らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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春日山城 (長野市七二会御射山)  

◆春日郷の中心ではあるが要害とは言い難い物見台◆

この回でテキトーに(?)に春日氏を卒業しないと大日方氏のようにドツボにハマる。

小豪族の歴史を紐解くのは嫌いではないが、攻め落とした城の在庫処分を急がないと記事の鮮度が色褪せてしまうのだ・・(汗)

食材の産地偽装の謝罪問題は酷過ぎるが、その料理を喰らって死んだヤツはいない。それより一億総タカリユスリで食べてもいない料理の返還請求を危惧している・・(怒)日本人の良心の呵責とやらは崩壊するのだろうか?

経営者の皆さま、嘘をつくなら墓場まで持って行けよ!(笑)

んで、今回のご紹介は春日氏の最終章「春日山城」でございますw

春日山城(長野市七二会) (1)ここも城跡入り口まで車で横付け出来るのが凄い!&とっても嬉しい。

【立地】

戸屋城から沢を挟んだ南西800mに位置し、春日郷を一望出来る中心地にありロケーションは申し分ない。その代わり要害性は低いので、戦国時代に戸屋城を築いて移転したのは案外的を得ているようにも思う。

春日山城見取図①

一説によれば、春日氏は越後の春日山からこの地に土着したというのだが、根拠や裏付けもなく怪しい(笑)

春日山城(長野市七二会) (5)城跡は現在春日山公園となり春日神社が鎮座している。入り口まで車で登れるので助かります。

【城主・城歴】

小川庄の地頭となった春日氏は当初この地に住んだというが裏付ける史料などなく、この地に城があったといわれても「そうなんですかねえ~」と懐疑的な答えしか出来ないのが現地を見た感想である。

ただ、南北朝の争乱が終わり、義満さんの威厳が行き届いた時代には戦闘用の要害など必要無かったと思われ、居館を置くには優良物件であっただろう・・(笑)

春日山城(長野市七二会) (3)東へ張り出した「広場」。往時の郭だったと思われる。

春日山城(長野市七二会) (8)神社の参道周辺も削平地になっているが、どこまでが往時のものか判別できない。

城跡に神社を勧進する例は多く、隣接する小川村の古山城の郭も天満宮になっているので、否定している訳ではない。

春日山城(長野市七二会) (9)舞台を備える神社なので格式の高さが伺える。

そうは云っても、風雲急を告げる戦国時代に突入し何時までも桃源郷でいられる訳もなかったのであろう。

春日氏は防御に不安なこの地から沢を挟んだ東峯に戸屋城を築き侵入者に備えたという。

春日山城(長野市七二会) (11)城域から東方面。小田切氏との境にある吉窪城と小田切氏の城館のあった小市集落を臨む。

春日氏は戸屋城に本拠を移した後の宝徳年間に春日山に神社を勧進して灯篭を寄進したという。室町幕府は第八代将軍足利義政の時代であり、政治に疎く義満を真似て銀閣寺を建立した風流を愛する人物であるが、応仁の乱のキッカケとなっている。

春日山城(長野市七二会) (15)春日氏が寄進したとの伝承がある灯篭が神社の外れに佇んでいる。

春日山城(長野市七二会) (16)春日山神社。

一概には言えないものの、神社仏閣を郭や城館後と看做す場合は社殿の背後に土塁があるケースが多いが、春日山神社の背後には何も無い。その代わりに入り口の南側に強固な土塁が認められる。

春日山城(長野市七二会) (17)ピンボケしているが、木花咲耶比売命の碑のある場所は土塁であろう。

※木花咲耶比売命(コノハナサクヤヒメ)とは日本神話に登場する女神で、神武天皇の祖母らしい。そろそろ古事記を勉強しないとヤバいかもしれない・・(汗)

春日山城(長野市七二会) (21)

この神社に城跡の匂いを感じる事は無かったが、日当たり良好で最寄の地蔵峠を越えれば戸隠神社に通じる優良物件である。戦国時代に突入する前の室町時代には「買うなら、今でしょ!」の優良物件だったと思われます。

≪春日山城≫ (かすがやまじょう 御射山)

標高:756m 比高:35m
築城年代:不明
築城・居住者:春日氏
場所:長野市七二会御射山
攻城日:2013年9月22日 
お勧め度:★★☆☆☆  
城跡までの所要時間:5分
駐車場:入り口手前に路駐。
見どころ:切岸、土塁など
注意事項:特に無し
参考文献:「信濃の山城と館➋更埴・長野編 宮坂武男著」
付近の城址:戸屋城、笹平城、萩野城など

春日山城(長野市七二会) (25)西には特異な形の虫倉山があり尾根上には柏鉢城が見える。甲越合戦における武田軍の需要拠点であった。







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Posted on 2013/11/06 Wed. 21:24 [edit]

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コメント

景色が最高でした

城としては懐疑的な物件です。
防御設備はないに等しいです。
平和な時代なら、山の上でもあるし、これで十分だったのでしょう。

しかし、ここから見た北アルプス方面の風景、絶景でした。感動ものです。
東の善光寺平方面も。

こんなところで老後の隠居もいいなあ・・・
ちと、買い物などは不便でしょうけど。
まあ、車があれば。

あおれんじゃあ #- | URL | 2013/11/06 21:49 * edit *

Re:あおれんじゃあ様へ

夏の避暑地としては最高のロケーション。戸隠神社も善光寺も近いので優良物件です。
冬の降雪時は恐ろしい・・4WDの車でもチョッと手ごわそうな道路です。(まあ、雪降ったら引きこもりですね)

甲越合戦の頃にここが一時期最前線だったとは信じ難い長閑な山村でございます。

らんまる #- | URL | 2013/11/07 07:15 * edit *

なるほど

お疲れ様です
春日山城初めて見ました。
なるほど。。。。。古い時代の居館的なものだったんですね。
春日氏って佐久の春日氏とは関係があるんでしょうかね。
小土豪の歴史を調べるのは難しいものですね。

ていぴす #- | URL | 2013/11/08 15:19 * edit *

Re:ていぴす様へ

香坂氏、春日氏、小田切氏はいずれも佐久出身で、香坂氏は伊那にも分族が進出しています。
甲越合戦で葛山城の城将落合氏を支援し籠城した小田切氏が最も有名のようですが、落城と共に討死してしまい、子孫もパッとしなかったようです。

春日氏は分族である春日貞幸がこの地にいた事が文献により確認出来ますが、佐久の春日宗家は望月氏により滅ぼされ望月系の春日氏になったと云われます(元を辿れば一緒だと思うのですが・・)
上杉景勝の会津転封後は、直江兼続の右腕として活躍した一族なので、武士と云うよりは文官としての才能が秀でていたのでしょうネ(笑)

らんまる #- | URL | 2013/11/08 21:01 * edit *
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