らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

1013

笹尾城 (山梨県北杜市小淵沢町)  

◆信州諏方口を抑える境目の城◆

「そうだ、甲斐へ行こう!!」いつもの悪いクセである・・・・(笑)

小谷村周辺の城の掲載は中断するが、同じ「境目の城」なのでお許しいただこうか。

んで、今回ご紹介するのは笹尾城。

お1人様旅行 062全く関係無いが城跡の対岸にはSuntoryの白州工場があるので、工場見学もイチオシである(笑)

【立地】

八ヶ岳の編笠山(2524m)の南に広がる裾野が釜無川によって浸食された小淵沢の河岸段丘上にあり、北西3kmで信州との境の国界橋に至る要衝の地になる。また釜無川からは比高差が120mあり、三方を急崖で囲まれている天然の要害の地でもある。

笹尾城(北杜市) (2)発掘後だったら堀も郭も土塁も潰して駐車場にするという神経を疑いたくなる3の郭。(現地図では空堀で区切られた二つの郭だったらしい)

城山公園という名の正義を語り、数多くの中世城郭が改変され或いは現状を留めないほどに潰されてしまったのは周知の事実であろう。

笹尾城の駐車場には幻滅したが、幸いな事に二の郭の東屋(展望台)は史跡に配慮して建てられたようだ。

笹尾城見取図①

【城主・城歴】

「戦国武田の城」(中田正光著 昭和63年)に詳しいので一部引用させていただく。

信州諏方上社の記録である「当社神幸記」に、「甲州錯乱而、当方篠尾(笹尾)ニ要害ヲ立候テ、下宮牢人衆ささえられ候、彼の城も廿二日夜自落。此方本意之分にて、弥武田方難儀」とある。
これは享禄三年(1530)の条に記されたもので、築城年代が明記されている点で貴重な史料となっている。
文中の廿二日とは享禄四年のことであり、信虎が下宮(下社)の牢人衆を使って築かせた笹尾城が諏方勢により落とされ、武田勢は苦境に立たされた事を語っている。 ~引用終わり~

笹尾城(北杜市) (49)郭3(45×50)の東には堀切跡がある。(見取図の堀切㋔)

笹尾城(北杜市) (52)郭3と郭4の接続部分の切岸。往時のものとは言い難い。

武田信虎の評価も後世ではイマイチというかイマサンぐらいの評価なのだが、他国からの侵略を退け土豪同士の内乱の続く甲斐国統一を果たした彼の偉業が無ければ、信玄のその後はあり得なかった。

諏訪頼満と武田信虎との抗争は、天文四年(1535)九月の堺川の和議まで一進一退を繰り返す。

笹尾城は諏方氏との境目を抑える城として、武田信虎そして晴信(信玄)に重要視されたのであろう。

笹尾城(北杜市) (53)郭4.削平は甘いが往時のままと思われる。

笹尾城(北杜市) (56)堀切㋖。

天文八年(1539)に頼満が亡くなり孫の頼重が諏方宗家を継ぐ。頼重は信虎の三女の禰々(晴信の妹、輿入れ時は13歳だったという)を正室とし武田との関係を密にするが、その努力もむなしく諏方家は滅亡する。

笹尾城(北杜市) (61)南端の郭5と堀切。城域はここで終わる。(ピンボケご容赦!)

【城跡】

三方を崖に囲まれる立地なので、必然的に南へ開口する連梯式の縄張となる。

この城の見どころは郭2と郭3の間にある三日月状の横堀とそれを見下ろす位置に囲むように築かれた高土塁である。恐らくこの造りが後の丸馬出しと三日月堀と云う甲州流築城の原点になったのではないか?と思われる。

笹尾城(北杜市) (4)土橋脇の説明板。それによると「笹尾塁」としている。

二の郭と本郭(郭1)は笹尾城が単なる物見や烽火台の類ではなく、まさに実践を想定した城の造りである事が分かる。

笹尾城(北杜市) (6)圧巻の三日月状の横堀。攻城兵を土橋へ集中させる得意な形状。

笹尾城(北杜市) (11)行き止まりの曲輪と呼ばれる武者溜り。攻守で重要な役割を持つ。

笹尾城(北杜市) (9)加工度の高い郭1の切岸。さすが武田というのを感じる。

言葉は悪いが信濃の諸城における土塁というのは「囲む」という防衛概念で造られているような気がする。(もちろん全てがそうだと云っている訳では無い)

笹尾城の土塁は「攻め」の概念である。

「横矢」とか「狭間」という専守防衛。「簡単にやられはしない・・」

そこが凄いのである。

笹尾城(北杜市) (19)高さ3mの土塁に囲まれた郭2.

