らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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山吹城 (下伊那郡高森町山吹)  

◆江戸時代に陣屋として再利用された城◆

昨日は終日雪カキに追われる。全身筋肉痛なのは仕方ないが、幹線道路も除雪が追いつかずあちらこちらで車がスタックしていた。ってか、こんな日に車なんか乗り出すなよ!(怒)

飯田市も観測史上初めての降雪量81cm(驚!)となり、この日ばかりは豪雪地帯の飯山市と選手交代のようである。
まあ、甲府の躑躅ヶ崎の館も100cm越えで120年間の新記録らしいので、さぞかし信玄公も驚いているに違いない。

今回ご紹介するのは座光寺氏の陣屋として270年間現役であり続けた山吹城。

山吹城 (1)
陣屋時代の大手道には石垣が残っている。

【立地】

天竜川の右岸の河岸段丘上に立地し、田沢川の谷口の岬状に突き出た部分を利用しこれを堀で区画し築城されている。

山吹城見取図①

※現在の城跡(陣屋跡)は完全に個人の私有地であり、今回は取材の許可も得ていませんので周辺の状況のみお伝えします。往時の雰囲気が伝われば幸いです。


【城主・城歴】

坐光寺氏が陣屋を置く前は松岡城の支城として山吹氏が築城したようだが詳細は不明。

坐光寺氏は平安時代の鎮西八郎為朝の末流という説と、上伊那片切氏の末流という説がある。嘉永二年(1170)為朝討死の時次男為家は伊豆大島を逃れ出て、下條村に居住して新井氏・鎮西氏と称した。数代後に座光寺または座光寺境に移り住み座光寺氏を名乗っている。当時座光寺は市田郷の内で、松岡氏の配下となって、下市田の上洞地籍に居住したと伝えられている。

山吹城 (2)
通りの左右には石積みの跡が残る。陣屋の武家屋敷が並んでいたのだろう。

天正十六年~十八年(1588~)座光寺次郎右衛門(次郎助)の密告により松岡城主松岡貞利が徳川家康によって改易された。その功により天正十八年(1590)座光寺為真(次郎右衛門)は上州大竹に封ぜられ、九百五十石が与えられた。

慶長六年(1601)に山吹へ移され1,000石の知行が与えられた。為真はただちに丸山の地に居館を造営して、翌慶長七年(1602)にここへ移り住んだ。

山吹城 (3)
陣屋時代の大手に残る立派な石塁。

座光寺為真を初代とする山吹藩は後に四〇〇石の加増を得て、明治維新になり、十二代藩主為邑(ためやす)は帰農している。その後、座光寺為永は祠掌(ししょう 神職のこと)を勤め、その後代々祠掌を継承して、現主座光寺為典に至っている。


【陣屋時代の城墟】

陣屋一帯は、段丘先端部に張り出した堀を伴う郭状の地形が残されているだけで、明治以前の陣屋・城下の武家屋敷や枡形などの遺構はほとんど残されていないが、座光寺氏の菩提寺の領法寺と座光寺氏が創建した泰山神社に挟まれ、狭い横道に沿って並ぶ家並みは、古い陣屋と城下の雰囲気が感じ取れる所である。
座光寺氏宅に残されている旧藩主の屋敷図面・高森町歴史民俗資料館に展示されている「座光寺屋敷と家中屋敷模型」などによると当時の陣屋とその周辺の様子がよくわかる。

山吹城 (4)
陣屋時代の大手道から南側は山吹城時代の堀切が入っていたと推定される。

段丘の東側先端部に山吹城と呼ばれる郭状の地形が残され、堀で取り巻く郭の先端に物見櫓跡があり、郭中央部に座光寺家の墳墓がある。段丘面先端部には細長い平場があって、馬場跡といわれる。

山吹城 (5)
馬場跡と呼ばれる郭6.

その上方の台地先端の現座光寺氏の邸宅のある所が旧陣屋(屋敷跡)で、その周辺から西側にかけて火薬庫・道具蔵・池跡・会所跡がる。西側正面には物見を兼ねた大手門跡(概略図では太鼓櫓)があり、北側には御蔵・上蔵跡・南側には米蔵・籾蔵・大砲蔵・鉄砲場跡などが並んでいる。

明治以降それらの建物は取り壊され、畑や民家となっている。古い家中の家並みもほとんど改築されて、旧来の石垣の一部が残されているに過ぎない。

山吹城 (6)
西側から見た旧陣屋跡と郭5.その先に郭2(耕作地)と郭1(山吹城主郭・座光寺氏墓地)がある。

南東の段丘を登る道は城坂と呼ばれ、登り切ったところに枡形と呼ばれる広場があった(概略図の郭5の事)
飯田・下伊那地方には江戸時代の陣屋跡が数ヶ所あるが、雰囲気がよく観察されるところのひとつである

(以上「定本伊那谷の城 今村善興氏の文章引用)

山吹城 (8)
陣屋入口の太鼓櫓跡。

山吹城 (9)
北の枡形手前から見た堀切㋑。埋められているが松岡氏時代は郭3の防御横堀として南まで連続していたのだろう。

山吹城 (13)
枡形の西側突き当りには泰山神社。座光寺氏の創建と伝わる。

残念ながら今回は山吹城時代の遺構を見る事が出来なかったが、いつか座光寺氏の許可を頂き調査出来ればと思っています。

座光寺氏については、武田信玄の下伊那侵入に抵抗して神之峰城の知久氏と共に滅ぼされた座光寺北城の一族とは別系統だとも言われていますが定かではありません。

座光寺氏の菅沼伊那郡代への密告が無ければ、主家の松岡氏はどうだったのか?という事もありますが、己の信条に対して忠実だっうたからこそ、家名を明治維新までつなげたのだと思います。

そういう意味では義を尊ぶ実直な武将だったのでしょう。

山吹城 (14)
北東400mには田沢川の沢を挟んで天伯城が見える。

≪山吹城≫ (やまぶきじょう 山吹陣屋)

標高:509.9m 比高:55m
築城年代:不明
築城・居住者:山吹氏(?)、座光寺氏(陣屋時代)
場所:下伊那郡高森町山吹
攻城日:2014年2月1日 
お勧め度:★★★☆☆
城跡までの所要時間:- 駐車場:領法寺駐車場借用
見どころ:石垣など
注意事項:耕作地、民間の住宅地なので無断侵入禁止。また撮影もプライバシーに注意。
参考文献:「信濃の山城と館⑥諏訪・下伊那編 宮坂武男著」「定本 伊那谷の城(1996年 郷土出版社)」
付近の城址:天伯城、吉田古城、吉田本城、吉田南城など。

沼ノ城 (15)
沼ノ城付近から見た山吹城の遠景。(ってか遠過ぎでしょう・・・・笑)





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Posted on 2014/02/16 Sun. 14:20 [edit]

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