らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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金剛寺 城代屋敷・高土手・向ヒ屋敷見張番所  

◆米山城の里「金剛寺」集落の史跡 最終回◆

年末感謝祭の「金剛寺シリーズ」は残念ながら今回で最終回である。

特に「戸石米山城保存会」の方々から協賛いただいた訳でもないが上田を想う「郷土愛」に感謝したい。

戸石城2013 (15)
戸石城から見た真田の里。

【金剛寺 城代屋敷】

天文10年(1541)の海野平合戦でこの地域が村上氏の支配下になると、海野氏や真田氏の築いた物見砦を改修または新たに広げて現在の戸石城の基本が完成したものと思われる。
城の大手口に当たる金剛寺集落には、村上氏の城代屋敷が作られ現在も地名として残っている。

宮坂武男氏の調査によれば、城代屋敷地として推定されるのは二通りの説があるという。

金剛寺城代屋敷図①

●1の説
・南からの大手道が屋敷地部分で突き当っている
・敷地西側が「西の小路」と呼ばれていた
・東は戸石城への大手に当たり、西は西山物見砦に登る道がある
・城代屋敷の地名は1を指し2は上手村という地名
・城代だったと伝わる石井氏の墓が敷地内にあった(現在は米山城に移転されている)

金剛寺集落 (34)
城代屋敷1の100m南に土塁跡がある。

金剛寺集落 (1)
屋敷の東から戸石城への大手に繋がる道。

金剛寺集落 (5)
村上時代の戸石城は西側が大手だったらしいが。

※「城代屋敷1」は現在民家が多くプライバシーに配慮し撮影は遠慮しました・・(汗)

●2の説
・薬師堂跡から北側にかけてL字の土塁跡になっている。
・矢出沢から用水を引き入れている
・まとまりのある方形をしている

金剛寺集落 (17)
松代道と分岐する左側一帯

金剛寺集落 (35)
薬師堂跡は屋敷西側の防御土塁の跡だという

金剛寺集落 (40)
明治時代に焼失したという玉蔵寺の跡。中世以前に建立されたというお寺の跡地も屋敷に入る?

まあ、どっちにしても巨大過ぎるので実際はもう少しコンパクトだったように思う・・・。

真田氏が上田城に本拠を移した後も、戸石城は支城として機能していたので真田統治時代にも引き続き城代屋敷が置かれていたという。

金剛寺周辺史跡図


【高土手】

東條健代神社の北方250mの場所が「高土手」と言われていて、約60年前に果樹園造成の際に壊されたという。
現在、その場所には何も無い・・(汗)
高さ約2m程度の土塁で、金剛寺集落の南城戸として機能していたという伝承があるらしい。

金剛寺集落 (28)
高土手は写真の家の手前にあったという


【向ヒ屋敷見張番所】

金剛寺集落の南端で米山城の南西麓に見張番所と呼ばれる伝承地がある。伊勢山集落へ通じる道沿いの監視小屋だったのだろうか。米山城の入り口にも当たる場所なので番所のような小屋があったのかもしれない。

金剛寺集落 (14)
最近「義清街道」と命名されたらしい道路の途中にある。

金剛寺集落 (13)
説明板と石柱まで設置してある!!スゴイ。

このあたりは「むかひやしき(向ヒ屋敷または向屋敷)」と呼ばれているので城に関する構築物があったのだろう。
見張番所があった場所は周囲を石垣で囲まれた敷地になっているが、往時のものとは判断が出来ない。
金剛寺集落の入り口にあたるので、或いは口留番所が置かれたのかもしれない。

金剛寺集落 (15)
微妙な配列の石垣。

金剛寺集落 (16)
石垣の上段は「むかひやしき墓地」がある。墓地の土留めで石垣が組まれた可能性もある。


【義清水】(又は義清井戸)おまけでアップ

かつては村上井戸と呼ばれ、米山城・砥石城を守る村上の兵士の水の手だったと伝わり、後に村上義清の名を付けて「義清水」と呼ばれた。
集落にはかつて九ヶ所共同の井戸があったというが、上水道の普及により現在はこの一か所のみが残ったという。

金剛寺集落 (32)

金剛寺集落 (30)


さて、四回に渡ってお送りしました「信州の一乗谷だった金剛寺シリーズ」、如何でしたでしょうか?

