らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

0328

竜ヶ崎城 (上伊那郡辰野町宮所)  

◆伊那谷の北を固める城◆

気がつけば既に三月も終わりかけている。

北信濃の一部を除けば、ゴールデンウィーク前あたりまでが山城巡りのラストスパートになる。

虫も、蛇も、そして最強のクーさんも活動を再開するのだ。何てこった・・山城ツアラーの皆さん、お急ぎあれ!(汗)

んで、今回ご紹介するのは、伊那谷最北端の要衝を抑えた「竜ヶ崎城」。

丸山秋葉砦(辰野町) (24)
城域の南東にあるJR飯田線の辰野駅付近から見た竜ヶ崎城。

【名前の由来】

天竜川と横川川が合流する南東付近から北を見ると、穴倉山から尾根伝いに長く伸びた先端が小高く盛り上がり、あたかも竜が寝そべっているような姿に見える。
竜ヶ崎の名前の由来はその景色からだといい、昔の人の感性には感心させられる。

竜ヶ崎城(辰野町) (1)
竜ヶ崎城の登り口。城跡は現在公園として整備され辰野町民の憩いの場となっている。

【立地】

竜ヶ崎は、横川川と小横川川の二筋の川が包み込むように守り、北の背後は穴倉山の大きな山塊と細く延びた尾根筋が守る要害の地である。標高865m、比高130mで、南から見れば三角錐の独立した山のように見える。山頂に立てば伊那の谷が一望のもとに見渡せ、しかも、伊那と松本平を結ぶ交通の要衝に位置することから、早くから戦略的に重要な山城としての役割を担っていた。

竜ヶ崎城(辰野町) (5)
登り口から数分で居館跡と推定されている竜ヶ崎公園の平地となる(80m×30m)。日当たりも見晴らしも最高。

竜ヶ崎城(辰野町) (6)
居館跡から見た辰野町中心部。脇を小横川川が流れる。

【宮所居館跡】

かつてここに御射宮司社が祀られており、「急御社宮司蹟」の碑が今にそれを伝える。ここからは守屋山が正面に望め、諏訪信仰の地であったことを伺い知ることができる。

竜ヶ崎城(辰野町) (10)
公園の北側に残る「御社宮司跡」の碑。

【城主・城歴】

中世、広くこのあたり一帯は宮所郷と呼ばれ、諏訪上社に関係の深い地であった。伊那と松本平を結ぶ要衝の地として重要な山城と認識され、神長官守矢満実が記した寛政五年(1464)の記事に「上伊那宮所竜ヶ崎之城」と見え、「諏訪御符札之古書」文明十九年(1487)の記事には、高遠の諏訪継宗が「りうか崎之城」を取立て、知行したことが記されている。

竜ヶ崎城見取図①

竜ヶ崎城(辰野町) (13)
居館跡(公園)の背後の堀切。

【城跡】

典型的な城館一体型の城跡で、背後の城は穴倉山から伸びる尾根の先端を利用した連郭式なのだが、土塁に囲われた主郭以外の郭は小さく、尾根を執拗に建ちきる数条の堀切で構成されている。
また、主郭の西側の斜面には畝状竪掘が四本確認出来る。小笠原氏の縄張の影響を受けているように思える。

竜ヶ崎城(辰野町) (29)
急斜面を登ると最初に郭4がある。

竜ヶ崎城(辰野町) (31)
上巾5mの堀切㋑

竜ヶ崎城(辰野町) (39)
郭2から堀切㋒(上巾7m)とその先の堡塁っぽい郭3を見下ろす。かなり急な斜面を意図的に利用している。

城域の東西の斜面はかなり傾斜がきついので、攻め手は居館を制圧してその大手筋を攻略するしかない。
なので、防御の指向性は南尾根なのだが、本気で守ろうとする意欲が感じられない縄張りだ・・(笑)

