らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~
「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。
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金剛寺 白山城(上田市住吉) 
◆米山城の里「金剛寺」集落の史跡②◆
今年もまだ四日間あるので、個人的な山城納めはギリギリまでわかんない・・(笑)
山がダメなら平地の城館攻めで数量稼ぎという姑息な手段もありかと・・(汗)

あごばんらーめん(上田市中丸子)「濃厚あごらーめん750円」魚介系とんこつは評価が分かれるがレベルは高いと思う。替え玉注文までは出来なかったが、どんぶりの汁は久々に飲み干した。戦闘能力の高さは素晴らしい。
んで、今回は特集の続きで「白山城(しらやまじょう)」のご紹介。
【白山城】
金剛寺の洞源寺の裏山の白山(しらやま)地籍に存在した城だというがハッキリしない。墓地跡から尾根を伝う道がかすかにあり、途中何ヵ所かの削平地らしき場所になるが、堀切や切岸といった軍事構築物の遺構も無い。

八ヶ所の城跡記号のある金剛寺マップ。記号を見ただけで突撃ラッパの鳴り響く諸氏もいるだろう・・(笑)
辛口の批評で申し訳ないが、ここに砦を置く必要は西山城砦群同様に無いと思うのである。
この尾根から東太郎山の稜線に道があるなら警戒する必要もありそうだが、地形からも無理があるように思う。

この尾根を登ると、推定跡地に到達する。
地元の方の作成したウォーキングマップには「白山城685m」と記載されているので、その場所までとりあえず宮坂氏と同様に登ってみた。
神に見つけられないものを、凡人が探し当てるはずも無いのだが・・・・(笑)

西側には海野氏の開基とされる洞源寺(どうげんじ)がある。村上氏の統治時代は廃寺にされたがその後復興したようだ。
この趣味には常に「神社(或いは祠)」「お寺」「お墓」の「三種の神器」がつきまとう・・(汗)
最近は誰も訪れない荒れた墓地を多く見かけるようになった。その昔は村祭りも行われただろう神社や祠も朽ち果てて放置されているケースもある。嘆かわしいが、「限界集落」の現実がそこにある。

ご多聞に漏れず斜面には墓地がある。

地図に落とすとこんな感じ。

墓地上にある曲輪(?)

さらに尾根上を進むと白山(しらやま)という地名の平場に出るが、城や砦だという痕跡など何も無い。
堀切じゃなくともせめて「土塁」とか「段郭」があれば証拠になりそうなのだが、緩い稜線を奥へ奥へと進む。

白山社跡。
上記の場所が標高685mの白山城跡のようだ。意図的な段差があるが神社のものか砦の遺構かは判別出来ない。
人工的な削平地っぽい平場もあるが、何とも言えない。

城址の遺構と見るには無理がある段差(境界線)

人工的な加工の跡とも見れるが、ビミョーだ(笑)

この尾根に堀切を穿つと伝承は「白山城」という史跡になるのだ・・しかしそれは「捏造」というルール違反に他ならない・・(汗)
大正時代までこの場所で白山社としての儀式が行われていたようなので、全てを否定することも出来ない。
海野氏領有時代に物見または集落全体の監視砦が置かれたかもしれない。

白山城からみた南方面。
何のカケラも無い砦の探索だったが、時々神様は「この趣味を持つものにしか理解できない」ご褒美をくれる。
この尾根の東側の柏山城上の城の全体がここから良く見渡せるのだ。

ズーム5倍で柏山城上の城。背後の切岸と堀切まで透けて見えるようだ。
宮坂武男氏が今年の春先に金剛寺を訪問したのは、恐らく地元の「戸石米山城保存会」の要請があっての事かもしれない。(あくまでも推定である)
郷土愛とは、時に神をも動かす重要なファクターになるらしい。

宮坂氏が撮影し本に掲載した祠を小生も撮影してみました(笑)
≪金剛寺 白山城≫ (こんごうじ しらやまじょう)
標高:685m 比高:60m
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:上田市住吉
攻城日:2013年12月22日
お勧め度:★☆☆☆☆
城跡までの所要時間:15分 駐車場:金剛寺公民館借用
見どころ:特に無し
注意事項:西側の稜線沿いに有刺鉄線があるので気を付ける事。
参考文献:「信濃の山城と館⑧水内・高井・補遺編 宮坂武男著」
付近の城址:柏山城(上・下)、西山城、福沢出丸、城代屋敷、戸石城、米山城、長島堀の内など

