らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

0719

落合城 (佐久市鳴瀬)  

◆甲越合戦の葛山城攻防戦で散った落合氏の祖先の出身地◆

全くお恥ずかしい話なのだが、川中島周辺を治めていた小田切氏が佐久出身なのは知っていたが、その小田切氏が援軍として籠城した葛山城の城将「落合備中守治吉」の祖先もまた佐久の出身だったとは知らなかった・・(汗)

そういえば春日さんも香坂さんも佐久出身でしたね。

人間、歳を重ねると狡賢いタヌキになるようだが、「素直であること」と「謙虚さ」は愛される老人となるための必須項目であるらしい(笑)

「勉強不足のヤツの紹介する落合城はどうなんだろう?」という疑問はごもっともだが、お付き合い願いたい(笑)

落合城 (3)落合集落の北端に位置する時宗寺。

落合城は浅間山麓の最末端である塚原台地の南端で湯川の断崖上に築かれた崖淵城である。

北へ1.1kmで駒形城、東へ2.5kmで道本城があり、立地は根井氏(ねのいし)の勢力下であったことが分かる。

落合城 (6)時宗寺の隣の高台には諏訪神社があり、そこから東側の台地上が城域となっている。

落合城 (15)諏訪神社。

この城は、木曾義仲軍に加わって活躍した佐久武士のひとり落合五郎兼行(根井行親の五男とも?)の居館跡とされ、回字形を基本としている。

城址を踏査すると根井行親の道本城ソックリで、規模は落合城のがデカイ。

落合城(佐久市)※薄黒い部分は崖または高台の傾斜地。

郭1は40mの方形で小さく道本城と変わりないが、副郭の2と3は小矢殿坂(堀切㋑)と矢殿坂(堀切㋒・消滅)で区切られてかなり大きい。

更に堀切㋓で区切られた北側にも郭があった(5)と云われ堀切で囲まれていたと云う。

落合城 (19)西側から見た郭1と堀跡。

落合城 (24)北側の堀㋓から見た郭2と本郭方面。

落合城 (30)辛うじて往時の面影が残る小矢殿坂(堀切㋑)

構造改善と宅地造成などにより遺構のほとんどが消滅しているが、所々に往時の面影が残る。

小矢殿坂付近で農作業している方に坂の名前を尋ねたが、そのような名前は知らないという。

まあ、千年も昔の居館が残っているとすれば国宝だろう(笑)

落合城 (28)郭3も相当なデカさである。

落合城 (1)郭5は眉唾ものだが、牧場の小屋があったのかもしれない。

【城主・城歴】

落合五郎兼行は謎の多い人物で、小生は根井行親の五男と記述したが、義仲を匿った中原兼遠の五男で義仲四天王の樋口兼光、今井兼平の弟で恵那郡落合村に居館を構えていたとする説もある。樋口さんも今井さんもそこらじゅうに屋敷跡の伝説が残るので、分身の術でも使えたのであろうか・・(汗)

ちなみに佐久の落合氏は鎌倉政権下では存続していたようで、承久の乱(1221)以後に新補地頭として水内郡裾花渓谷(現在の長野市鑪芋井)に移り、そこに定住したという。

応永七年(1400)、北信濃の国人が新任の信濃国守護小笠原長秀に反抗した大文字一揆にも落合氏の名は見え、戦国時代になると葛山衆(かつらやましゅう)と呼ばれる武士団の盟主として活躍した。

