らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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御馬寄城 (佐久市御馬寄)  

◆千曲川の渡河地点の監視小屋か?◆

某国営放送局の大河ドラマ「軍師官兵衛」が始まった。

映画マトリクスのような冒頭のシーンには苦笑し、キアヌリーブスが主演した「47RONIN」が苦戦を強いられているので、国営放送にしては趣味が悪いなあーと思った次第・・・(爆)

だいたいねえ、戦国時代に「軍師」なんて職業も地位もありませんよ。才能があれば自分で天下を取るにきまってます(笑)

北国街道街並み①
北国街道上田の柳町(旧町名)。奥の山は市民の山として親しまれている太郎山(たろうやま)

なので敢えて軍師を解説するとしたら軍隊で云うところの「作戦参謀」であり、軍事行動における戦略を具体化して戦術に落とし込む役割を担った方です。

最終決裁者は戦国武将なのですが、それにしても竹中直人の老害「秀吉」には閉口した・・・(怒)。

ボヤっキーはそれぐらいにして、今回紹介するのは千曲川沿いにある「御馬寄城(みまよせじょう)」

御馬寄城(佐久市) (11)
南西方面から撮影。道路の開通により千曲川に接する部分が消滅したようだ。

【立地】

千曲川左岸の川渕の台地上にある。対岸1kmの東側に駒形城、北1kmに耳取城、南へ2kmで岩尾城がある。
南側を中仙道が整備されたのは江戸時代に入ってからの事だが、中世時代も交通の要衝であったと思われる。

御馬寄城(佐久市) (2)
城跡は民家になっていて遺構らしいものは無い。

【城歴】

長野県町村誌の御馬寄村のところに記載されている「古城址」がこれで、東西に堀もあったようだ。牧監居館址ならんか?と推定されているので、地名からも牧場絡みとみてもよさそうだ。
望月の牧の東出口にあたるので、望月氏関連の一族が監視小屋を置いていた可能性もあろうか。

御馬寄城(佐久市) (4)
西側の通路は堀切だったと思われる。(もちろん石垣は最近の造作)

それにしても「村史跡」である。民家なので説明板等を立てるのは無理だとしてもこんなに改変して良いのだろうか?
旧浅科村(あさしなむら)が佐久市に合併したので関係無くなったの?(汗)

御馬寄城(佐久市) (9)
消滅した東側部分。恐らく堀切も存在していたと思われる。

この場所に監視砦を置く意味はいつの時代を指しているのだろうか。

場所は耳取大井氏との境目であり、高台から見える景色は北~東側に向けられている。往時の千曲川の様子は分からないが、渡河地点だった可能性もある。
滋野系望月氏の最大版図がこのあたりまで及んでいたと考えると、佐久方面に侵入を繰り返していた武田軍に対しての監視砦としてみるべきであろうか。
その場合、八幡(浅科)の矢嶋氏との関連も考慮すべき点になるがハッキリしない。

御馬寄城(佐久市) (10)
生活道路は仕方ないが、事前に発掘調査出来なかったのだろうか。

≪御馬寄城≫ (みまよせじょう)

標高:635m 比高:25m(千曲川より)  
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:佐久市御馬寄
攻城日:2014年1月4日 
お勧め度:★☆☆☆☆
城跡までの所要時間:-分 駐車場:適当に路駐。
見どころ:堀跡?
注意事項:私有地につき内部への無断立ち入りは不可
参考文献:「信濃の山城と館①佐久編 宮坂武男著」
付近の城址:駒形城、矢嶋城、岩尾城、五霊城、耳取城など

御馬寄城(佐久市) (7)
城址の北を新幹線が通る。東方面への見張り場所としては文句ない立地。

しかし、正月早々、取るに足らない遺構も無い砦付近を調査している小生・・今年も大丈夫か?(笑)

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Posted on 2014/01/12 Sun. 09:38 [edit]

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