らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

1101

笹平城 (長野市七二会)  

◆戦乱の世を生き延びた北信濃の土豪春日氏最後の城館◆

今週末は何年かぶりに上越へ攻め込もうと思っている。

大河ドラマ「天地人」が放映されてた時に、当時の社長命令で休日を返上し毎週末に一ヶ月ほど通い詰めた記憶がある。

給料にもならず高速道路料金も燃料代も自分持ちで、挙句の果てに坂戸城では水分補給が出来ずに討死寸前の有り様だった・・(汗)

天地人09 128息絶え絶えだった坂戸城から見た六日町の景色は生涯忘れえぬ風景の一つであろうか。

山城探訪=登山なのだ、と教えていただいた社長には今でも感謝申し上げています・・
が、詳細な下調べのレポートを提出したのに、ご自身は平地の石垣を見ただけで退却とはヒドい・・・(笑)

信玄公よりも残酷な部下の使い方ですよネ・・・(汗)

今回ご紹介するのは長野市七二会の笹平城。すでに在庫が100ヶ所を超えてしまい賞味期限が切れそうだ!!

笹平城(長野市七二会) (20)場所は正源寺の北側の裏手の段丘にある。

平成の大合併により長野市は信州新町、戸隠村、鬼無里村、中条村、豊野町も吸収し巨大化したので七二会?と言われても場所が分からない方も多いと思う。

前回シリーズでお届けした大日方氏の小川村の西が旧中条村で、その隣が七二会。犀川沿いを登れば旧信州新町。山を越えれば戸隠神社へ通じる要衝の地にあり、往時は善光寺参拝と併せて北信濃でも重要な位置だったらしい。

笹平城見取図①

【立地】

陣馬平山の南の尾根が犀川に達する段丘上で、除沢が北に渓谷を削り前面に犀川を臨む要害の地である。比高はあまりないが、除沢を登った山腹には春日山城と戸屋城があり、峰の頂きには萩野城がありいずれも春日氏関連の山城である。

笹平城(長野市七二会) (7)墓所の脇を上がり金比羅宮の脇が虎口になる。

【城主・城歴】

春日氏は佐久の牧場である望月の春日郷の出自で、承久の乱の功績により鎌倉幕府から七二会の領地を宛がわれ移住し、近隣の小川庄や中条付近も領有したという。(春日氏の出自と経歴については、次回掲載予定の戸屋城で詳しく述べたいと思う)

笹平城(長野市七二会) (8)立派な虎口。往時は枡形になっていたかもしれない。

笹平城(長野市七二会) (9)虎口からみたお屋敷跡。

宮坂武男氏によれば天文二十二年(1553)頃の築城と推定されるという。当初、武田の侵略に対しては他の北信濃の豪族同様抗戦していたが、隣接する大日方氏が武田に降り、武田晴信の依頼を受けた大日方氏の勧誘工作により春日氏もようやう武田に降ったという。

笹平城(長野市七二会) (12)城跡に建つ墓碑には「春鏡源光大禅門」「宝岸妙珍大禅定尼」とあり正源寺を開基した春日右衛門満喜夫妻のものらしい。

【城跡】

背後を城山に守られ二段の郭で構成されていたようだが、耕作地や道路の開通により西側の郭はだいぶ改変を受けたようだ。

また、郭の周囲には土塁があったと推定される。

笹平城(長野市七二会) (13)「御屋敷」と伝わる郭には段差がある。

笹平城(長野市七二会) (14)北側には堀跡らしきものがあるが、埋められたのだろうか?

笹平集落は往時はこの屋敷を中心とした城下町であった事が地形や町割りからも伺う事が出来る。

笹平城(長野市七二会) (16)対岸に見える須立之城。

犀川の東側の対岸は篠ノ井山布施で平林氏の領地だ。ここからは上尾城の支城である須立之城(すだてのじょう)が良く見える。(須立之城も近々アップしないとマズイなあ・・・汗)

戦国時代に名を馳せた南信濃の土豪は、武田氏滅亡後の天正壬午の乱の煽りを食らい徳川家康の策略にも翻弄され生き延びたのはホンの一握りであり、下伊那は松尾小笠原家のみという有り様だった。

比較するべき話ではないと思うが、北信濃の土豪は主を変え時には身内で敵味方に分かれ、あるいは帰農し生き残った一族が多い。

義に厚い上杉さんは譜代の家臣が少なかったので北信濃の土豪を大事にした。家康くんは譜代の家臣がいたので定員割れの補充は信濃武士を派遣で採用し、充足出来れば容赦なく切り捨てた。この違いであろうか・・(汗)

笹平城(長野市七二会) (18)正源寺。この屋根の曲線は芸術作品だと思っている。日本の宮大工は凄い!

春日氏も武田氏滅亡後は上杉景勝に従うものと小笠原貞慶に従うものと分かれたらしい。

上杉景勝の会津転封に伴いその家臣となっていた春日氏も笹平を離れたので、笹平城は廃城となったという。

笹平城(長野市七二会) (2)篠ノ井山布施の粒良田公民館からの風景。

≪笹平城≫ (ささだいらじょう 篠平城)

標高:430m 比高:15m
築城年代:不明
築城・居住者:春日氏
場所:長野市七二会笹平
攻城日:2013年9月22日 
お勧め度:★★☆☆☆  
城跡までの所要時間:5分
駐車場:正源寺の駐車場借用
見どころ:切岸、石碑
注意事項:耕作地なので荒らさないように。
参考文献:「信濃の山城と館➋更埴・長野編 宮坂武男著」
付近の城址:春日山城、戸屋城、須立之城など





スポンサーサイト

Posted on 2013/11/01 Fri. 19:25 [edit]

CM: 2
TB: 0

« 上越市城郭ツアーのご報告  |  根古屋館 (上水内郡小川村高府) »

コメント

住むにはいい場所です。

川と谷と山に囲まれた台地で、いい場所にあるもんです。
今は畑だけど、宅地にしても景色も日当たりも良いですなあ。
春日さん 、この一族も波乱に満ちていますね。
やはり故郷は佐久の春日城付近なんでしょうか。
小学校の時に春日君いたけど、帰農した子孫かもね。

あおれんじゃあ #- | URL | 2013/11/02 18:32 * edit *

Re:あおれんじゃあ様へ

自給自足が基本の生活スタイルなら、旧中条村も小川村もそして七二会も申し分無い物件です。
山を越えれば戸隠の神様がいるし、沢を下れば善光寺如来が拝めますもの・・。

春日さん、鎌倉時代に名を馳せたものの、南朝方としては大文字一揆以降もパッとしませんでしたネ。
それでも佐久出身の北信濃の小豪族として家名を残したのは軌跡です。

そういえば望月の春日城をアップするのを忘れて早四年・・(汗)
もう一度ちゃんと取材して写真も撮り直さないと今さら掲載出来ないナー・・・(笑)

らんまる #- | URL | 2013/11/02 19:08 * edit *
コメントの投稿
Secret

トラックバック
トラックバックURL
→http://ranmaru99.blog83.fc2.com/tb.php/517-d28b8ec5
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

城主からのご挨拶

地域別攻城戦記

諸国在住の皆さまのありがたき進言

もののふ入城者数

在城中の「もののふ」

攻城戦記年表

▲Page top