らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

0202

名子城 (下伊那郡松川町)  

◆戦乱に見切りをつけ帰農した名子氏の英断◆

「毎月の初日ぐらいは、記事アップせんかい!」お叱りはご尤もである・・(汗)

しかし、松岡城クラスになると城のデカさと思い入れが比例して記事の量が膨大になるので丸一日かけての製作になる。

次の記事を書くためのストレス解消は当然城館巡りである(笑)

昨日は南信濃へ遠征。

「二月朔日、卯ノ刻ニ出立ナサレ下伊那ノコオリ高森、松川周辺ノ十四バカリノ城ヲ攻メ取リ オオクノ首ヲ討チ取ルトイヘドモ 酉ノ刻ニハ肉体疲労寺ノ館ニモドラレ休息」と「らんまる肉体疲労寺記」にも記載があるという・・・(爆)

今回ご紹介するのは十四ヶ所の城館攻めの最初だった名子城(なごじょう)。

名子城 (20)
城跡から天竜川(東)方面。眼下に旧名子の集落(元大島)と右下には名子氏館址。対岸には福与城が霞んで見える。(※箕輪の福与城と同じ名前だがかなり小さな物見砦)

【立地】

北を流れる唐沢川、南を流れる大名川に挟まれ天然の堀を形成する河岸段丘上に築かれた城で東側は崖状となっている。天竜川方面を一望に出来る要害の地である。

名子城 (49)
松川町老人福祉センターとその隣の城山公園が城跡。福祉センターに駐車場があるので横付けでOKだ。

【城主・城歴】

南信濃源氏の片切氏の分流である名子氏の築城とされる。
名子氏は鎌倉幕府の御家人として活躍し、鎌倉幕府滅亡後は小笠原氏に属し大塔合戦や結城合戦にも出陣。やがて大島氏の家臣となるが、その後武田軍の侵略により武田氏に軍門に下る。
甲州征伐の際に名子城も織田軍に攻められ落城したという。その後名子氏十四代為忠の時に帰農したという。

名子城見取図①

【城跡】

●本郭
東西70m、南北29mの台形で周囲を土塁が囲み、堀切を隔てた郭2(老人福祉センター)に接する西側は3mの高さになる。東側の台形の底辺部分は横堀のような段差を施し崖からの侵入に備えたものであろうか。
鳥居のある開口部は後世のもので、本来の虎口は大名川の沢から登った南側だと考えられる。

名子城 (8)
稲荷社の社殿と西側背後の高土塁。

名子城 (11)
東側の大鳥居。朝日が幻想的な雰囲気の写真をもたらす事もある(笑)

名子城 (12)
南側に開口する虎口

名子城 (19)
三方堅固なので東方面に備えたらしい。段差を付けて戦闘時の武者溜りとすれば郭の下部を効率的に利用出来る。

名子城 (32)
一瞬「横堀か?」と間違えそうな段差。この城の見どころだと思うのだが。

名子城 (34)
北側からみた主郭。

●主郭周辺の武者走り(腰郭)と堀切

主郭の周囲には全周するように武者走りが置かれ、二の郭との間には唯一堀切がある。南北は天然の水堀で沢の傾斜もキツイ。

名子城 (38)
北側の腰郭はそのまま堀切に連接している。

名子城 (40)
北から撮影した堀切。腰郭の延長のようで深さも無い。福祉センター側に土塁があったとすれば堀じゃなくてもいいかも。

名子城 (43)
東西100m巾6mの腰郭。沢に向けて逆茂木の柵か木塀が建てられていたと思える。

名子城 (41)
唐沢川に向けた竪掘址。

名子城 (47)
大名川に向けた竪掘址。

名子城 (30)
腰郭の東隅は防御の土塁が付けられ出丸のようだ。

名子城 (26)
東斜面の躑躅(?)植え込みの意味は後で知ってびっくり(汗)

●副郭

現在の老人福祉センターと隣接する小運動場、雑草生い茂る民家(空き家)は地形から推定すると郭だったようだ。
ただ、改変著しいのでどの程度のもので、周囲の土塁の有無や西の台地に続く先端の処理は分からない。

名子城 (51)
小運動場。

名子城 (53)
老人福祉センターと駐車場。改変される前が知りたい。


戦乱の世を生き抜いた名族名子氏も北信濃の大日方氏同様に「帰農」という判断を下した。

それが正しかったのかは後裔が現在も続いていることが証明している。

帰農というと士農工商の身分制度が定着した江戸時代における農民の身分を思い起こすが、近世初期の帰農とは商取引も兼業する大富豪の資産家であり武器を捨てただけの身分であろうか。

迷走しながら結局は取り潰しになった伊那の豪族の命運を鑑みれば、そういう生き方の選択もまた然りである。

名子城 (55)
なるほど、東の斜面の植え込みは「城山」って書いた文字だったんですねえ・・スゴっ!(笑)

≪名子城≫ (なごじょう 城山)

標高:599m 比高:50m
築城年代:不明
築城・居住者:名子氏
場所:下伊那郡松川町堤原
攻城日:2014年2月1日 
お勧め度:★★☆☆☆
城跡までの所要時間:- 駐車場:有り
見どころ:全周する現存土塁
注意事項:お年寄りは労わりましょう
参考文献:「信濃の山城と館⑥諏訪・下伊那編 宮坂武男著」
付近の城址:大島城、沼ノ城、福与城、北の城、南方の城、原ノ城など

名子城 (29)
大島城も指呼の先に見える。


↑ちゃんと城山って見えますよね。


スポンサーサイト

Posted on 2014/02/02 Sun. 12:59 [edit]

CM: 2
TB: 0

« 吉田古城・吉田本城 (下伊那郡高森町吉田)  |  松岡城 (下伊那郡高森町下市田) »

コメント

PC復活しました

疲れ様です。
14城もの城攻めさすがでございます。
名子城も久しぶりに見ましたが、根小屋式の城の典型ではないでしょうか。
この城と名子館の間に古城という城館遺構があるらしいので周辺に一族などを配した
のでしょうね。また、高森の原ン城と沢を挟んで対峙している支城もあり結構な勢力を
もっていたようですね。
でも詰城としてはちょっと頼りないかな~。

ていぴす #- | URL | 2014/02/03 23:50 * edit *

Re: ていぴす様へ

貴殿のご案内で昨年訪問したはずが、やはり慣れぬ土地での攻城戦は難儀でございました(笑)
挙句の果てにリストに入っていた南方の城や南方の城山城をすっ飛ばしてしまい、気がついたらタイムアウト(汗)

地元の土豪同士の抗争なら兵隊も少ないのでこんな程度の砦で充分でしょうね。
甲府から遠征してきた大親分さんから見たらゴミだったかも?
飯田周辺は崖淵城ばっかりなんですが、逆に新鮮でしたよ・・(爆)
貴殿のオハコの伊那谷地方ですが、しばらくの間記事にしますんで宜しくお願いしますw

らんまる #- | URL | 2014/02/04 07:23 * edit *
コメントの投稿
Secret

トラックバック
トラックバックURL
→http://ranmaru99.blog83.fc2.com/tb.php/558-204a6b10
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

城主からのご挨拶

地域別攻城戦記

諸国在住の皆さまのありがたき進言

もののふ入城者数

在城中の「もののふ」

攻城戦記年表

▲Page top