横矢掛けの土塁と虎口を限定し誘導することで敵を殲滅する。

笹尾城(北杜市) (31)郭1と郭2の境界は、攻め手から見ると、土塁と堀切に支配された生き地獄であろう。

笹尾城(北杜市) (33)本郭の上巾2mの高土塁。もち武者走りの戦闘用である事が分かる。

笹尾城(北杜市) (34)実測値40×15の本郭。

実は、笹尾城を訪問した時に先客の方がいらっしゃいまして、巻尺を使用するのを控えてました(汗)

まあね、そうは云っても時間が無いので50mの巻尺を縦横無尽に目の前で披露してしまい反省しております(汗)

笹尾城(北杜市) (37)高土塁の上も戦場なのだ。

笹尾城(北杜市) (39)背後は崖。城正面の宿命であろうか。

和議に同意した諏方氏は再び国境を超える事は無かった。

そして何年か後に甲州征伐で侵入した織田・徳川連合軍の前には無人の砦であったのかもしれない。

笹尾城(北杜市) (40)城跡から見る釜無川方面。

笹尾城(北杜市) (43)城跡は数値を実測すると面白いのだと云う事が最近分かった(笑)

≪笹尾城≫ (ささおじょう 笹尾塁跡)

標高:759m 比高:119m(釜無川より)
築城年代:1531年
築城・居住者:武田信虎
場所:山梨県北杜市小淵沢町下笹尾
攻城日:2013年10月12日 
お勧め度:★★★★☆  
城跡までの所要時間:- 駐車場:城山公園専用駐車場有り(皮肉)
見どころ:三日月形の堀、高土塁
注意事項:特に無し
参考文献:「戦国武田の城」(中田正光著)
付近の城址:中谷城








スポンサーサイト

Posted on 2013/10/13 Sun. 21:32 [edit]

CM: 4
TB: 0

« 大日方氏の城館ツアーのご報告  |  千国城峯 (北安曇郡小谷村千国) »

コメント

断崖上の城

甲州遠征お疲れ様です
此のお城は眺望が良いので、時々立ち寄ってしまいます。確かに北側にも郭や堀がみられて、城域はなかなか広かったようですね。 虎口や三日月状ぽい横堀なども面白いと思います
整備されて見学しやすいのですが、その際に消滅してしまった遺構があるのが少し惜しいですね

yama #- | URL | 2013/10/14 19:17 * edit *

Re:yama様へ

貴殿お勧めの獅子吼城に攻め入ったついでに寄った城でしたが、意外と良かった・・。
武田さんが絡むと何でもかんでも三日月と命名されるのはどうしたものかと・・・(汗)

歴史に興味を持っていただく為に整備された公園にするのを「全くナンセンスだ」とは言いませんが、明確な意図が無ければ税金の無駄遣いであり、文化財の破壊だけです。
「やはり野に置け蓮華草」と云われないようにするもの自治体の役目だと思いますネ。

らんまる #- | URL | 2013/10/14 19:32 * edit *

質問

らんまるさま、お疲れ様です。

笹尾城、なかなか良さそうですね。
山梨のなかでも、ここをおすすめする城マニアの方も多いのがうなづけました。

さて、以前からの疑問なのですが、山梨県は、なぜ城・砦が少ない(ように感じる)のでしょうか?
その差は、隣国・長野県とは雲泥の差ですね。
実は私の城めぐりも、武田信玄の興味を持ったからで、最初は山梨をウロウロしたものですが、物足りなくなり北進した次第です。

NHKあたりの「歴史」によれば、すぐに武田信玄の言葉?「人は城・・・」を援用して、その理由としていますが、うーーん、武田信虎時代は群雄割拠していたわけですから、もっと土豪の城があってもいいし、村の城が点在していてもいいように思うのですが。

らんまる様のご見識があれば教示お願い致しますv-91

マサハレ #- | URL | 2013/10/14 20:56 * edit *

Re:マサハレ様へ

甲斐の城といえば、躑躅ヶ崎館と新府城しか行った事の無い小生が、その答えを出すには短絡過ぎなので、もう少しお時間を頂ければと思います・・(汗)

先日、白山城、要害城、岩殿山城、獅子吼城、能見城、若神子城、新府城(再訪)、そして笹尾城を見て参りました。「天正壬午の乱における徳川や北条の改修云々」とノタマウ方々が根強くいらっしゃいますが、基本的には甲州流築城の原本をそこに見てとれました。

信州の山猿が「色眼鏡無し」で観る甲斐の城の生い立ちと感想を語るには、今少し攻城数を稼ぐ必要があると思っております(笑)

らんまる #- | URL | 2013/10/15 20:41 * edit *
コメントの投稿
Secret

トラックバック
トラックバックURL
→http://ranmaru99.blog83.fc2.com/tb.php/510-cdb2367d
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

城主からのご挨拶

地域別攻城戦記

諸国在住の皆さまのありがたき進言

もののふ入城者数

在城中の「もののふ」

攻城戦記年表

▲Page top