らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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仙石権兵衛秀久展~小諸城 北国街道400年祭~  

◆信長・秀吉・家康に仕えた波乱万丈の戦国武将に刮目(かつもく)せよ!◆

お昼の某国営放送のTVニュースの長野版で「小諸城・北国街道400年祭り~仙石権兵衛秀久展~」を紹介する画像が流れた。

「へえー、小諸市もやる時はやるんだねえ・・」(笑)

しかし、10月6日(日)で展示会は終了だという・・・(汗)

「ありゃま、もうお終い??そりゃまた急な話だねえ、いっちょ見てみますか・・」

仙石権兵衛秀久展 (2)展示会場は小諸城大手門から徒歩50mの小諸本陣主屋で周辺に立て看板がある。

仙石権兵衛秀久展 (5)展示会場の小諸本陣主屋。

小諸本陣主屋は北国街道小諸宿の大名の宿舎として使用されたようだが、明治十一年に佐久市鳴瀬の桃源院に移築される。

平成九年に桃源院のご厚意により小諸市が譲り受け、現在の場所に移築したという。(本来は小諸本陣の問屋場の隣にあった)

現在は歴史資料館として無料開放しているらしい。

小生、そんな話は初めて聞いたので、長野県以外の方でご存知の方は皆無に近いであろうか・・(汗)

仙石権兵衛秀久展 (22)

まあ、そんな話はともかく、小諸城を近世城郭として整備した初代藩主仙石権兵衛秀久展にお邪魔してみた。

相変わらず小諸市のイベント宣伝の下手さは目を覆いたくなるような悲惨さだ・・(汗)

イベントが行われている事すら、市民の大半は知らない。

なので、近隣の市町村の住民が知る術も無い。同好会程度の催しなら話は別だが・・。

小諸城パンフレット①
なかなか良く出来たパンフレット。

一生懸命やっているイベントに文句は云いたくないが、そこには戦略も戦術も無い。

9月25日~10月6日までの12日間のイベント。

お金かけなくても、仙石秀久は講談社の週刊「ヤングマガジン」に「センゴク一統記」として連載され知名度も高い。(最近はツマラナイらしく、小生も単行本の購読を止めたが)

そこそこの周知と宣伝で何とかなりそうなものだが、入場無料というが第二の弊害であろう。

無料(タダ)=つまらない展示品、見ても仕方がないというイメージ。その通りだ。

「金取れ!!!!、原作者の宮下英樹呼べ!!!!」

仙石権兵衛秀久展 (9)
玄関脇のポスター。

残念な事に今回の企画展の展示品、撮影はOKなのだがブログアップは個人情報の守秘義務に抵触するのでご遠慮頂きたいとの事でした。

また、小生のような「にわか秀久信者」のマニアックな質問にも快く返答いただきました。

「小田原の役で復帰した秀久は家康の陣地を間借りし二十二人の兵隊しかいなかった。その彼が活躍して秀吉に赦されたというのは作り話に近い・・・」

今回の企画展を主催した桜井氏は云う。

「小諸城の改修における強引な人員徴収で集落が何ヶ所か消えた(逃亡)のは事実で、秀久の五男が秀久の死後にその責任を取らされたというのは事実である」とおっしゃっていた。

仙石権兵衛秀久展 (13)会場にあったこの鎧は試着可なのだという。

苦労して四国十万石の大名まで出世したのに、九州攻めの総大将として攻め入るが敵の計略にまんまと引っ掛かり大失敗で懲戒解雇。(司令官が敗戦の責任を取らずに部下を見殺しにして真っ先に逃げ帰った)

四年間の浪人生活を過ごし、小田原の役に最後の賭けとして無断参戦し見事復活する。(旧知の家康に強引に頼み込んだらしい)

小諸城の野面積みの石垣と深い空掘りを見ると、仙石秀久の生きて来た時代が分かるような気がする。

小諸城 (83)本郭手前の空堀。

小諸城 (67)野面積みに浪漫を感じるのは小生だけだろうか?

いずれにても今週末までの開催である。

興味のある方は、無料なので、是非お出かけいただきたい。

無料駐車場は無いので、大手門付近の市営駐車場(1時間100円)に止めて下され。

その代わり、入場料、見学料は無料である(笑)

仙石権兵衛秀久展 (23)大手門は「男気」を感じる雄大で豪快な門の造りであった。








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Posted on 2013/10/03 Thu. 22:34 [edit]

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コメント

センゴク

漫画では仙石秀久さん、それなりに描かれているようです。

でも、司馬遼太郎さんの「長宗我部元親」に描かれるセンゴクさん、酷いものです。
特に対島津戦じゃ、バカ扱い。
司馬さんのセンゴクへの憎しみ、軽蔑さえ感じます。
「坂の上の雲」での乃木さんどころの描き方じゃないです。

しかし、小諸での悪政の果て、跡継ぎの代で取り潰されたことから想像すれば、司馬さんのセンゴク像、あながちフィクションとも思えません。

あおれんじゃあ #- | URL | 2013/10/03 23:47 * edit *

Re:あおれんじゃあ様へ

連コメありがとうございます。

宮下英樹氏の描く仙石像は逆境から這い上がるサラリーマン的な物語ですが、途中からかなりブレたので読むのを止めました・・(汗)

島津の釣り野伏に引っ掛かり味方を捨て置き一目散に逃げ帰ったのですから取り潰しどころか「市中引き廻しの上獄門晒し首」でしょう。秀吉の怒りは当然。
大名に返り咲いたと思えば小諸築城は昼夜兼行で住民は犬畜生の扱い。領民が逃亡するほどの悲惨さで藩替えは当然の処分。我が上田藩では息子がまたまた築城三昧。おかげで仙石の築いた上田城は今じゃ真田が築いた城と信じている観光客がほとんど・・(笑)

その次に行った出石藩では世に名高い「仙石騒動」。あんとき潰れたら「当然でしょ!」で済んだのに・・(爆)

らんまる #- | URL | 2013/10/04 07:32 * edit *
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