らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

0907

横須賀城 (静岡県掛川市西大淵)  

◆高天神城の付け城だった「横須賀ストーリー」とは◆

昨日はいきなりラーメンの写真があった為か拒否反応が酷くてアクセス数が落ちたようだ・・・(汗)

城ヲタクの語る「食べログ」など信憑性に乏しい。

山を駆けずり回って昼飯も食べ忘れるようなヤツは何を食べても「旨いのである」(笑)

横須賀城 (1)本丸南下門跡から見た本郭跡。河原石の石垣が珍しい横須賀城。

今回ご紹介するのは、昭和の歌姫で小生が大好きだった山口百恵の詩にもなった「横須賀ストーリー」

「えっ?違うの?」(汗)

百恵チャンが歌った横須賀は神奈川県にある米軍や日本の軍事要塞都市で、今回の横須賀は静岡県にある徳川軍の軍事基地なの?

大好きなF22を待てど暮らせど飛んで来なかったのはそのせいかしら・・・(おバカっ!! 爆)

横須賀城 (4)四層の天守閣があったという本郭跡。

【立地】

小笠山(265m)の南へ伸びる支脈の終点に位置し、同じ支脈上で南東に位置する高天神城とは約6kmの距離である。
遠州灘へは弁財天川沿いで2km上流にあり、城と直結する港(横須賀湊)があったようだが、宝永大地震(1707年)で地盤隆起となり、湊は壊滅したという。

横須賀城見取図①中世城郭の砦(松尾山)を近世城郭に拡張していった様子のわかる見取図。

【城主・城歴】

天正六年(1578)、徳川家康は家臣の大須賀康高に命じて高天神城奪還の軍事拠点として築城させる。
天正九年(1581)に武田方の高天神城が落城すると、それ以降は近隣の領土支配の拠点となり明治維新の廃城まで288年間八家20代の城主を数える。

横須賀城 (11)天守台に残る礎石と背後の土塁。

築城当初は松尾山と現在の本郭からなる陣城だったようだが、その後近世城郭への拡張工事により二の丸、三の丸などの平城部分が加えられた。大手口が二ヶ所あるのも珍しく河原石の石垣も特徴的である。

明治維新の廃城後、建物や土地は民間に払い下げられ堀も埋め立てられて城跡は景観を失ってしまった。
昭和46年に本丸一帯の宅地化計画が持ちあがると、城跡消滅の危機に住民の保存運動が展開され昭和56年に国指定史跡となり発掘調査と史跡整備が進められて現在に至る。

横須賀城 (16)本丸東側より本丸下門周辺。土塁や切岸が再現され見事な景観。

横須賀城 (24)本丸跡にある3D模型と解説台。お金かかってます(笑)

この横須賀城、さすがに国指定だけあってそれぞれの場所に発掘状況の写真や解説板が置いてある。

城の構造が良く分からない初心者の方にも分かり易く丁寧に書かれている秀逸もの。これは掛川城にも共通するものなので、掛川市教育委員会の発想なのかもしれない。

中世城郭マニアを始めるキッカケになるツールとしては地味ながら効果は絶大かと・・・・(爆)

横須賀城 (26)三日月池周辺の遺構の解説。

横須賀城 (25)掛川城は三日月堀だが、横須賀城は規模が小さいので「三日月池」らしい・・(汗)

近世城郭としての横須賀城は規模も大きく、歴代三万石の大名には身分不相応にも思える。

まあ、万が一西から敵が東海道に入っても、陸路は掛川城で抑え、海道沿いはこの城で抑える防衛構想だったというから、幕府もお金注ぎ込んだと見て間違いないでしょう。

横須賀城 (28)北の丸。

で、信州の山猿としては、チョッとだけ山城の匂いのする松尾山へ行っちゃうんです・・(笑)

近世城郭はすぐに飽きちゃうんです、ハイ。

横須賀城 (30)北の丸から見た松尾山。「山=登る=嬉しい=ビョーキ?」

松尾山は築城初期における重要な郭であり、高天神城方面からの攻撃に備えた防御の要でもあった。

近世城郭へ拡張された時でもその重要性は失われず、郭の東端には多門櫓があった事が江戸時代の図面や発掘調査でも確認されている。

横須賀城 (34)郭内部。奥のビニールシート部分が発掘中の多門櫓跡。

横須賀城 (35)現地の説明板。

この松尾山の周辺は後世も空掘だったようで、唯一築城往時の姿を留めている。

小生が唯一ホッとするくつろぎの空間でもあります・・・(笑)

