の北端のもの)と伝えられている。北麓の陣川は依田信蕃が攻城の時に本陣を置いたところから出た名前とう。

荒山城(佐久市) (6)城下の屋敷割り。

城域の西側には水路を引きこんだ城下町が形成され、屋敷割りの景観も素晴らしい。

天正十年には戦禍を被ったようだが、伴野氏時代、武田統治時代を通して町が形作られていったのであろう。

荒山城見取図①

【城域と見どころ】

城の南端には長命寺があり、郭4である。寺の住人の方が留守で東の高土塁や高台の観音堂の見学が出来なかったのは残念だった。いつかリトライしたい。

荒山城(佐久市) (7)

荒山城(佐久市) (9)寺の裏側から見た郭1.中間の墓所は段郭のあった場所と推定される。

城址は全山耕作されてしまい、どこまでが往時の遺構なのか判別は難しい。

荒山城(佐久市) (11)郭4から南を回り城の東側に回り込む。

特段に防御を凝らした城では無いが、城正面の北側は斜面に段郭を施したオーソドックスな作りである。

支城なので後詰めが到着するまでの攻撃を支えられれば充分なのであろう。

天正十年の依田信蕃の攻撃は北側もしくは西側とされるが、もし陣川の伝承のある北側からとしたら、これほど相手を馬鹿にした攻め方は無いと思われる。

仮にそれが事実だとすれば、その奢りが前山城攻防戦の長期化を招き、挙句の果てに岩尾城で落命する前兆になったのだと云われても仕方が無い。

荒山城(佐久市) (13)郭1と郭2の間は緩やかな坂だが、攻撃側が突破しようとすれば挟撃され殲滅される構造だ。

荒山城(佐久市) (21)頂上付近の堀切㋐。土留めコンクリート側に郭1の高土塁がある。防御というよりも居住空間の区分けという性質に思えるが。

さすがに6月ともなれば、平地の城館といえども雑草が膝上まで生い茂る。

郭1へのルートは長命寺の裏手を上がるのが無難のようだが、北側の腰郭の雑草に埋もれた切岸を強引に登ってみた。

荒山城(佐久市) (23)郭1と西側に残る櫓台跡。

荒山城(佐久市) (24)広大な郭1。(現状は畑)

荒山城(佐久市) (28)臼田方面の諸城は指呼の間にある。

坊中山と呼ばれる郭2は頂上付近を除いて耕作による改変で輪郭がハッキリしないが、城館の中枢として重要な建物があったと思われる。

荒山城(佐久市) (26)郭1から見下ろした郭2。

荒山城(佐久市) (30)ロケーションの良さは圧巻で、西側には遠く虚空蔵砦、伴野氏の本城の前山城が見える。

荒山城(佐久市) (35)北の平尾城と浅間山方面。

堀切㋑を隔てて郭3の坊城山となる。

現在は保育園や小学校の跡で往時の影は見るべきものもないが、順次拡張された郭であろうか。

荒山城(佐久市) (4)保育園脇の堀切㋑。

荒山城(佐久市) (43)陣川(依田信蕃本陣跡?)より見た堀切㋑。

荒山城(佐久市) (49)郭3に建つ体育館。

荒山城(佐久市) (48)堀切㋒。往時は付近を南佐久へ通じる重要な古道が通っていたという。

古い街並みを歩いていると、戦乱の止んだ長閑な城下町が思い浮かべられるそんな場所であった。


≪荒山城≫ (あらやまじょう 荒城)

標高:717.0m 比高36m 
築城年代:不明
築城・居住者:伴野氏、市川氏
場所:佐久市大沢
攻城日:2013年6月16日 
お勧め度:★★★☆☆
城跡までの所要時間5分 駐車場:体育館の駐車場借用
見どころ:土塁、堀切、古い街並み
注意事項:耕作地は荒らさないように。
参考文献:「信州の山城と館① 佐久編 宮坂武男著」
付近の城址:医王寺城、前山城、稲荷山城など


荒山城(佐久市) (50)



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Posted on 2013/07/08 Mon. 06:26 [edit]

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コメント

そういえば。。。

この城は結構大きい感じを受けましたが、北側の防備が弱く見えていましたが
やはり依田さんもこちらから攻めていたんですね~知りませんでした。

この城の訪城時に郭①と②の北側斜面の畑に古い墓石がいっぱい埋まっていて
城跡を見るのに夢中で踏んでしまって寒気をかんじました。。。。(汗)

この城の西側(現中部横断自動車道)で寺家遺跡の発掘調査が行われていますが
この寺家遺跡は旧長命寺跡とされ武田?依田?との戦乱により焼失したとされています。
この荒山城との関連をうかがわせる重要な遺跡だと思いますね。

この近くにある前山古城はビビっていけませんでした。。。。。いかれましたか?
荒城は、横断自動車道にギリギリかからずセーフでした。。。。。きれいに残ってよかった
よかった。。。。。。。V

ていぴす #- | URL | 2013/07/08 22:30 * edit *

良い形の岡です。

この城のある岡、遠くからも目立ちますね。
いかにも中世の城があるぞ、って主張しているようです。
耕作で多少は改変されたところもあるでしょうが、曲輪の形は原型に近いんじゃないかとおもいます。
本郭の土塁は良い感じです。
行った時、本郭跡の畑にバアチャンがいて、思わず「出た!」って、心の中で叫んじゃいました。失礼ですなあ。
大沢小の遺物、あの旧校舎も良いです。

あおれんじゃあ #- | URL | 2013/07/08 23:40 * edit *

Re:ていぴす様へ

墓所も場所によっては荒れ放題で、訪れる子孫も絶えたようなお墓が多くありました。
この先どうなっちゃうんだろうか?忘れられた野の仏と同じように苔むして忘れ去られるのでしょうネ。
祖先に対する敬いの心も捨て去られてしまうのは残念な事です。

そうでしたか、長命寺は別の場所の集落にあったんですか。
依田信蕃の佐久平定戦では前山城の攻防は熾烈を極めたらしいので、戦禍に遭ったのはその時かもしれません。
岩尾城の大井氏も前山城の伴野氏も下位の家柄である依田に従うなんぞ、侮辱に等しい思いがあったんでしょうか。没落すれども旧家の誇りは忘れなかったんですね。

前山古城も荒城も未だ見ていません。やっとこさ医王寺城を見た程度です・・(汗)
運転免許人口も減ると云うのに今さら道路作ってどうするんですかねえ、とても疑問です・・(笑)

らんまる #- | URL | 2013/07/09 07:22 * edit *

Re:あおれんじゃあ様へ

この場所はいつも素通りしてまして城址があるとはしりませんでしたあー(汗)
主張をずっと無視し続けた訳です・・・(笑)有名な貞祥寺も近くにあったんですねえー。

主郭へはお寺から登るみたいですね。へそ曲がりなものですからワザワザ違う場所から突入しました。
相手のお婆さんもさぞかし「タマゲタ」事でしょう(笑)
あの集落、なかなか風情があって良かったです。中世の城下町って感じでしたね。
仰せの通り、あの小学校の校舎も未来へ遺して欲しいものです。

らんまる #- | URL | 2013/07/09 07:33 * edit *
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