らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

0912

相良城 (静岡県牧之原市相良)  

◆ジャパニーズドリームの頂点に立った田沼意次の幻の城◆

「最近、更新のペースが上がってるけど何かあったの??」

御心配無用である。健康診断の結果が悪かったので、この世に未練の無き様に生き急いでいるだけである(笑)

今回ご紹介するのは相良城(さがらじょう)。

前身は先日掲載した高天神城の補給用の中間地点として武田勝頼が築いた城なのだが、江戸時代の九代将軍徳川家重の小姓を経て十代将軍徳川家治に重用された悪名高き老中「田沼意次(たぬまおきつぐ)」の居城である事を知る人は少ない。

相良城 (1)相良城の本郭跡に建つ牧之原市相良資料館。

城跡は現在、資料館脇に記念碑が建ち、学校脇に土塁の一部を残すのみでカケラも残らず壊滅している。

実はこの城、廃藩置県で廃城⇒民間への払下げ⇒遺跡壊滅・・という通常の流れでは無く、江戸幕府の老中として権威を揮った田沼氏が築城(修築拡大)の許可を得て新たに総石垣の近世城郭に作り変えて、三層の天守を持つ城にしたのだが、権力抗争に敗れて失脚してしまい、その後徹底的に破壊された珍しい城なのである。

相良城 (4)武田勝頼の築城した相良古城も同じ位置だったらしく碑が残る(後方は相良中学校)

「江戸時代の三大改革といえば何?」

学校で勉強しましたよね、えっ、覚えていないの? 

だいたいねえ、年号で暗記するような歴史の授業なんて滅亡した方がマシだと思う訳ですよ・・(爆)

「享保の改革」 八代将軍吉宗が主導。財政安定が目的で、イモ栽培や幕府への上納金制度なんかもやりました。

「寛政の改革」 老中松平定信でした。貧乏に耐えよってのは許せても、棄捐令で借金棒引きは最悪でしたね。

「天保の改革」 水野忠邦さん、農業政策の拡充と株仲間の解散なんかでがんばりましたが、綱紀粛正はやり過ぎと批判。そのまま幕末の動乱へ行っちゃいましたが(汗)

田沼意次公①

田沼さんは、享保の改革と寛政の改革の間で「商業主義」を強力に推進した人です。

歴史の教科書では必ず登場し、商業推進に重きを置いたために経済は発展したが、役人への賄賂が日常化し農村が荒廃するという失政・・・どんだけネガティブに書いてるんでしょうか?

その昔、某国営放送で「天下御免」(昭和46年から約1年間)というドラマが大好きで、小生は青鼻を垂らしながら毎週欠かさず見ていました。

確か時代は田沼意次が老中で、主人公は奇人変人の「平賀源内(俳優:山口 崇)」、解体新書で有名な杉田玄白も出ていて当時の江戸の風情を面白おかしく描いていました。もちろん、田沼意次(俳優:仲谷 昇)も平賀の長屋に出入りしては、庶民の感覚や要望を治世に反映させて人気があったという設定でした。

※この時代の国営放送局の番組は余湖くんのお城のページの管理人である余御さんに語らせると、その話題だけで27時間テレビが出来ると思うが・・・(爆)

相良城 明和年間絵図田沼時代の縄張図。甲州流の縄張り軍学者によるものだという。

僕はそのドラマの影響もあったせいか、田沼意次は大好きで、詳細を調べれば調べるほど後世の批判はデタラメだった事に気が付いた。

まあ、その辺はいずれまた書くとして、彼の立身出世物語は、戦無き平和の世だった江戸時代では異例であろう。

元々父親は、紀州徳川家の足軽大将だったが、吉宗が将軍となるや側近として登用され旗本に昇進し600石を賜ったという。

その後、父の跡を継いだ意次は吉宗の跡を継いだ徳川家重の小姓として登用され所領を加増され、宝暦八年(1575)には相良藩主として、1万石の大名となった。(39歳)

以下、彼の出世と石高の経緯を記載してみる。

●宝暦十二年(1762) 加増 15,000石 (43歳)※十代目将軍の徳川家治に重用されたのはこの頃から

●明和四年(1767) 側用人に昇格 (48歳) 20,000石

●明和五年(1768) 相良城築城始まる (49歳)

●明和六年(1769) 老中格となる (50歳) 25,000石

●安永元年(1772) 老中となる (53歳) 30,000石

●安永六年(1777) 加増 (58歳) 37,000石

●安永九年(1780) 相良城落成。意次が城を見聞(築城開始より12年間)

