らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

0809

宇当坂の館 (小諸市甲)  

◆小諸に城下を構える前の大井氏の居館跡◆

今年の夏も昨年同様に街道や宿場町を歩いて回る予定だったが、宮坂武男氏の「信濃の山城と館」が発売になった事もあり平地や平山城の各庫撃破に追われている・・。

熱中するのと熱中症は紙一重であろうか・・(笑)

再び舞台を小諸周辺に戻して、今回ご案内するのは「宇当坂の館(うとうざか)」

宇当坂の館 (2)六供の集落を流れる中沢川。この西側の段丘の上が宇当坂の館址らしい。ここを含めて居館周辺は「古宿」と云う地名だったという。

文明十六年(1484)二月、村上政寄与し・明け顕国父子の佐久侵攻により岩村田の大井城は猛火に包まれ落城、城下は灰燼に帰して大井宗家は滅亡。岩村田城主の大井光照は小諸へ逃げ移り、館を構えたのが宇当坂と伝わる。

その昔、木曾義仲に仕え鎌倉幕府では頼朝の御家人となった小諸(小室)太郎光兼も宇当坂に居を構えたというが、史料も確証も無く城館の位置は不明だと云う。

宇当坂の館見取図①※地図中の表記で遠見大明神とあるのは、道見大明神の誤りです。

小諸市街の北、国道18号線バイパス北側付近に、古宿・御所村・竹の鼻(館の端)・城の腰・宮の窪などの字名が残されており、近くの丸山遺跡群と併せて台地の突端を宇当坂の館と推定している。

宇当坂の館 (5)かつての城下だったという古宿。大井一門の墳墓碑の五輪塔が崖下に残る。

宇当坂の館 (3)五輪塔と宝篋印塔。

居館址と云われる台地の突端部にはは嘗て榎の老木が聳えており、根元に石の祠があり「道見大明神」といわれていた。

光照の子大井伊賀守光忠の法名が吉祥院殿源開道見大禅定門であるので、「道見」を呼びならわしたと考えられている。

宇当坂の砦(6) (5)居館跡は私有地で入れなかったので、国道から望遠5倍で探したら、見つけましたよ「道見大明神」と老木。

戦国の争乱を迎え光照の遺志を継いだ光忠は、無防備に等しい宇当坂館よりもさらに堅固な城塞を築くことを思い立つ。

宇当坂の砦(6) (2)国道18号線のバイパスから見た宇当坂の館全景。

長享元年(1487)中沢川ほとりの交通要衝の地小諸に鍋蓋城を構築したのである。館と陣城を兼ねた城塞(砦)であった。

さらに激化する乱世に備え、光忠の子光安は鍋蓋城と連携する乙女城(乙女坂城)を築く。やがてこの二城が小諸城の原形となる。

(定本佐久の城 飯塚道重氏の記事を引用)

≪宇当坂の館≫ (うとうさかのやかた)

標高:720.0m 比高:- 
築城年代:不明
築城・居住者:小諸氏、大井氏
場所:小諸市甲六供
攻城日:2013年7月28日 
お勧め度:★☆☆☆☆
城跡までの所要時間:- 駐車場:路上駐車
見どころ:五輪塔、宝篋印塔など
注意事項:特に無し
参考文献:「定本 佐久の城」(1997年 郷土出版社)
付近の城址:加増城、成就寺、大遠見城、小諸城など

宇当坂の砦(6) (1)

まあね、ここまで書いちゃうと鍋蓋城と乙女城が合体した小諸城の城歴が気になりますよね(笑)

そのうち、ボチボチと掲載してみますか・・・・・・・・・・(汗)








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Posted on 2013/08/09 Fri. 23:32 [edit]

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