竜ヶ崎城(辰野町) (40)
何とも中途半端な作りの郭2とその周辺。

通常であれば斜面に段郭を重ねて敵の侵入速度を落とし、堀切を加えることで正面を厳重に警備するのだが、堀切と痩せ尾根の1本道に頼り過ぎているようだ(汗)近隣との抗争に耐える程度の防御ならこれでも良いが、後詰めを要する大軍相手では支えきれないと思う。(現に武田軍に攻められ落城の憂き目にあったが・・)

竜ヶ崎城(辰野町) (43)
郭2の背後の天水溜め(?)には「コノハナノサクヤビメ」(初代天皇の神武天皇の祖母)の碑が建つ。

竜ヶ崎城(辰野町) (44)
主郭とその手前の大堀切㋓(上巾13m)

竜ヶ崎城(辰野町) (53)
主郭から見下ろした堀切㋓と郭2の周辺。

この城跡の最大の見どころは主郭の西斜面の畝状竪堀と、主郭背後の大堀切、東斜面を這う竪掘りの造形美だろうか。

最近は堀切フェチ(?)に傾きつつある小生も、斜面の藪に隠れた畝を見つけると何か嬉しい・・・(笑)

竜ヶ崎城(辰野町) (118)
土塁の全周する主郭(27×11)

竜ヶ崎城(辰野町) (76)
主郭背後の堀切㋔(上巾18m)

竜ヶ崎城(辰野町) (64)
堀切㋔に並行する畝状竪掘。

竜ヶ崎城(辰野町) (70)
西斜面を断ち切る堀切㋔。畝状竪掘りとの組み合わせが効果的である。

大堀切㋔に対する二重堀切として堀切㋕が尾根を切断するのだが、この堀切は平瀬城や塩崎新城に共通する集合堀形式で、小笠原流を踏襲したもののようだ。

竜ヶ崎城(辰野町) (80)
東斜面から見た堀切㋕。

竜ヶ崎城(辰野町) (82)
集合堀となって東の沢に落ち込む。沢からの横移動w意識してかなりの長さで掘りこまれている。

竜ヶ崎城(辰野町) (87)
主郭背後の防御処理は素晴らしい。(堀切㋕の尾根)

WEB上で記載されている竜ヶ崎城の遺構の紹介は、ほとんどがこの二重堀切で終了している。

時間切れなら仕方ないが、「尾根は寄り道しても辿るもの」というのが小生のセオリーで、思わぬ発見もあるものだ。
(というものの、無駄な徒労に終わるケースが大半・・汗)

竜ヶ崎城(辰野町) (91)
少し北へ進むと堀切㋖。

竜ヶ崎城(辰野町) (92)
自然地形の「あれ」っぽいが、北側斜面に掘られた堀切㋗


【武田信玄の福与城攻めと竜ヶ崎城】

天正十三年(1544)、本格的に上伊那新興を開始した武田信玄は、翌十四年には軍を杖突峠より藤沢の谷に進め、高遠を攻めてこれを落とし、引き続き、藤沢頼親(ふじさわよりちか)の立て篭もる箕輪の福与城攻めに取り掛かり、これを包囲した。
この時、頼親に加担した松本之小笠原長時は、大軍を上伊那口に進め、宮所(辰野町宮所)の竜ヶ崎城を拠点に、羽場、北大出付近まで牽制の陣を敷いた。

これに対して武田方は、板垣信方の軍がこれを攻め、小笠原方は奮闘するも敗れ、竜ヶ崎を捨て北に退却した。
(小平物語、高白斉記)

竜ヶ崎城(辰野町) (94)
尾根上の細尾根に堀切㋘。

竜ヶ崎城(辰野町) (102)
城域の最北端となる堀切㋚。この先には何も無い。

城域の北側は茸山(松茸などのキノコ山)になっていて、有刺鉄線が尾根状に張られているので探索の際はケガをしないように注意が必要。

竜ヶ崎城(辰野町) (105)
堀切㋙の東斜面の窪地には井戸跡が確認出来る(残雪の部分)