戸石城から見た白山城とその周辺。
今年もまだ四日間あるので、個人的な山城納めはギリギリまでわかんない・・(笑)
山がダメなら平地の城館攻めで数量稼ぎという姑息な手段もありかと・・(汗)

あごばんらーめん(上田市中丸子)「濃厚あごらーめん750円」魚介系とんこつは評価が分かれるがレベルは高いと思う。替え玉注文までは出来なかったが、どんぶりの汁は久々に飲み干した。戦闘能力の高さは素晴らしい。
んで、今回は特集の続きで「白山城(しらやまじょう)」のご紹介。
【白山城】
金剛寺の洞源寺の裏山の白山(しらやま)地籍に存在した城だというがハッキリしない。墓地跡から尾根を伝う道がかすかにあり、途中何ヵ所かの削平地らしき場所になるが、堀切や切岸といった軍事構築物の遺構も無い。

八ヶ所の城跡記号のある金剛寺マップ。記号を見ただけで突撃ラッパの鳴り響く諸氏もいるだろう・・(笑)
辛口の批評で申し訳ないが、ここに砦を置く必要は西山城砦群同様に無いと思うのである。
この尾根から東太郎山の稜線に道があるなら警戒する必要もありそうだが、地形からも無理があるように思う。

この尾根を登ると、推定跡地に到達する。
地元の方の作成したウォーキングマップには「白山城685m」と記載されているので、その場所までとりあえず宮坂氏と同様に登ってみた。
神に見つけられないものを、凡人が探し当てるはずも無いのだが・・・・(笑)

西側には海野氏の開基とされる洞源寺(どうげんじ)がある。村上氏の統治時代は廃寺にされたがその後復興したようだ。
この趣味には常に「神社(或いは祠)」「お寺」「お墓」の「三種の神器」がつきまとう・・(汗)
最近は誰も訪れない荒れた墓地を多く見かけるようになった。その昔は村祭りも行われただろう神社や祠も朽ち果てて放置されているケースもある。嘆かわしいが、「限界集落」の現実がそこにある。

ご多聞に漏れず斜面には墓地がある。

地図に落とすとこんな感じ。

墓地上にある曲輪(?)

さらに尾根上を進むと白山(しらやま)という地名の平場に出るが、城や砦だという痕跡など何も無い。
堀切じゃなくともせめて「土塁」とか「段郭」があれば証拠になりそうなのだが、緩い稜線を奥へ奥へと進む。

白山社跡。
上記の場所が標高685mの白山城跡のようだ。意図的な段差があるが神社のものか砦の遺構かは判別出来ない。
人工的な削平地っぽい平場もあるが、何とも言えない。

城址の遺構と見るには無理がある段差(境界線)

人工的な加工の跡とも見れるが、ビミョーだ(笑)

この尾根に堀切を穿つと伝承は「白山城」という史跡になるのだ・・しかしそれは「捏造」というルール違反に他ならない・・(汗)
大正時代までこの場所で白山社としての儀式が行われていたようなので、全てを否定することも出来ない。
海野氏領有時代に物見または集落全体の監視砦が置かれたかもしれない。

白山城からみた南方面。
何のカケラも無い砦の探索だったが、時々神様は「この趣味を持つものにしか理解できない」ご褒美をくれる。
この尾根の東側の柏山城上の城の全体がここから良く見渡せるのだ。

ズーム5倍で柏山城上の城。背後の切岸と堀切まで透けて見えるようだ。
宮坂武男氏が今年の春先に金剛寺を訪問したのは、恐らく地元の「戸石米山城保存会」の要請があっての事かもしれない。(あくまでも推定である)
郷土愛とは、時に神をも動かす重要なファクターになるらしい。

宮坂氏が撮影し本に掲載した祠を小生も撮影してみました(笑)
≪金剛寺 白山城≫ (こんごうじ しらやまじょう)
標高:685m 比高:60m
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:上田市住吉
攻城日:2013年12月22日
お勧め度:★☆☆☆☆
城跡までの所要時間:15分 駐車場:金剛寺公民館借用
見どころ:特に無し
注意事項:西側の稜線沿いに有刺鉄線があるので気を付ける事。
参考文献:「信濃の山城と館⑧水内・高井・補遺編 宮坂武男著」
付近の城址:柏山城(上・下)、西山城、福沢出丸、城代屋敷、戸石城、米山城、長島堀の内など

戸石城から見た白山城とその周辺。
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Posted on 2013/12/27 Fri. 21:59 [edit]
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