落合城 (22)城域の北側の塚原台地は根井氏関連の私牧として佐久最強の騎馬軍団を形成していったのであろう。

落合氏が北信濃に去った後の落合は、大井氏の所領となる。弘安の頃になるとこのあたりも仏教寺院が営まれ、落合新善光寺や滋寿院が建立されたのもこの時代であるという。

落合城 (34)既に埋め立てられ消滅した矢殿坂の位置。

まあ、落合五郎兼行の子孫が武田信玄に抗して潔く散ったとなれば、「さすがに義に厚き一族の血統」と評価されるのであろうか。

後世に「イモ侍」とか「田舎侍」という有り難くないレッテルを貼られた義仲だが、軍事的な戦略や戦術は一流であり、さすが源氏のサラブレットである。

それを支えたのが佐久の騎馬軍団なのだと思うと、信州人であることを誇りに思うのである・・。

落合城 (35)段丘の下に広がる落合集落。遠方に見える丘陵は有名な岩尾城址。


≪落合城≫ (おちあいじょう 神明城、竜香山城)

標高:660.0m 比高:20m
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:佐久市鳴瀬
攻城日:2013年7月6日 
お勧め度:★★☆☆☆
城跡までの所要時間:- 駐車場:時宗寺の駐車場借用
見どころ:郭跡、堀跡
注意事項:特に無し
参考文献:「信州の山城と館➊佐久編 宮坂武男著 2012年」「定本佐久の城 郷土出版社 1997年」
付近の城址:道本城、根井氏居館、岩尾城、駒形城、今井城など

落合城 (43)湯川から見た落合城遠景。


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Posted on 2013/07/19 Fri. 22:21 [edit]

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コメント

謝意

らんまるさま、コメントありがとうございます。

最近、見覚えのある佐久の城砦が続き、懐かしく拝見しております。

あの頃は父も健勝だったな、と思いつつ、変わること無い信州の城を楽しませてもらっていますv-8

マサハレ #- | URL | 2013/07/19 23:04 * edit *

Re:マサハレ様へ

戦国時代の佐久は武田に蹂躙された悲しい過去を持っていますが、義仲さん時代には輝いていました。
しばらく佐久編が続きますが、ご愛顧お願いします。

らんまる #- | URL | 2013/07/20 06:34 * edit *

残っていたのですね!

らんまる様 お邪魔させて頂きます。

 この城は私も随分と前に探しました。

 諏訪神社に立ち、良くわからないな~と立ち去ったことを思い出しました。

 神社の近くに残存していたのですね。

 このレポートのおかげで、長年のもやもやが晴れスッキリした気分になれました。

 ありがとうございました。

武蔵の五遁 #- | URL | 2013/07/20 07:43 * edit *

Re:武蔵の五遁様へ

そうでしたか、お役に立てて何よりです(笑)

ここが居館跡だ、と云われればそうなんでしょうね。なんせ1000年前の話ですから・・・(汗)
貴殿の記事も毎日読んでおります。このクソ暑いのに精力的に踏査されておりますなあー。コメントも入れず読み逃げばかりですが、ご勘弁下さい。

小生は忘れ物を捜すかの如く、しばらくの間は佐久編が続きますがご容赦ください(爆)

らんまる #- | URL | 2013/07/20 08:09 * edit *

なるほど

こんばんは、戦国期に北信濃で活躍した武将達は佐久周辺で勢力をもっていた
氏族達の末裔だったんですね。。。知りませんでした。

木曽義仲の滅亡に伴い勢力を失い、また武田信玄の侵攻により滅亡。。。
時代は繰り返されるにしても悲運な一族達ですね。

ていぴす #- | URL | 2013/07/20 23:28 * edit *

Re:ていぴす様へ

落合さんが根井氏一族だったとすれば滋野系望月氏に辿り着くので、牧場経営の滋野三家の勢いは当時物凄かったのでしょうね。

「叛く佐久を殺せば、草木も武田に叛くでしょう」新田次郎の小説「武田信玄」に出てくる横田備中守が晴信に諫言するセリフです。
佐久の土豪たちが武田滅亡後に徳川方の依田信蕃に抗戦したのも、依田が武田方の将だった為とも云われています。
「嫌なものは嫌なのだ」・・・ある意味成田長親と似てますね(笑)

らんまる #- | URL | 2013/07/21 06:48 * edit *
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