らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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坂戸城(南魚沼市)  

◆訪問するのも難攻不落とはいかに◆

こんばんは。
今回ご紹介するのは、信州の山城を征服したらんまるの自信も揺らいだ越後の「坂戸城」

登り口から頂上までの比高差450メートルと斜度45度以上が連続する上田長尾氏の本城。

上杉景勝の直参精鋭と云われた上田五十騎の本拠地は中途半端じゃ攻めきれない・・・

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↑2009年8月1日11:00攻城開始(新潟県南魚沼市)
■片道80分の恐るべき越後の堅城■

天地人のご当地として今回新潟へは初参戦。計画では6ヶ所の城を攻略すべく早朝より出陣したのだが、樺沢城の次に訪れたこの城で予定時間の3倍を費やし作戦の立て直しを余議なくされた。
※樺沢城については後ほど記事にします。

天地人09 085
↑説明看板を侮り、奢れる心が今回の作戦を無謀な窮地に追いやる事になるとは・・

【坂戸城】
南北朝の時代、新田氏に代わり上杉氏が越後守護になると、その家臣であった長尾氏(上田長尾氏)が勢力を伸ばし南魚沼地方を治めるようになった。戦国動乱期に長尾景虎(後の上杉謙信)が越後の国主になると、坂戸城主の長尾政景(景勝の実父で謙信の姉の仙桃院の夫)は謙信に臣従。
政景と宇佐美定満が謎の変死(一説には謙信が謀殺したとも)を遂げると、景勝は謙信の養子になる。
謙信が急逝し「御館の乱」が始まると、坂戸城は春日山城の支城かつ上田庄の重要拠点として直江兼続が城主を務め、景虎方の援軍として三国峠を越えて進軍してきた北条軍勢を食い止める。
上杉家が秀吉の命により会津転封後は越前より堀秀治が城主となるが、1610年に飯山へ転封となりその後廃城となる。


天地人09 091
↑山麓にある城主館跡。石垣は堀氏時代のもの

☆地獄の功城戦記☆

普段なら、麓から片道30分以上かかる場所へはそれなりの装備で臨むのですが、今回は水も持たずに軽装。団体のご老人様一行と何ら変わりない(笑)

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↑目指す頂上は見えるので簡単に思ったのが後悔の始まり・・

攻略開始から既に30分。気温33度と異常な湿度、傾斜角45度が行く手を阻む

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↑頂上が見えるだけにその焦りは想像以上の辛さ

容赦なく照りつける太陽。ペットボトルの飲料水も無く、汗にまみれて脱水症状。もはや断念するか・・・と思ったその時。

「水だ!」

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大腸菌とか、サルモネラ菌、ビフィズス菌とかはどうでもいい。生き延びる術であれば飲むしかあるまい(笑)

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↑1時間かかってようやく主水郭の入り口。頂上まではさらに20分を要す。

途中で何人かの先陣を飾った人々に遭遇しました。
中でも「ビーチサンダル」を履いた御仁には驚くばかり。

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↑桃の木平 あと少し。意識が遠のく・・

この風景は天地人のオープニングの風景だ!!
360度のパノラマの世界


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↑実城と呼ばれる頂上から樺沢城跡を望む

こりゃー明日は筋肉痛で再起不能だろうな・・・・(爆)

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↑道中の無事に感謝した頂上の御堂

しばし頂上で散策したあとは山麓への帰還ですw

「攻めるも地獄、退くも地獄とはこのことよ・・・・」

1時間かけて戻る頃には自分の足に感覚が無かったのは言うまでもありません。

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場所:新潟県南魚沼市
お勧め度:★★★★★(満点)  ※体力に自信の無い方は山麓の御館跡でも充分
遺構:入り口手前の水堀、石垣、土塁、空堀、切通し、水の手

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Posted on 2009/08/02 Sun. 21:47 [edit]

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