※福与城の戦いについては、小生の記事の福与城をご参照下さいませ。

小笠原長時らの軍勢は竜ヶ崎に15,000の兵を後詰めとして置き、福与城の南方には鈴岡小笠原(長時の弟)の軍勢が陣を展開し、板垣信方らの武田軍は挟み撃ち状態となり万事休すのはずだった。

普通であれば、ここでイッキに攻めて蹴散らすのが常識なのだが、慢心した長時さんは詰めるどころか窮鼠猫を咬む方式の武田軍の逆襲により敗退してしまう・・おバカ!!(笑)

呆気にとられたのは福与城の藤沢頼親と鈴岡小笠原軍であった。

これじゃ後詰めどころでなく、鈴岡小笠原は退却し、藤沢氏は和議を申し入れて開城を余儀なくされる。

竜ヶ崎城(辰野町) (38)
竜ヶ崎城の見張砦の大城と丸山砦(推定)

下の居館に詰めたとしても15,000の兵隊が籠城するには無理がある。

往時の兵力を1/10としての城に籠れるのは100名でもキツイ。残りは丸山砦や大城周辺に展開していたと思われる。

それにしても長時さん、常識を逸脱した戦闘ぶりは、8億円で熊手を買ったとかいう何処かのボンボン党首と同じ匂いでございますなあー(爆)

冗談はさておき、小さいながらもしっかり遺構の残るお勧めの山城です。景色だけでも価値があります。

≪竜ヶ崎城≫ (りゅうがさきじょう 宮所の城山)

標高:865m 比高:125m
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:上伊那郡辰野町宮所
攻城日:2014年3月21日 
お勧め度:★★★★☆
城跡までの所要時間:10分 駐車場:無し(墓地脇の空き地へ駐車)
見どころ:居館跡、背後の二重堀切、畝状竪堀、素晴らしいロケーションなど
注意事項:秋は止め山なので主郭背後の尾根には行かない事。有刺鉄線に注意。
参考文献:「信濃の山城と館⑤上伊那編 宮坂武男著」「定本 伊那谷の城」(三浦孝美氏の記述一部引用)「信州の古城」(2007年 郷土出版社)
付近の城址:大城、荒神山陣場、天白の城、羽場城、丸山砦など

丸山秋葉砦(辰野町) (25)
丸山砦から見た竜ヶ崎城遠景。





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Posted on 2014/03/28 Fri. 22:57 [edit]

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コメント

公園化した城はいいねえ

道なき藪の山城もきついし、人家になった城址も気が引けるし。
そこに行くと公園のように整備され、道がちゃんとある城っていいですね。

しかし、ここも長時さんが係るのですか?
それが城にとっては不幸としか思えません。厄病神か?

彼はゲリラ戦の名手なんですが、ちゃんとした規模の軍を率いた戦いじゃあメロメロ。
しっかりした城も役立たず。
相手が武田という不幸もありますが・・・。

しかし、その「抜け」ぶりにどこか惹かれるものがあります。

あおれんじゃあ #- | URL | 2014/03/29 19:41 * edit *

Re: あおれんじゃあ様へ

大塔合戦の頃から諸悪の根源と云われた小笠原家の血筋ですから、戦国時代における信濃の豪族も半信半疑だったんでしょうねえ(笑)

いつぞやウモ様や余湖様が「うらぶれた長時さん」とか「小笠原長時の信濃風雪流れ旅」とか表現するに至っては「旨い事言うなあー」と感心しておりました。
彼が関わった城で落ちなかったのは中塔城だけでした・・・あそこは城じゃありません、山です・・(爆)

生活能力の無いダメ男に貢ぐ女性の気持ちって、そんな感じなんでしょうか・・??

らんまる #- | URL | 2014/03/29 20:29 * edit *
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