横須賀城 (39)空堀というよりは谷という表現が似合う強力な防御施設。

横須賀城 (33)松尾山から本丸を見る。築城当時は北の丸は空堀だったように思えるがどうであろうか。

横須賀城 (41)松尾山の北側の空堀。茶畑までの巾らしい。

さあ、いかがだったでしょうか横須賀城。

平城部分??全く興味がないので見ませんでした・・・それじゃダメだって??(汗)

横須賀城 (43)北の丸から見た西側の平城部分。

♪♪これっきり これっきり もう これきっりーですかあー ♪♪

♪急な坂道 駈け登ったら 今も海が見えるでしょうか~ ♪♪ ここは よこすか・・♪

(その横須賀ではありません・・くどいゾ!)

≪横須賀城≫ (よこすかじょう)

標高:40.0m 比高:35m
築城年代:不明
築城・居住者:今川氏、徳川氏、武田氏
場所:静岡県掛川市西大淵
攻城日:2012年10月9日 
お勧め度:★★★★☆ 
城跡までの所要時間:- 駐車場:有り
見どころ:河原石の石垣、天守台跡、松尾山、空堀など
注意事項:特に無し
参考文献:-
付近の城址:信州人に聞くなって(笑)


横須賀城 (47)入り口にある古絵図。

毎度の事だが、帰り際に「西の丸」の下が正式な史跡入り口だった事に気が付く・・(汗)

そこにはちゃんと駐車場もあった・・・。なんてこった・・・。

横須賀城 (48)正式な入り口はここらしいので、ここでお別れです。








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Posted on 2013/09/07 Sat. 10:18 [edit]

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コメント

ご無沙汰しております。

らんまるさま、毎日拝見しておりますが、コメントは久しぶりですね。

当サイトにいらっしゃってくださった「赤ペン先生」は、善意の方だったのでよかったです。
サイトの記事も事実誤っていましたので助かりました。

以前にお伝えしましたが、横浜の地主(しかも弁護士)から削除依頼(クレーム)が来た時とは大違いです。
長野の山城も昔より関心のある方が多くなったと思いますが、キノコ山も多いですので、地主の方とトラブルにならないように願っています。

最近は長野の山城の、しかもかなりマイナーな所まで紹介されているブログがいくつかあるので、もう私の出番ではないなぁ、なんて思っていますv-8

マサハレ #- | URL | 2013/09/07 20:23 * edit *

松尾山登った?

やっぱりあそこまで行った!
予想どおり、実は俺も。
あそこまで行く奴はビョーキの証拠でしょう。

結構面白い構造ですが、
でも全体的に公園化しすぎちゃって雰囲気ないんですねえ。
まあ、そうして保存されるだけいいほうでしょうけど。
丸い河原石での石垣、冗談かと思いましたよ。
積むの大変だったでしょうね。

あおれんじゃあ #- | URL | 2013/09/07 20:56 * edit *

Re:マサハレ様へ

そうでしたか、匿名の世界は怖い部分もあるので、用心しないといけませんネ。

小生も松本藩の横川口の口留番所の記事は削除依頼が来てしまい、仕方なく消しました。
確かに「この家は現在誰も住んでいません」という記述では、泥棒の標的になってしまいますもの・・(汗)

「木を見て森を見ず」
小生もその一人ですが、宮坂本の流通で3Aとかマイナーリーグレベルのヲタクが大リーグヅラしてますね。(笑)
「井の中の蛙、大海を知らず」
貴殿がパイオニアたる所以はいささかもゆるぎないものです。
戦国の城が大好き・・それだけの事実で充分だと思っております。

らんまる #- | URL | 2013/09/07 22:44 * edit *

Re:あおれんじゃあ様へ

史跡が住宅地にならずに済んでホッとしましたが、そのうち模擬天守閣でも建ちそうな公園です(汗)

浜松市が現在浜松城の天守門の発掘工事を終えたようで、いよいよ天守門の復元工事にとりかかるみたいですよ。堀尾吉晴が大幅に改修し天守閣まで建てた浜松城は1600年初頭に天守を焼失し、以後は天守門だけの城だったらしいので、門を復元するなら天守閣は撤去したらいいと思ってますが、怒られそうですね(笑)

なんやかんや云っても静岡県は遺跡や史跡調査に積極的なので羨ましい限りです。
長野県にも頑張ってもらわないといけません・・。

らんまる #- | URL | 2013/09/07 23:10 * edit *
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