●天明元年(1781) 加増(62歳) 47,000石

●天明五年(1785) 加増(66歳) 57,000石

●天明六年(1786) 老中罷免(67歳) 20,000石の減封 37,000石 雁之間詰 ※将軍家治死去

●天明七年(1787) 37,000石召し上げ及び相良城没収、蟄居を命じられる

●天明八年(1788) 相良城破却、財産没収

相良領視察絵図①

戦乱の世ならばともかく、石高100倍+老中への出世とは破格待遇であろう。

月給6万円のサラリーマンが、あれよあれよという間に600万円の高給取りになったという訳である。

その後、政争に敗れて引退を余儀なくされたようだが、彼の足跡はもっと評価されて然るべきであろう。

相良藩の藩政も殖産興業を中心として地道に取り組みかなりの成果を挙げた。

相良城 (3)

田沼意次の評価は現在かなり見直され、変わってきている。喜ばしい事である。

地元相良で、こうして資料館まで建てて再評価している熱意には頭が下がります。

城跡は破壊されてありませんが、皆さんも近くを通ったら是非訪ねて下さいネ。

写真四枚と資料館のパンフレットでここまで記事を書くのも大変です・・・(笑)


≪相良城≫ (さがらじょう)

標高:2.5m 比高:-
築城年代:不明
築城・居住者:相良氏、今川氏、武田氏、徳川氏、田沼氏
場所:静岡県牧之原市相良
攻城日:2012年10月8日 
お勧め度:★☆☆☆☆ (資料館はお勧め) 
城跡までの所要時間:- 駐車場:有り
見どころ:-
注意事項:周囲は学校なので、不用意な撮影は不可
参考文献:
付近の城址:









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Posted on 2013/09/12 Thu. 07:42 [edit]

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コメント

懐かしい

「天下御免」は私も楽しみに見てました。懐かしい…。
私も田沼が好きでした。高校の日本史の教師が田沼を評価していて
「へー」と思い、その先生を好きになりましたね。(単純な者で)

相良城を徹底的に破却した白河の殿さまは吉宗の孫なのに、紀州
閥の田沼をとことん嫌ったのですね。
前の権力を否定するための破却は、朱子学かぶれの定信らしいと言
えばそれまでですが。

のら #- | URL | 2013/09/13 17:53 * edit *

田沼さん!

俺の会社での以前の喧嘩相手が「田沼」さんだった。
でも、定年退職しちゃって、どこか気が抜けた感じ・・・

まあ、それは置いておいて・・・意次さん、ボロクソに言われてますが、あれは定信さんの陰謀でしょう。まるでチョーセン人と同じような捏造をしたのでしょう。
それが後世の定説になっちゃって。
憎さ余って、城まで壊されちゃって・・
最近はその捏造のメッキがはがれてきていますね。

「天下御免」、よく覚えていますよ。はちゃめちゃですが面白かった。
同時期を扱った小説に「剣客商売」があるけど、あそこでも意次さんが善、定信さんが悪という構図でした。意次さん、もっと復権して欲しいですね。

あおれんじゃあ #- | URL | 2013/09/13 19:45 * edit *

Re:のら様へ

コメントありがとうございます。

昭和三十年代の方は某国営放送の虜だったんだなあーと改めて感心しきりです・・(笑)
あの時代に第一次産業ではなく、第三次産業を中心とした殖産政策を打ち出したのは素晴らしい発想でした。彼の登場は時代的に早すぎたと思うし、それは平賀源内も同じだったのでしょう。

紛れも無い秀作であった「天下御免」の後継ドラマ「天下堂々」は期待を裏切りました・・(汗)
あの番組で記憶に残るのは主題歌だけでした・・(笑)
やはり仲谷昇は田沼意次のイメージで、水野忠邦ではありませんネ。

それにしても定信さん、嫉妬に狂った見苦しい輩でした。
甲州流の相良城を後世に伝えずに破却したのは死罪ものですよ・・(爆)

らんまる #- | URL | 2013/09/13 20:57 * edit *

Re:あおれんじゃあ様へ

当時の某国営放送局の時代ものドラマや大河ドラマは群を抜いていて、民放が逆立ちしても追従出来ない高い水準でしたね。「さすがに視聴料金を徴収されるだけの価値のある放送局である」(笑)

田沼さんのピークは壮年~定年あたりなので、現代人の励みになりそうです(自分もそうでしょうか?)
それにしても中世城郭の愛好者は年代が近いので、話題が共通になる半面、世代交代に危惧を持ちます(汗)

「昭和は遠くなりにけり」(???)

生涯現役といってもやはり絶滅危惧趣味に指定されないようにしないとヤバいですね・・(爆)

らんまる #- | URL | 2013/09/13 21:18 * edit *
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