らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~
「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。
0822
出浦城(坂城町) 
◆村上氏の重臣出浦氏の居城◆
※最新のリテイク記事は⇒「出浦城2」 をご覧ください。
上田市から坂城町に入ると印象的な円錐形の山が南側にあります。標高793m。
地図には「岩井堂山」と記されていますが、坂城町では「自在山」(じざいさん)という呼び名で、隣りの更埴地域ではその形から「唐傘山」(からかさやま)と呼ばれています。

千曲川を挟んだ対岸には葛尾城があり、東側に三水城・狐落城を望むこの山城は、村上氏の重臣だった出浦氏(いづうら)の居城と云われています。

↑これ撮影禁止だったのかなー時効ということで(笑)
出浦氏は「さかきふるさと館」にある村上十八将絵図にも描かれています。
村上氏の東信濃や北信濃への版図拡大時期に筆頭家老だった出浦氏は先頭に立ってかなりの槍働きをしたようです。
山麓の自在神社の神楽殿に車を置き、攻城開始です。
恐ろしい数の石段を登ると、石垣に囲まれ地震で傾きかけた社殿に到達します。
(石の階段といえば、上田原古戦場を望む須々貴城もそうでした・・・)

社殿右手より頂上を目指します。途中道が消えかかったり、松茸泥棒監視小屋に驚いたりしながら直登に近い結構キツイ40分です。(途中の見晴らしの良さには救われますが・・)

↑シーズンには泊まり込みで監視したのか、小屋の中は焼酎の空き瓶やビールの空き缶アリ。御苦労さまです。
地元の信仰の山だったようで、途中の岩場では崩れた祠など多数ありました。
頂上前の松林攻略は心臓破りの坂ですわ。

【2つの郭からなる詰城】
結構な広さの本郭です。北側に向けて堀切と副郭を繋いでいます。恐らく千曲市新山側からの攻撃に備えたのでしょう。形状から推定すると武田氏が対上杉への備えとして改修したのだと思われます。

付近には水の手が無いので、雨水を溜める(天水溜)がはっきり残っています。

頂上の樹木はだいぶ伐採してありますが、せっかくの頂上にしては見晴らしが良く無い。
三水城のように根こそぎ切ったら素晴らしい展望なのに残念。

↑山腹の岩場からの眺めは良好です。
城跡自体は単純な構造ですが、結構しっかり残っています。

↑本郭南側の虎口と周囲を囲む土塁

↑北側の堀切。石が散乱しているが崩れ止めがあったのだろうか?
出浦氏は葛尾城の自落とともにこの地を去り、村上氏と上杉謙信を頼り落ち延びます。
その後の一族は、川中島合戦の後に真田氏の家臣となり岩櫃城代など要職に就いたというが定かではない

≪出浦城≫ (烽火台)
場所:埴科郡坂城町上平/千曲市新山(標高793m 比高293m)
攻城日:2008年3月30日
お勧め度:★★★☆☆
時間:山麓の自在神社を登り松林の小道を40分 ※千曲市新山からのルートもあるようです
見どころ;堀切、土塁、天水溜、途中からの展望
注意:秋は松茸山なので、誤解を避けるためにも攻城は止めましょう。罰金50万円(!)の看板アリ
※最新のリテイク記事は⇒「出浦城2」 をご覧ください。
上田市から坂城町に入ると印象的な円錐形の山が南側にあります。標高793m。
地図には「岩井堂山」と記されていますが、坂城町では「自在山」(じざいさん)という呼び名で、隣りの更埴地域ではその形から「唐傘山」(からかさやま)と呼ばれています。

千曲川を挟んだ対岸には葛尾城があり、東側に三水城・狐落城を望むこの山城は、村上氏の重臣だった出浦氏(いづうら)の居城と云われています。

↑これ撮影禁止だったのかなー時効ということで(笑)
出浦氏は「さかきふるさと館」にある村上十八将絵図にも描かれています。
村上氏の東信濃や北信濃への版図拡大時期に筆頭家老だった出浦氏は先頭に立ってかなりの槍働きをしたようです。
山麓の自在神社の神楽殿に車を置き、攻城開始です。
恐ろしい数の石段を登ると、石垣に囲まれ地震で傾きかけた社殿に到達します。
(石の階段といえば、上田原古戦場を望む須々貴城もそうでした・・・)

社殿右手より頂上を目指します。途中道が消えかかったり、松茸泥棒監視小屋に驚いたりしながら直登に近い結構キツイ40分です。(途中の見晴らしの良さには救われますが・・)

↑シーズンには泊まり込みで監視したのか、小屋の中は焼酎の空き瓶やビールの空き缶アリ。御苦労さまです。
地元の信仰の山だったようで、途中の岩場では崩れた祠など多数ありました。
頂上前の松林攻略は心臓破りの坂ですわ。

【2つの郭からなる詰城】
結構な広さの本郭です。北側に向けて堀切と副郭を繋いでいます。恐らく千曲市新山側からの攻撃に備えたのでしょう。形状から推定すると武田氏が対上杉への備えとして改修したのだと思われます。

付近には水の手が無いので、雨水を溜める(天水溜)がはっきり残っています。

頂上の樹木はだいぶ伐採してありますが、せっかくの頂上にしては見晴らしが良く無い。
三水城のように根こそぎ切ったら素晴らしい展望なのに残念。

↑山腹の岩場からの眺めは良好です。
城跡自体は単純な構造ですが、結構しっかり残っています。

↑本郭南側の虎口と周囲を囲む土塁

↑北側の堀切。石が散乱しているが崩れ止めがあったのだろうか?
出浦氏は葛尾城の自落とともにこの地を去り、村上氏と上杉謙信を頼り落ち延びます。
その後の一族は、川中島合戦の後に真田氏の家臣となり岩櫃城代など要職に就いたというが定かではない

≪出浦城≫ (烽火台)
場所:埴科郡坂城町上平/千曲市新山(標高793m 比高293m)
攻城日:2008年3月30日
お勧め度:★★★☆☆
時間:山麓の自在神社を登り松林の小道を40分 ※千曲市新山からのルートもあるようです
見どころ;堀切、土塁、天水溜、途中からの展望
注意:秋は松茸山なので、誤解を避けるためにも攻城は止めましょう。罰金50万円(!)の看板アリ
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Posted on 2010/08/22 Sun. 11:30 [edit]
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