そこには強烈な「郷土愛」があり、ふるさとへの熱烈な「誇り」があります。

少子高齢化の波は、住みなれた先祖代々の土地を捨て便利な都市部に集中する現象を生み出し、先祖に申し訳ないと思い不便な山村に住み続ける人々は「限界集落」という未来の見えない不安に苛まれる。

ふるさとの歴史・文化・生活様式、慣習、言い伝え・・・誰かが伝えていかなければ消えてしまいます。

私たちも金剛寺集落の皆さんのように、「ふるさととキチンと向かい合う」姿勢を見習うべきではないか?

そんな事を感じました。

金剛寺ガイドマップ

戸石城・米山城を訪問する際は金剛寺集落にも是非お立ち寄り下さいませ。


≪金剛寺城代屋敷・高土手・向ヒ屋敷見張番所≫

標高: 
築城年代:
築城・居住者:
場所:上田市住吉
攻城日:2013年12月22日 
お勧め度:★☆☆☆☆
史跡までの所要時間:-分 駐車場:金剛寺公民館借用
見どころ:特に無し
注意事項:住宅地の撮影はプライバシーに注意
参考文献:「信濃の山城と館⑧水内・高井・補遺編 宮坂武男著」
付近の城址:柏山城(上・下)、西山城、城代屋敷、戸石城、米山城、長島堀の内など

金剛寺ガイドマップ2



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Posted on 2013/12/29 Sun. 22:00 [edit]

CM: 4
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コメント

良いお年を

らんまる様 お邪魔します。

 山城ばかりが注目されますが、こういった居館も史跡として重要ですよね。

 日常の経済活動の拠点であり、警察機関のようなものでもあったわけですけら。

 街道と居館、そして山城との位置関係を押さえていくと、新たに見えてくるものが
あると思われます。

 さて、今年もお世話になり、誠にありがとうございました。

 今後の一層のご活躍をお祈り申し上げます。

 良いお年を! 善きお城ライフを!

武蔵の五遁 #- | URL | 2013/12/31 08:10 * edit *

「金剛寺」集落

らんまるさま、ご無沙汰しております。
「金剛寺」集落シリーズ、大変興味深く拝見しておりました。
すばらしい里村ですね、ぜひゆっくりと散策したいものです。
最近は、こういった村、廃村、廃屋に、なんともいわれない魅力を感じております。
歴史がそこにはあると思います。

来年も記事を楽しみにしております。お互い健康だけには気をつけて、平穏な一年にしたいですねv-7

マサハレ #- | URL | 2013/12/31 08:26 * edit *

Re:武蔵の五遁様へ

ご丁寧にありがとうございます。
金剛寺集落の方々には「信濃における一乗谷」の認知を目指して頑張って欲しいですね。

さて、通年キャッスラーの貴殿の真似をしてみた一年間ですが方向が定まらずに終わりました・・(汗)
山梨や新潟にもチョッカイを出しては退却する有り様。真面目に信濃を攻めろって事でしょうかねえ(笑)

色々とお世話になりました。
来年は旨い蕎麦屋を見つけたいと思いますので、その節は是非信濃へお越し下さいませ!
良いお年をお迎え下さい。

らんまる #- | URL | 2013/12/31 09:56 * edit *

Re: マサハレ様へ

コメントありがとうございます。

伝承が史実であるか無いかは別として、金剛寺集落のようなこういった地域の活動には頭が下がります。
「限界集落」という表現は嫌いですが、残念ながら長野県のあちらこちらでは現実として受け入れざるを得ません。朽ち果てた神社、誰も来なくなった墓地、倒壊して直す人も無き石仏や社・・。
そこに嘗て人々の暮らしが息づいていた事を誰かが記録していかねば忘れられてしまいます。
そんな記録も兼ねて城址巡りをしたいと思っています。

マサハレ様もどうかお体をご自愛頂き、素敵な1年を過ごされる事を願っております。

らんまる #- | URL | 2013/12/31 10:05 * edit *
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