らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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根古屋館 (上水内郡小川村高府)  

◆隔絶された地に居館を構えた山村の武将の真意は何か?◆

一昨日は台風一過のピーカン天気だったので、信濃先方衆のていぴす殿の援軍として飯田市周辺へ攻め込む。

信州では北信濃の山城の人気が絶大のようだが、南信濃にはほとんど知られていないが技巧的で魅力的な山城が沢山あることを痛感したツアーでもあった・・(汗)

西平城(飯田市) (104)飯田市山本にある西平城の東斜面の土手付き横堀。久米ヶ城の支城といわれるが本城を超越する巨大な要塞であった。

まあ、そのうち長野県の歴史を求めての管理人「ていぴす殿」が記事にすると思われるので、「日ソ不可侵条約」を守ろうと思う(笑)

んで、今回ご紹介するのは小川村攻城記最終章の「根古屋館(大日方館)」

大日方氏館(小川村) (4)由緒正しき大日方家末裔の屋敷正門と周回する塀。

小川村ツアーの最終目的は、下末(しもせ)大日方館であり当主の大日方英雄氏が不在であれば断念する予定であった。

山を越え谷を渡り迷った場所で畑にいたオバさんに大日方さんちの場所を聞くと、

「最近、訪ねる人が多い見たいだけど、今日は留守だと思うよ。まあ、行ってみてよ。行き会えたらラッキーさ」

ダメもとで行ったら、幸運な事にご当主の大日方英雄氏は在宅で、屋敷の外の池で薪割りをしていたゾ・・(笑)

大日方氏館(小川村) (8)館主にこのような看板を書かせる不届き者(不法侵入者)が後を絶たないという。とても残念な事ですし間違いなく犯罪ですよね。

長野市立博物館の特別展を見て信州上田から訪ねた事をお伝えすると、快く屋敷見学の許可を頂く事が出来た。

大日方氏の先祖が松代真田家家臣ということもあったせいか、転封前の上田藩の住人も親戚扱いしてもらえたようです・・・(爆)

大日方氏館見取図①

どこの馬の骨とも分からない中世城郭ヲタクの酔狂野郎2名にも、大日方英雄氏は色々と教えて下さいました。

「馬小屋(現在は駐車場)には必ず馬二匹、牛二頭を飼うのが決まりでした」

「毘沙門天は戦の神様ですから、大日方家もお堂を建てて武運長久を祈願していました。帰農しても宗家にはお堂を建てて現在に至っています。今回、長野市が主催した特別展は規模も小さいのですが、県立歴史館には当家から寄贈した大文字旗があります。また、小川村郷土歴史館に寄託した鐙や鞍もあるようなので是非ご覧ください」

大日方氏館(小川村) (14)毘沙門堂に直接通じる冠木門。

ここで問題になるのが大日方家に伝わる「大」の旗である。

確かに大文字一揆の旗と同一なので区別は難しいが、小笠原家を祖とする大日方家に敵対する大文字一揆の旗が家宝として伝わるのはどうであろうか?守護方の敗戦なので戦利品として分捕ったとは思えない。

武田勝頼の本陣に立てられたという「大」の旗(大菩薩の頭文字)を拝領したというのなら納得出来るのだが。

機会があれば平山優氏に聞いてみたいと思う。

大日方氏館(小川村) (15)毘沙門堂は最近建てなおされたようである。

最近は村からの紹介で団体の見学者が多くなり「大日方さん、ちゃんと屋敷の手入れお願いしますね」などと言われ、大いに迷惑しているという。そんなに云うなら村で管理し手入れしてもらいたい・・その通りである(汗)

大日方氏館(小川村) (18)ピンボケしたが、毘沙門天の御堂の北側は土塁が築かれている。ここを乗り越えて邸内に侵入する不届き者も多いらしい。不法侵入する輩には犯罪者の意識があるのか疑問だ(怒)

大日方氏館(小川村) (17)北側の土蔵。改築前の土蔵の鬼瓦が飾ってある。

大日方英雄氏によると、下末大日方家は江戸時代から続く立派な母屋があったが、昭和の初期にホップの乾燥作業中の失火から火災となり焼失してしまったという。こんな田舎でもホップ栽培という最先端の農作物を試行錯誤していたというのには恐れ入る。

大日方氏館(小川村) (29)邸内の庭園。

居館の内外には至る所に池や小川があり、水には困る事が無かったようで、近年まで水車小屋も作られていたというから驚く。

大日方氏館(小川村) (32)東側の土蔵の北側の門。

大日方氏館(小川村) (34)一階は倉庫、二階は会議室だったという巨大な土蔵。

辛うじて火災の難を逃れた土蔵は、集落の寄り合い所として利用され100人近く収容できる会議室だったという。

江戸時代が終わっても小川村の郷士として大日方家は村の拠り所として機能していたというのだから凄い。

大日方氏館(小川村) (35)土蔵前の空き地と最終の南門。

大日方氏館(小川村) (40)大日方家の家紋が掲げられた土蔵。

一通り見学させていただき、大日方英雄氏にお礼を申し上げた。

大日方氏曰く、「小川村は山村ですが、水源と肥沃な大地に恵まれ農業生産ではかなり裕福な場所だと思います。祖先は帰農しましたが、そのような産業基盤の背景もあったと思われます。特に麻は戦国時代の軍需産業品として需要も高く小川村は武田軍の調達の主力を担っていたのでしょう。肥沃な土地であることは、地震に弱い地盤と崩れやすい土地が証明しています。」

なるほど、そういう見方も出来る訳ですね。納得です。

大日方氏館(小川村) (47)南端の郭は「溜池跡」らしいが、横堀の跡もあるので、水掘だった可能性がある。

現在、当館館主の大日方英雄氏は長野市に移転し、時々屋敷を訪れて手入れをしているのだという。

村の中心からも外れ、山伏が修行でもしそうな隠れ里に居館を立てたのは、やはりそれなりの意図があっての事だと思うのだが、凡庸な小生が答えを出すには経験値が不足しているようである・・・(笑)

大日方氏館(小川村) (51)

大日方英雄氏には、小川村にある城館を全て教えて頂きました。この場を借りてお礼申し上げます。


≪根古屋館≫ (ねごややかた 大日方氏館)

標高:709.3m 比高:22m
築城年代:不明
築城・居住者:大日方氏
場所:上水内郡小川村高府下末
攻城日:2013年10月14日 
お勧め度:★★★★☆  
城跡までの所要時間:-
駐車場:屋敷の駐車場借用
見どころ:
注意事項:私有地。大日方氏の許可無き訪問は絶対に不可。
参考文献:「図解山城探訪第十一集 水内資料編 宮坂武男著」
付近の城址:
Special Thanks:大日方英雄氏、ていぴす様

※今回はYahoo地図による場所の掲載は控えさせていただきます。所有者に無許可で民家の敷地に侵入するのは犯罪です。小生のブログを見てくださる方には当たり前の話で恐縮です・・・(汗)






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Posted on 2013/10/29 Tue. 21:51 [edit]

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