らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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深沢城 (長野市安茂里 ※推定)  

◆幾多の試練と苦行を乗り越えたものだけに与えられる城跡探索の能力◆

偉そうに信州の城砦群を掲載している小生だが、信州では宮坂武男氏の功績により、城跡の場所がキッチリと特定されているのでまず迷うことは無い。(時々思い込みで峰を間違えて遭難しそうになるが、初歩的な人為的なミスである・・笑)

信濃の中世城砦研究の第一人者である宮坂武男氏の集大成である「図解山城探訪(現在は信濃の山城と館①~⑧)」が凄いのは、膨大な数の城砦の縄張図・鳥瞰図・城歴、城跡の解説だけでなく、その城跡の場所を特定したことであろう。

今回ご紹介するのは「神はこんな場所も探索したんかい!!」と驚愕した深沢城(推定)。

深沢城(長野市) (51)
国道19号線の「小市西交差点」から県道406号線に入り300m進んだ分岐が入口。道は荒れているので車は捨てよう。

【立地】

安茂里の小市、住吉団地の裏山に当たる。この一帯は裾花凝灰岩の山地で一帯にはその採掘跡と白亜の断崖が連続する所である。しかし山上は意外と平坦で、所々にかつて耕作されたらしく、その痕跡が残り、車道もあるが今は少し荒れている。
ここは犀川が山峡から善光寺平へ出る所で、犀川から一気に高まるために眺望は良く、西側1kmに吉窪城、南西1.5kmの対岸の山上には小松原城、東の山下600mには小田切館がある。

深沢城見取図①

深沢城(長野市) (1)
県道からの分岐を歩いて登る事15分で南西に突き出すような形の尾根先に遭遇する。その斜面を登ると深沢城である。

【城主・城歴】

「長野県町村誌」に言う「深沢城」は、「小田切氏の持城なり 本村(安茂里村)の西の方にあり。当地塩生村地籍に属せり。」とあるのがこの場所ではないかと推定する。
このあたりは、中世には小田切氏の賜杯地になり、西側深沢を挟んで吉窪城との連絡、富士ノ塔山砦との連絡用に用意されたのではなかろうか。しかしこれを深沢城と即断出来る確証はない。

深沢城(長野市) (8)
吉窪城とは鉦や太鼓でも連絡が取れる位置にある。

深沢城(長野市) (13)
一段高くなっている郭1には三角点がある。見張用の櫓や烽火台を置くにはちょうどいい広さと高さである。

【城跡】

尾根の先端部、四等三角点のある1の所は11×8mほどのマウンドになっていて、これを取り巻くように北から東に平地がある。かつては耕作された所である。西側に2~3段の畑跡、東に一条高く13×15mほどの3があり、その北上へ続く尾根状に上幅5mの堀切がある。こうした点から見て砦跡とみてよさそうに思われる。(以上、宮坂武男氏の記述を引用)

深沢城(長野市) (41)
郭2から見た郭1のマウンド。一段高い位置となっている。

深沢城(長野市) (17)
かつて耕作された跡の残る長方形の郭2。

深沢城(長野市) (21)
1.5m程の段差で区切られて郭3へ。

郭3は削平が変則的になっているので、途中で造成が中断されたのか耕作による改変なのか的を得ない。
ただ、郭3の北側には明確に堀切が認められるので、中世に人工的な手が加えられた場所で間違いないと思う。

深沢城(長野市) (24)
郭3の東側は傾斜したような窪地になっている。

深沢城(長野市) (26)
尾根上はキチンと削平されているが・・。

深沢城(長野市) (30)
ここが砦だったことを証明する堀切。この足跡は誰?先客がいたのか?(汗)

深沢城(長野市) (32)
小生の目が節穴でも、この堀切は戦国時代の造作物であったらしい事は認定しよう・・(笑)

城跡を探索しながら思ったのは、「やはり宮坂武男氏は、我ら宮坂教狂信徒の神であった」・・・この事である。

長野県町村誌の断片的な記事と、地元の聞き取りや調査で決して諦める事無く道なき道を登り「砦の欠片」を探し出してしまうのである。

最近流行の「コピペ」はいけません・・・(爆)がしかし、神の軌跡を訪れ、その所作を真似る事で「もどき」になれるかもしれませんネ・・(笑)

深沢城(長野市) (47)
城跡から見た小松原城。

≪深沢城≫ (ふかさわじょう)

標高:519.0m 比高:140m
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:長野市安茂里
攻城日:2014年3月8日 
お勧め度:★★☆☆☆
城跡までの所要時間:県道の分岐より歩いて15分 駐車場:無し
見どころ:堀切、郭
注意事項:イエティが生息している可能性あり(笑)単独訪問は避けた方が良い。
参考文献:「信濃の山城と館②更埴・長野編 宮坂武男著」
付近の城址:小市館(小田切館)、吉窪城、小松原城、窪寺城など

深沢城(長野市) (52)
松ヶ丘ゴルフ練習場から見た深沢城。花崗岩の採石跡が生々しい。(ここから登るのは無理です)



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Posted on 2014/03/12 Wed. 21:02 [edit]

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コメント

こぴぺ

位置的、地理的には小田切氏館の北の山のピーク部の方が城があっても良さそうに思います。
しかし、この城は尾根筋にありますね。
地図を見ての推定と周辺の各城砦との実際の位置関係からの立地とは違いますね。
まさに現地に立たないと城の位置付け、性格が理解できないかもしれません。

しかし、よくこんな物件、探し出すものです。
当然、未知の城、見つけるにはいくつかの空振りはあったのでしょうね。

あおれんじゃあ #- | URL | 2014/03/12 23:05 * edit *

Re: あおれんじゃあ様へ

小田切館から吉窪城は直接見えないので、中継地点としてこの場所が選ばれた様に思います。
また、往時は深沢城から富士ノ塔砦を介して旭山や葛山の動向を確認していたようにも思えます。
裾花川と犀川の間道がどうなっていたか知る術はありませんが、関係あったんでしょうネ。

凡人にはここに砦がありそうだという第六感も働きません・・(汗)

らんまる #- | URL | 2014/03/13 07:31 * edit *
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